第21話

「待て待て待て待て。逃げるな逃げるな」


 直ぐに逃げ出そうとしたが、動きを読んでたかのような素早さで羽交い締めにされる。

 悲しいかな。瞬発力に動体視力、純粋な力に至るまで、フェリオの力はフィズの何倍も強く、圧倒的だった。

 蛇は、捕まえた獲物が藻掻くと締めつける力を強くする。この男もまさにそれで、フィズが少しでも動こうとすると、力が強くなっていった。


「うわーい、嫌そうな顔ー」


 フィズの青い顔に手を伸ばすと、ぷにゅぷにゅと頬を突いてくる。嫌そうだと分かっているなら止めろ。

 毎回、本当に毎回そう思うのだが、言っても聞くような男ではないことが分かっているので、フィズはがっくりと項垂れた。

 フィズが諦めたのが分かると、フェリオは楽しそうに笑って、フィズの持つマグカップをトントンと叩く。カップが手から離れた。

 いや、遊んでいるうちにココアが零れないようにとか、そういう配慮じゃなくて、フィズが疲労困憊にならないような気遣いをしてほしいのだが。フィズが睨みつけると、フェリオは目の奥を輝かせて、手の平を上に向けた。その途端。


「あ、やっちゃった」


 ガシャンと大きな音がした。フィズがその音のした方へと首を向けると、天井から黒い雨のようなものがぽたぽたと落ちてきて、床に水溜まりを作っていた。その周辺には、白い陶器の破片が散乱している。


