第23話

 それからは慌ただしかった。一通りのことが決まって。自室のベッドに身を投げる。

 枕に顔を擦りつける。慣れた生地の感触にほっとして、ようやく体の力を抜くことが出来た。


「ごめんな」


 ふと、フェリオの声がして、ベッドが自分以外の重さで沈む。顔を向けると、フェリオは珍しく眉を下げていた。

 結局、カミラに押しきられる形で、しばらくフェリオも入れた四人で暮らすことになった。だが、フィズがレオーネと暮らしているこのマンションは、部屋が三つしかない。だから、客間にカミラを寝かせて、フェリオとフィズは二人で寝ることになったのだ。

 フェリオは、こんな風になった原因が自分にあると謝っているのだろう。


「ううん」


 確かに、彼女を連れて来てしまったのはフェリオだ。だけど、先程までのやり取りを思い出しても、別に兄は悪くないので、即座に否定した。

 この年になって兄と一緒に寝ることになるとは思わなかったが、フェリオとレオーネだと狭くて眠れないだろうし、フィズとカミラは、とても共同生活を送れそうにない。だからこの組み合わせが一番だ。

 それに、兄と寝るのが、嫌なわけではなかった。久しぶりに話せるのもなんだかんだで嬉しい。笑っていると、フェリオと目が合ったので、照れ隠しに彼の太股を軽くパンチする。


「でも、なんでお兄ちゃんが止めなかったの?」


 フェリオとカミラの力関係は、フェリオに軍配が上がっているように見える。だから彼が止めたら、カミラはしぶしぶにでも別の宿を探しただろう。

 だがフェリオは、フィズに助けを求められた時に何もしなかった。それならカミラが来るからと忠告しに来たのは、なんだったのか。

 フィズの質問に、フェリオは、自分の顎を撫でる。


「……フィズはさ。レオのこと、どう思う?」


「お兄ちゃんの友達だとは思えないくらいまともだよね」


「いい度胸だ」


「ごめんなさい」


 拳を握るフェリオに、フィズは素直に頭を下げる。

 真剣な雰囲気をあまり茶化すのもなんなので、フィズもちゃんと考えることにした。


「レオくんはね、だよね」


 ぴくりとフェリオが指先を動かしたが、口を挟む気配はない。


「いくら友達の妹でも、見知らぬあたしと暮らして、魔法を教えてくれて。あたしが質問をしたらなんでも丁寧に答えてくれるし、なんでもあたしの希望に沿おうとする。とっても優しい、いい人だよ」


 本当に。たまに心配になるくらい、他人のことを考えて動く人だ。


「そうなんだよ」


 フィズの答えに、フェリオはため息を吐くと、首の後ろをかいた。


「見知らぬ俺にも魔法や学園のことを教えてくれるし、いきなり押しかけても泊めてくれるし、勉強も見てくれるいいやつだ」


「え、お兄ちゃん、学園のこと、レオくんに教えてもらったの?」


 思わず声をあげると、フェリオは懐かしむように目を細めた。

 フィズにとっては『お兄ちゃん』でしかないフェリオの交友関係を知るのは、なんだか不思議な気分だ。この家に来てから初耳なことだらけで、この年になって兄の新しい面を見た気がする。


「街に出た時に魔法を使ってるのを見て、友達になって、魔法使いになろうと思ったんだよ。ってこれ、何回か話したけど?」


 フェリオが片眉を上げて笑ったので、記憶をさらってみたが、覚えていない。きっとあの頃は、フェリオが家を出ると知ったショックでろくに話を聞いていなかったのだろう。恥ずかしさを誤魔化すように笑った。

 それにしても、ある日帰って来たと思ったら、いきなり「魔法使いになる」と言い出したのは、レオーネに会ったからだったのか。なんか、納得した。レオーネは、人の人生を変える人だから。


「その時はあいつ、独学だったから、魔法はあんまり使えなかったんだけど。話すのが上手いからさ。興味が出て」


 それでなる方もなる方だが、許可を出す親も親である。

 騎士になると毎日頑張っていて、試験も控えていた息子が、突然魔法使いなんて真逆のこと言い出したのをあっさり許可するとは。

 親と仲が悪いわけではない。だけど、フィズが引きこもっている時も、魔法使いになると出て行った後も、特に何も言われなかったし、考えてみると放任主義だ。

 小さな頃からフェリオが傍にいることが多くて、頼っていたのも彼だったから、フィズとしては兄の方が親に近い感覚だ。


「そんで、レオはな」


 話が戻って、慌てて意識をフェリオに向ける。


「いいやつだから、なんでも断れないんだよ。それで、今日みたいなことになる。俺が見かねて間に入って断ることもあったけど、ずっとそうやってもいられないだろ」


 だからあの時、レオーネに丸投げした、と。家主に決定権があるから、それは普通のことだ。でも、フェリオらしくないなと思ったのだが、そういうことなら納得だった。


「お兄ちゃんって、結構レオくんに気を使うんだね」


「お兄様のことなんだと思ってるんだ。気遣い屋さんなんだぞ」


「…………」


 確かに、全く気を遣わないとは言わないが、気遣い屋さんはアパートの壁を壊したりしない。ジト目を向けると、フェリオは目を泳がせ、咳払いをした。


「……まあ、あいつも色々あるからな。女関連の話題は正直シャレにならないんだよ」


 そうなの、と驚きはしたが、同時に、やっぱりそうなのかとも思った。

 フィズが驚いたのは、フェリオがその理由を知っていたこと。それからそれを、フィズに話したことだ。カミラの話をフィズにした時も驚いたが、もしかして、頼られているのでは、という考えが浮かんで、いやいやとかぶりを振る。

