第18話

 ごろんと床に寝転がり、窓から雲を眺める。ロイは、幼なじみに言わせればどうにも出不精で、情緒が無いらしいが、こうやって眺めた空を綺麗だなぁと思うくらいの気概はある。夏になれば外に出て草の上でやるし、出不精でもない。いつもそのまま眠ってしまうから、確かに情緒もないのかもしれないし、街に出るのも嫌だけど。


「…………」


 欠伸をして、両手を腹の上に乗せる。仰向けに眠る時は頭の下に手をやるのが好きなのだが、眠ってしまうと手が痺れて大変なので、このスタイルを推奨している。

 ロイは、自分から動くのがあまり好きじゃない。だから、いつも寝転べばなかなか起き上がらないし、何時間でも同じ体勢でいられる。でも今日はなぜか、妙に体が落ち着かなかった。

 その気持ちのままに寝返りを打つ。横向きのこの体勢も好きである。


「…………」


 そのまま数秒が経った。だが、どうしてだか、これも落ち着かない。もう一度転がる。ううん、やっぱり。

 ごろごろと転がっていると、突然足音がして、ロイは首をそちらに向ける。


「ロイ──また寝てる」


 ノックと共にチェルシーが入ってきて、彼女は寝転んでるロイを見て呆れたように笑った。

 前は用が無くても顔を見せに来て、掃除したり料理したりと毎日見ていたチェルシーだけど、今回はなんと一週間ぶりだ。学園に通い始めると、やっぱり毎日来るのは難しいらしい。

 久しぶりに見た彼女は、特に前とは変わっていない。ただ、いつものポニーテールに黄色いリボンが乗っていた。


「どーお?」


 再びごろんと寝転がる。無視スルーの構えだ。

 どうだ、と言われても、ロイにはどう返せば良いのか、皆目見当がつかない。何を言っても怒らせてしまいそうな気がするし、こういう時は相手にしないのが吉だ。

 そのまま「どの日にここに行こう」とか色々誘われるが、生返事をして聞き流した。

 チェルシーは本当に元気だなあ。そう心の中で呟き、目を閉じる。さっきまでの落ち着きのなさは消えていて、今なら、最高の微睡みが手に入るような気がした。


「もー」


 そのまま怒って帰って行くかと思えば、チェルシーは小さく息を吐いた。

 おや、と不思議に思ったロイは、視線だけ彼女に向けてみる。目をつり上げていると思ったチェルシーは、反対に目尻を下げ、小さな子を見るように微笑んでいた。

 肩がびくりと跳ね上がる。心臓が止まるかと思うくらいに驚いたのに、意識してみるといつもの倍の速さで鳴っていた。


「ロイは行かないと思ってた」


 視線が交わった途端、彼女はその顔をやめてしまう。いつもの彼女になってホッとしたような、もっと見ていたかったような。複雑な気分に、ロイは顔を顰めた。


「めんどくさいよ」


「まあいいけどね、なんでも」


 えっ?

 いつの間にか外していた視線をもう一度彼女に向ける。予想外の反応に、口があんぐりと開くのが分かった。


「……どうしたの?」


 なんか今日はいつもと違う。ロイは、寝るのをやめて、出来るだけ真剣に問いかけた。なのに、当の本人は、きょとんとしている。


「なにが?」


「いや……」


 そう聞かれると答えられない。なんで怒らないの、というこの思いも、よく考えるとおかしいことは分かっている。それに、チェルシーの機嫌が良いならラッキーだし、このまま穏やかに二人で過ごせるなら、それがいいに決まってる。なのに、なんだかもやもやした。

 なにも言わないロイに、変なの、と呟くと、チェルシーは手を叩いた。


「そうだ。クッキー持ってきたの。食べるでしょ? はい」


 にっこり笑顔でビニール袋をロイに渡す。ビニール袋には、ロイとチェルシーが好きで、二人でよく行く店のロゴが書かれていた。


「ありがと……」


 何度目かの違和感に、空腹の胃を押さえる。この店に行く時は、いつも二人で、チェルシーはそれを口実になんとか外に出そうと誘ってくるのに。テイクアウトできるのは知っていたが、それをお土産にされたのは初めてだった。