「なんか大っきな音したけど、大丈夫?」


 慌ててキッチンから飛び出してきたレオーネが、床に散らばるココアを見て、それから天井を見て、最後にフェリオに半目を向けた。


「すまんすまん。繊細な魔法は、力の調整がどうにも苦手でな」


 お前さっき、飛んできたココアにファインプレーかましてただろうが。

 フィズがジト目を向けると、同じような顔をしたレオーネがため息を吐いた。


「知ってる。それでアパートの壁をぶっ壊して追い出されたフェリオが、俺ん家に転がり込んできたからね」


 ああ。そっちなら納得だ。仲良く同居を始めるより、フィズの中のフェリオのイメージとぴったり一致する。いや、それもどうなんだよと思うが、一致するのだから仕方ない。


「兄が本当にご迷惑をおかけして……」


「ああ、いえいえ……結局、家賃折半出来るからって、引っ越しする時もルームシェアは継続したからね。便利だったから構わないんだよ」


「そうだぞ、フィズ。俺達、超仲良しだから気にすんなよ」


「君は少しは気にしような」


 軽くあしらわれ、フェリオはマグカップの欠片をひょいひょいと集めながらふて腐れた顔をする。


「やっぱさー、魔法はさー、どーんとやって、気分がパッカーンとなるやつが良いよな」


 手伝おうとすると手で制された。食器やガラス等の危ないものが割れた時はいつもこうだ。一人の時に割ったら、手袋をして片付けなさいとも言い聞かせられている。

 この家に手袋はない。だから早々に諦めて別の場所から掃除機と布巾、古新聞を持ってきた。それらを渡すと、フェリオが床を、レオーネは魔法を使って天井をさっと片付ける。


「お兄ちゃん、さっきはココア綺麗に片付けてたじゃん。あれとどう違うの?」


 それを眺めながら、兄に問いかけてみる。フェリオは、んー、と考えて、それから答えた。


「他のことに気が向くとどうしてもなー。爆発だったら、百や二百くらい簡単に起こせるんだけど」


「それもどうなの」


 つまり、集中してないと、さっきみたいになってしまうということか。それでも、ほとんど使えなかった昔を思うと、使えるようにはなったみたいだが。

 フェリオは、手先が不器用なわけではないが、魔法というのはイメージが大切だ。だから、そのイメージが大ざっぱなフェリオは、日常で魔法を使うことは難しいのだろう。

 拭き終わると、フェリオは手を洗って、再びフィズに絡む。思わず悲鳴を上げると、レオーネがフェリオを小突いた。


「かわいい妹をいじめないの」


「レオは分かってないな。かわいいからいじめたいんだろうが」


「子供か」


「ほら、見ろよこの嫌そうな顔。最高にかわいい。見て。俺の妹見て。うわーい、フィズ元気ー?」


「俺はお前の情緒が心配だよ……」


 っていうか、いじめていた自覚があったのか。フィズがカルチャーショックを受けていると、レオーネはキッチンに向かって手招きをした。

 優しい匂いが鼻腔をくすぐって、夕飯のスープが机に置かれる。


「残り物だけど良いよね? パンもあるけど、どうする?」


「いや、これで充分。ありがと。いただきます」


 ニコニコと手を合わせると、フェリオはスープを一口飲んで、はーっと長い息を吐いた。


「いや、まじ腹減ってたから助かった~。を撒くのに体力使って」


「あいつ?」


 首を傾げると、フェリオは目線を泳がせ、まずはスープを平らげた。


「ごちそーさま」


 それから、食器を片付けようとするレオーネを制すると、ごほんと一つ、咳払いをする。


「実は、レオーネに話がある」


「?」


 なんだか、真剣な感じだ。ただならぬ雰囲気を感じ取り、フィズが席を立とうとすると、フェリオはそれを引き止めた。


「ごめん。フィズもいて」


 よく分からないが、とりあえず彼の横に座り直す。レオーネも、ごくりと息を飲むと、机を挟んで向かい側に座った。

 フェリオは、何かを言いあぐねているような、そんな顔をしていた。決まりが悪そうに首の後ろを擦り、あー、と意味のない音を発して、それからレオーネをおそるおそるうかがい見る。


「一応確認したいんだけど、お前逹って、別に付き合ってるわけじゃないんだよな?」


「はあ?」


 何を言い出すかと思えば、本当に何を言い出すんだという気分にさせられてしまった。思いきり顔を顰めてやると、フェリオは勢い良く机に突っ伏した。


「だよなあ、知ってた。お兄様知ってた。簡単にそんなことにならないからに頼んだんだよ」


「?」


「フェリオ」


 固い声が響いて、項垂れたフェリオの体がぴくっと震える。顔を上げたフェリオは、どうにもばつが悪そうな表情を浮かべていた。一方、声をかけたレオーネは、なんだか怒ったように眉を寄せている。


「なにが言いたいの?」


 レオーネが質問にはっきりと答えず、微妙な表情を浮かべるのは二回目だ。

 一回目は、喫茶店でフィズが女性関連の話題を出した時だった。フィズはそういう話題を好んで話すわけじゃないから、元々しないとはいえ、あれ以降はなんとなく意識して話題に出さないようにしていた。

 レオーネの反応に、なんとなくだったものが、確信に変わる。あの判断は間違っていなかったようだ。


「うーん……付き合ってたら今の状況に都合が良かったなぁと思ってさ。ごめん」


「……まあ、お前がふざけて聞いてきたとは思ってないけど……」


 レオーネがちらりとフィズを見る。彼にとってこれは、フィズに聞かれたくないことなのだろうか。だとしたら、やっぱりフィズは席を外した方が良いのでは。


「今日はさ、レオに一つ注意してほしいことがあって来たんだ」


 悩んでいる間に話が進んでいく。

 レオーネは首を傾げる。フェリオは、深いため息を吐いた。


「電話しようかとも思ったんだけど、携帯取られちゃってて」


「取られた!?」


「ああ、まあ」


 ぎょっと目を剥く。フェリオは乾いた笑いを浮かべた。

 なんだか、酷く疲れているみたいだ。体力お化けのフェリオがこうなるのは本当に珍しい。


「携帯取られたんなら急に来たこと強く言えないな」


 それにしても、携帯を取られるという状況がどういう状況なのか、フィズには皆目見当がつかなかった。

 眉をひそめると、無理やりテンションを上げたフェリオが肩をバシバシと叩いてくる。


「迷惑そうな顔でよく言うな、フィズ~。そんなにお兄ちゃんに構ってほしいのかな~?」


「痛い!」


「あはは」


 ちらりと見てみると、レオーネは、怒った顔は止めて、いつも通りに笑っていた。

 ほっと胸をなで下ろすと、同じような表情をしたフェリオは、ようやっと本題に入り始めた。


「あのな、レオ。お前に惚れてるという娘が近々押しかけてくるかもしれない」


「はあ?」


 レオーネが素っ頓狂な声を上げた。

 ……何かと思えば、それはつまり、女の子を紹介するということだろうか?

