第25話

 間に合わなかった。フィズが頭を抱える横で、爆発した卵を見つめ、カミラは目をしばたたかせる。


「け、怪我してない!?」


 いきなり連れて来られて呆けていたレオーネが、ハッとして二人の肩を掴む。胃に入らずに悲惨な最期を迎えた卵は、爆発をレンジの中だけに留めていた。

 こっくりと頷く二人に胸をなで下ろすと、レオーネは、カミラに向き合う。


「卵をレンジで温めたらだめだよ。こういう風になって危ないから。分かった?」


「分かったわ」


 素直に肯いたカミラに、顔を綻ばせると、レオーネが指先を振って、魔法を使おうとしたところで。


「もしもし。電子レンジを一台頼めるかしら?」


 それより早く、スマホを取り出したカミラがどこかに電話をした。


「えっ」


 呆然と彼女を見つめると、カミラは電話の向こうの人と二、三言やり取りをして、通話を終了する。それから、にっこりと笑った。


「今頼んだから、新しいものが直ぐに来るわ」


 開いた口が、塞がらない。頬を引き攣らせると、唇をはく、と動かした。音にならない感情がそこから漏れて、カミラが首を傾げる。


「なによ。変な顔しちゃって。お腹でも空いたの?」


 違う、とは言えなかったが、言いたいことは伝わったようだった。怪訝な顔をするカミラに、ごくんと唾を飲み込んで、ようやく質問をぶつける。


「なんで新しいやつ?」


 いや、確かに壊れたかもしれないから、時期に頼むことになっただろうが。でも、まだ使えるか確認もしていないし、家主に相談すらしていない。


「え、貴女、まだあれを使うつもり?」


 カミラが目を眇める。信じられないとでも言いたそうな表情。レオーネがおろおろしているのを、視界の端に捉えて、フィズは目を瞑った。


(待って、これ、あたしが悪い感じ?)


 だとすれば、誠に遺憾である。だって、この人、謝ってすらいないのに。

 そう。謝ってもいなければ、相談もせず、勝手に決めて、挙げ句この態度だ。

 レンジに卵を入れたら、爆発することを知らずにやったのは分かる。それは怒っていない。でも、せめて悪びれたらどうなんだろうか。


「カミラさあ。あたし、別に怒ってるわけじゃないんだけどさあ」


 床をコツコツと蹴りながら、言葉を探す。イラついている。自分でもそれが分かって、これでは駄目だと思った。

 このまま話していたら、きっと傷つけてしまう。


「怒ってるじゃない」


「人の話最後まで聞けよ」


 ふて腐れたカミラが口を挟んで、反射的に返してから、口をつぐむ。だが、遅かった。

 カミラは、一瞬顔を歪めて、フィズを鋭く睨みつける。


「なによ。じゃあ、言ってみなさいよ」


 幾らか我に返っていたフィズが黙ると、その分火がついたらしいカミラが迫ってくる。

 今からでも、軌道修正が出来る方法はないか。そう考えて出来た一瞬の隙を、彼女は鼻で笑った。


「結局言えないんじゃない」


 何かが、ぷつんと切れた音がする。一体、誰の為に考えて喋っていると思っていているのか。

 もう我慢なんかしてやらない。そう決めて顔を上げると、もうそこは別の世界だった。


「カミラって、いかにもって感じだよね。人の物壊しといて、謝りもしないなんて」


「ちょっちょっと、フィズ」


「『壊れたら取り替えればいい』って思ってるんでしょ。お金が全てだもんね。もしかして、レオくんと結婚したいのだって」


「フィズ!」


 レオーネが大声をあげて止めたが、すでに口から出た後だった。目の前のカミラが真っ赤になって震えていた。


「このガキ……っ」


「カ、カミラも、抑えて」


 カミラが振り上げた手を軽く掴む。

 喧嘩に勝つ時、暴力を振るったりする必要はない。フィズは、大抵の人よりは力が強いから、少し力を入れるだけで、相手が勝手に負けてくれるから。

 だから今回もそうすると、カミラは悲鳴をあげてへたり込んだ。

 カミラにレオーネが駆け寄る。そんな光景、安っぽく見えたはずなのに、なぜだか目頭が熱くなった。


「なんでその人の味方するの」


 鼻の奥がツンと痛んで、目から水が溢れ出す。


「レオくんのうそつき」


 一番大事だと言ってた癖に、こんな時は味方になってくれない。

 だんだんと地団駄を踏む。顔を上げたレオーネがフィズとカミラを交互に見て、狼狽え始めた。

 ほら、やっぱりそんな顔をする。予想通りの反応にいらいらして、涙を乱暴に拭う。レオーネは立ち上がると、フィズの頭を撫でようとした。


「フィズ……?」


「触んないで!」


 その手を払いのけると、レオーネは傷ついた顔をして、でも眉尻を下げて謝った。


「ご、ごめん」


「なんで謝るの」


 レオーネは悪くないのに、フィズが悪いのに、どうしてこの人が全て悪いみたいな顔をするのか。


「……レオくんは、ちっとも怒らない」


 ぐずぐずと鼻を鳴らして語りかける。レオーネはえ、と目を丸くして固まった。


「あたしが悪いことしたりしたら叱ったりするけど、レオくんが嫌だと思ったことは言わない。人の為になら怒るのに、自分のことはさっぱりなんだなって、ずっと思ってた」


 前はただ心配だった。でも、今は、それが腹立たしい。


「レオくん、前に言ってたじゃん。『言わなきゃ伝わらない』って。魔法使いが言葉を大切にしないでいいの? 嫌なら嫌ってはっきり言わなきゃだめだよ」


「そんなことして傷つけたらどうするんだよ」


「じゃあ自分は傷ついてもいいの?」


 もし、フィズの言葉で傷ついたなら、はっきり言ってほしい。怒ってほしい。肝心な時に我慢してしまうのだと思うと、いつか離れていってしまいそうで、堪らなく不安だ。

 フィズには、大好きな兄も、チェルシーも、リュウホも、ロイもいる。勉強は先生が面倒見てくれるし、きっとレオーネが居なくたってやっていける。

 でも、レオーネは一人しかいない。レオーネに代わりはいない。この人の傍に居られなくなるのが怖かった。

 レオーネとカミラが顔を見合わせる。

 怒って泣くなんてまるで小さな子みたいだ。分かっているけど止まらなくて、フィズは、わんわんと泣き続けた。

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