 中身を見るロイに、チェルシーは満足そうに笑うと、じゃあと立ち上がる。

 もう帰るらしい。確かに、そういう日もあるが、でも、一週間ぶりなのに。


「待って」


 気づくと、ロイも立ち上がって、彼女の手を掴んでいた。


「どうしたの?」


 それはこっちの台詞だ。

 そう叫びたくなるのを堪え、ロイは彼女を引き留める理由を探した。なんで、なんでこんな気持ちになるのかが分からない。でもこのまま今日会えないのは嫌だと思った。

 居心地が悪くて足をもぞもぞと動かす。俯いた瞬間にビニール袋が見えて、思いついた。


「あ、せ、せっかく持って来てくれたんだから、一緒に食べようよ」


「ごめんなさい。今から出かけるの」


 あっさりと断られて、次の手を用意していなかったロイは固まる。


(でもそっか。そうだよな……)


 チェルシーが学園に行くと聞いて、気軽に会えなくなると寂しがっていた人は大勢いる。その中の人がすでに誘っている可能性は充分あった。


「だ、誰と、行くの?」


 エミリアやナタリーか、それともマイか。いやでも、この前お菓子の本を見ていたから、一人で買い物かもしれない。

 もしそうなら、きっと自分にもくれるし、荷物持ちくらいはしようか。


「フィズとリュウホだよ」


 だが、ロイの予想はまたまた外れた。二人とも知らない名前だったが、でも、最近聞いた気がする。


「二人ともクラスメートなの。でね、フィズはね、この前市街地に魔物が出て、退治したでしょ? その時に一緒だった子」


「ああ……」


 そういえば、同世代くらいのがいた気がする。でもあの時はチェルシーの安否しか心配していなかったから、あまり覚えていなかった。覚えているのはシルエットくらいだ。


「このリボンもね。フィズがプレゼントしてくれたの」


「え」


「ふふ。いいでしょ」


 頭のリボンを指すと、彼女は小首を傾げて笑う。


「フィズね。このリボンつけながら、黄色が似合うねって言ってくれたの。リュウホも『かわいいね』って」


「…………」


 絶句した。だって男にプレゼントを貰って喜んでるのなんて、そんなの、初めて見たから。

 一つ年上で、同世代の中でも少し高めな彼女とは、目線を少し上げて話さないといけない。

 いつもロイの腕の中で小さくなっているか弱い彼女が、こうやって話しているとやけに大人に見える。それを今日ほど嫌に思ったことはなかった。


「どこに行くの?」


「映画だよ」


 首を傾げると、チェルシーはチケットを出す。

 それは確か、前に行こうと誘われて、断った映画のチケットだった。半分眠っていたので、イマイチ自信はないが。


「僕も行く」


 気づけば、そう言っていた。

 ロイの突然の申し出に、チェルシーは目を丸くすると、眉を下げた。


「でも、今日はもう約束してて……」


 困った様子のチェルシーに、イラついて目を眇める。

 いつもは、ロイがそう言えば嬉しそうに笑うのに、笑ってほしいのに、チェルシーは笑ってくれない。


「これ、ペアチケットでしょ? 四人目はどうするの?」


「それは……今からエミリアかナタリーを誘おうと思ってるけど……」


「一人しか誘えないなら可哀想じゃん」


 あの二人は、双子のようにいつも一緒にいる。それを指摘すれば、チェルシーは「それはそうだけど」と、煮え切らない返事をする。


「でもこれ、恋愛の映画だよ? それにロイ、街にはあんまり──」


「行くったら行く!」


「わ、分かった。分かったから」


 掴んだ腕をぶんぶん振って、あまり言わないわがままを言えば、チェルシーは戸惑いながらも了承してくれた。

 他の年上の女の人逹と違って、彼女に子供扱いされるのだけは絶対にごめんなのに、たまにこうやって子供みたいな手を使ってチェルシーを繋ぎ止める。

 チェルシーが誰と仲良くしようが、ロイには関係ないし、その行動を制限する理由はない。でも、それがどんなやつなのか、顔を見るくらいは許されるはずだ。

 大事な幼なじみと仲良くしてくれている男の姿を想像しながら、ロイは口角だけを上げた。

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