 いや、押しかけるという表現だと、そういう感じじゃないのか。


「どんな子?」


 やっぱり、これは気になるだろう。レオーネが思考停止しているので、代わりに問いかける。フェリオは何か難しそうな顔で考え込んだ。


「……そうだな。結構美人で」


「おお」


「すごく面白い」


 なんだその情報。


「面白いかどうかの情報いる?」


 呆れた顔を向けてやると、フェリオはいやいや、と手を振って疲れた顔をした。


「それしかないんだよ」


 どんな人なんだろうか。俄然興味が湧いてきたのだが。


「それで、そいつが、カミラって言うんだが、カミラはレオと結婚したいらしい」


 やっぱりそういう人がいるんだなとフィズは感心した。

 レオーネは、魔法学園で首席を取るくらいの実力者で、話をするのも聞くのも上手。それになにより優しくて、いつだって人の為を思える人だ。モテないわけがない。

 自分の考えが合っていたこと、そんな人が師匠なのが誇らしくって、フィズはふふと笑った。

 レオーネが結婚。少し寂しいが、もし付き合い始めても、直ぐに結婚とはならないだろう。フィズが身の振り方を考える時間は、いくらだって──と、そこまで考えて、はたと止まった。


「待って。レオくんが誰かと付き合ったら、あたしって」


 お邪魔虫にも程がある。

 今さら学園をやめる気はないし、レオーネの弟子をやめる気もない。だが、もしそうなれば、実家は遠いからひとり暮らし、は、まだいいが。


「俺と二人暮らしだな」


 ですよね!


「レオくんやめて! 結婚なんてしないであたしとずっと一緒にいて!」


 ガバッと立ち上がると、フィズはレオーネに懸命に訴えた。せめて、せめて稼げるようになるまでは誰とも付き合わないでほしい。働くとか本当に勘弁してほしいけど、この暴君と暮らすより何倍もマシだ。


「清々しいくらいにハッキリした本音が見えるなぁ」


「お、そんなにレオのことが好きなのか?」

「いや、フェリオが嫌なんでしょ?」


「そんなにレオくんが好きなの!」


「あの」


 だだだっと走ってレオーネの後ろに行く。困惑するレオーネを、人質を取るように後ろから押さえ、手で作ったピストルを頭に当てた。


「レオくんと結婚するのはあたしなんだから、お兄ちゃんは早く帰ってください!」


「あのねフィズ」


「なるほど二人はそんなに愛し合って……俺を倒してから行け!」


「なんでだよ」


「やだ、あたしのために争わないで!」


「フィズ」


「──と、まあ冗談はこのくらいにして」


 ぱんと手を叩いて、フェリオが真面目な顔に戻る。あながち冗談でもなかったのだが、話の続きをするからと言われると、黙らないわけにはいかない。

 フィズしぶしぶ、今度はレオーネの隣に座ると、フェリオは額を押さえた。


「カミラな、本当にお前が好きらしくて。俺とお前が親友だって聞きつけて紹介してくれって言われてさ」


 そうしてレオーネに指先を向ける。


「あいつな……たぶんお前の苦手なタイプだから」


 フェリオの忠告に、レオーネはぐ、と息を飲んだ。

 レオーネに苦手なタイプがあるのかと驚いて、いや、人間なんだから、そういうものもあるよなと思い直す。

 でもやっぱり不思議な気分だ。フィズはほうと息を吐いて、何気なく窓の外を見て、絶叫した。

 窓の外に、女の人が張りついていたのである。


「……レオ。すまん」


 頭を抱えると、フェリオは窓を指す。


「来ちゃった」


 呆然とするレオーネを見て、女は、カミラは、にっこりと微笑んだ。

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