 フェリオという男は、基本的に年下に頼るということをあまりしたがらない。

 それが妹のフィズ相手なら尚更のことで、なんでも一人で解決したがるし、いざこざを見せたがらない。

 ようするに、良いとこ見せたがりの格好つけなのだ。


「そうなんだよ」


 フィズの驚きに肯くと、フェリオは、フィズの体を抱き起こした。それから膝の間に抱え込む。髪を梳くように撫でられるのが心地良くて、彼の胸に頭を預けた。


「女自体、あんまり好きじゃないと思うんだよな」


「えっそれ、あたしは大丈夫なの?」


 思わず顔を上げると、目が合ったフェリオは、にかっと歯を見せて、快活に笑った。


「お前は大丈夫だろ」


 根拠のない自信に乾いた笑いを漏らして、フィズは、膝を抱える。


(……まあ、あたしは女っぽくはないもんな……)


 つまり、魔法は学園でも習えるのに、わざわざレオーネに頼んだのは、フィズの引きこもりを直す為もあるけど、レオーネの為でもあったってことだ。きっと、魔法じゃなくても、レオーネが教えられるものならなんでも良かったし、リハビリの為にフィズぐらいの女から慣れていく。こういうことだろう。

 前にレオーネになんで師匠を引き受けてくれたのか聞いた時、答え辛そうにしてたのは、そういう理由も含まれていたに違いない。「女らしくない」と言われたところでフィズは気にしないが、優しいレオーネは気にするだろう。


「お前、自分が女っぽくないからだと思ってるだろ」


 かと思えば、少し笑ったフェリオが、フィズの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


「違うの?」


「違う違う。お前は、誰かに何かを押しつけるってことをしないから、レオが過ごしやすいと思って。だから、お前に頼んだんだよ」


「…………」


 鼻がつんと痛くなった。慌てて誤魔化すように鼻を鳴らし、下を向いた。

 そんな風に思われていたことも、頼ってくれたことも、レオーネの反応からして、フェリオの言う通り、彼が過ごしやすいと思っているのだろうことも。特に、レオーネに何が返せるだろうと思っていたから、それも含めて、全部が嬉しい。


「おいおい、フィズ。泣くなよー」


「泣いてない……」


 この人は、フィズが自分のせいで泣くと、なぜか嬉しそうになる。はじけるような笑顔で頬を突いてくる。それを頑張ってどけているうちに、涙はどっかにいってしまった。

 フィズが潤んだ瞳を擦ると、フェリオは、おもむろにスマホを掲げる。


「なあ。スマホ見た?」


「え?」


 急になんだと言うのか。急かされて、フィズはスマホを手に取る。言われるままにアプリを立ち上げると、兄からメッセージを受信していた。

 開いてみて、顔が熱くなるのを感じた。


「……口で言えないの?」


 画面を見せるように持って、ため息を吐く。そこには、フィズが待ちわびていた、「入学おめでとう」の文字が踊っていた。

 返してもらって直ぐに操作していたのは、このメッセージを送る為だったようだ。


「いや、待ってたのかなと思って」


 くすくす笑うフェリオを肘で突く。この「自分は妹に好かれています」と信じて疑わない態度には、ほとほと呆れる。睨みつけるが、照れ隠しなのがバレている為、フェリオには通じなかった。


「魔法の勉強は楽しいか?」


 ベッドに転がったフェリオが、ぽんぽんと隣を叩いた。


「……お兄ちゃんに特訓されるよりはね」


 素直に寝転がりながら、真逆の言葉を言う。にやりと笑ったフェリオが立ち上がり、四の字固めをかけてきた。


「言うようになったなー」


「ちょっ止めて! ギブギブ!」


 手加減してくれているのは分かっているが、それでもやっぱり痛いものは痛い。ベッドを叩いて直ぐさま降参すると、満足そうに笑ったフェリオが拘束を解いてくれて。


「チェルシーとロイと、あとリュウホって友達が──」


 話し始めたところで、ガシャンと大きな音がした。


「ぎゃああああっ!」


 おおよそ美人が発したとは思えないカミラの悲鳴と、うろたえるレオーネの声が聞こえる。フェリオの顔色がさっと変わり、立ち上がった。


「悪いフィズ。また後で聞かせて。眠たかったら先に寝といていいからな」


 慌てて部屋を出て行く兄の姿に、喉が塞がるような不快感を覚えた。掛け布団を頭から被る。しゅるしゅると背中を丸めると、残された部屋で、三人の声を聞きながら、フィズはふて腐れた。


(あたしがお兄ちゃんと話してたのに……)


 しかも、今から学園のことを話そうとしていたところだ。出鼻を挫かれたという不満は、消えそうにない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る