第15話

 口から間抜けな音が出る。はく、と金魚が酸素を求めるように唇を動かして、チェルシーの言ったことを繰り返した。


「かれし」


 音にならず、形にならなかったその言葉を飲み込んで、そこでようやっと意味を理解する。


「違う違う」


「そうなんだぁ」


 慌てて否定すると、チェルシーはあっさり納得してくれた。

 誤解──というほどでもないが──が解けてほっとした。フィズは胸をなで下ろす。とくんと鼓動を打った心臓が、いつものことなのに、いつもと違うことをしているように思えて、フィズは居心地の悪さに後ろ頭をかいた。


「暮らし始めた時は初対面だったんだけど、お兄ちゃんが『魔法習う為に一緒に暮らせ』って、寝ている間にレオくんの家に連れてったんだよね。私は拒否権なかったし、レオくんは……」


 そこで説明を止める。レオーネがどうしてこの同居を承諾したのか、結局フィズは知らない。前の反応を思い出し、意味もなく視線を宙にやった。

 レオーネのいないところでこんな話をして、なんだか、悪いことをしている気分だ。


「……ただのいい人?」


 これが一番当てはまるような気がする。首を傾げると、チェルシーは笑った。


「なにそれ。さすがフェリオさんはファンキーだね」


「でしょ」


 よそ様にそのような評価をいただいていることに、若干の不安を抱いた。あの兄は、いったい何をやらかしているのだろうか。


「でもそっかぁ。『レオーネさんに恋人?』って思って、テンション上がっちゃった。急にごめんね」


「あれ。初対面じゃなかったっけ?」


 レオーネの顔は知らなかったのに、なんだか知っているような口ぶりだ。フェリオから聞いているからだとしたら、どういう話し方をしているのか気になる。

 その疑問に、チェルシーはついっと指先を天に向けると、理由を教えてくれた。


「レオーネさん、結構有名な人なんだよ。この学校を主席で卒業してるし」


「うえっ!?」


「ちなみにフェリオさんも有名だよ。森出身じゃないのに勇者と一緒にいるから」


 雷に打たれたような衝撃がフィズを襲う。

 レオーネに習っていたり、フェリオの妹だったりすることは、もしかして、この学園では特別なことなんじゃないか?

 魔物を退治したことなんかより、もっとフィズに関係ない部分で期待をかけられるかもしれない。そう思うと、なんだかまた不安になってきた。


「あの」


 控えめな声で、チェルシーに話しかける。


「あたしがレオくんに習ってるのとか、お兄ちゃんの妹だってこと、なるべく内緒にしてもらっていい……?」


 DNAがフェリオの妹だと主張してくるので、そこら辺はどうにもならないかもしれないが、こういうことは、意外と言われるまで気がつかなかったりするものだ。幸い、雰囲気のせいで似てないと言われるし、せめて気付かれるまでは黙っていてもらいたい。


「すごい人に教わってるのに、なにも出来なくて恥ずかしいからさ」


 指先をいじりながら視線を落とす。チェルシーはフィズの言葉に目を瞠ると、快く承諾した。


「分かった。内緒にするね」


「ありがとう」


「いいよ。気持ち分かるし」


 やはり、勇者さまと一緒にいるのは、色々と大変なのだろう。魔法を使っている時の彼女と、その後のロイの戦い方を思い出し、そう覚った。身近にあんな凄い人がいれば、自分のしていることが霞んで見えるのも頷ける。

 秘密にしてくれると言われ、ほっとするより先に、分かるよと寄りそってもらった嬉しさよりも先に、彼女の気持ちを思うと、何だか切なくなった。フィズは思わず眉根を寄せる。

 その表情をどう感じたのか、チェルシーはちらりと周りを見て、人がいないのを確認すると、声を潜めた。


「ロイのこと、知ってる?」


「……勇者さまだって話?」


「そうそう。だから、内緒にしてたい気持ち分かるんだ。気にしないで」


 微妙な表情を浮かべるフィズの肩を、チェルシーは元気づけるように優しく叩く。

 気にしているのはそこじゃないのだが、どう伝えたら良いのか分からないし、そもそも伝えて良いかも分からない。


「有名な人と一緒にいると、色々大変だよねぇ……でも、フィズは初心者だって聞いてるし、何も出来ないなんて思う必要、全然ないと思うよ」


 感じた歯痒さから足を動かすと、チェルシーは安心させるようにふわりと微笑んだ。

 目線を向けると、チェルシーは、自分もあんまり魔法が上手くないのだと語る。


「私は、フィズと違ってずっと魔法界にいたのに、情けないんだけどさ」


 彼女が目を伏せた。


「そんなことない」


 強く否定すると、チェルシーは口をつぐむ。

 少なくとも、ロイはあの場にいなかった。あの場にいたフィズは、幼い少女が逃げ遅れたのに気づかなかった。だから、少女を助けたのは、誰でもないチェルシーなのに。

 彼女は自分のことを情けないと思っているのは、なんだか悲しい。


「あの時さ。チェルシーが女の子を助けなかったら、あの子はいなかったんだよ。あの子だって、きっとロイじゃなくてチェルシーにお礼を言うよ」


 だからそう言えば、チェルシーは僅かに目を開いた。


「チェルシーは、すごいよ」


 手を握ると、チェルシーはさっと顔を赤くした。目線をずらすと、擦れた声でお礼が聞こえる。


「すごいだなんて、初めて言われちゃった。ほら、そういうのは皆ロイに言うから」


 顔を顰めてしまった。フィズの微妙な気持ちが伝わったのか、チェルシーは慌てて首を振ると、笑顔を見せる。


「あ、嫉妬とかじゃなくてね。私もよく助けられるし……ロイってかっこいいんだよ」


「かっこいい……」


 確かに、一発で魔物を倒していたし、かっこいいのかもしれない。……いや、でも、泣いている女の子を放置してたのは、肝心な時に助けに来てくれるからって、普段は冷たい、そういう男は、果たしてかっこいいのか?

 感じた疑念は、口に出さないでおく。フィズ的にロイは色ぼけたガキンチョだが、チェルシーの手前、何も言えなかった。

 そんな微妙なフィズの反応は幸いにも伝わらなかった。チェルシーは特に気にした様子なく続ける。


「強い魔物も簡単にやっつけちゃうし、困ってる人を見過ごせなくて、絶対に助けに行くんだ」


「それはすごいね」


 なるほど。それは、フィズ的にも尊敬出来るポイントだ。素直に感心すると、チェルシーは繋いだ手をぶんぶん振る。


「でしょでしょ! 強いんだからっ」


 テンションが上がってきたことにホッとしながら、相づちを打つ。


「でも、だからこそ傍にいる弱い私が狙われやすくって。それに直ぐ怪我しちゃうし……だから、強くなりたくてこの学園に来たんだ」


 繋いだ手に力が入る。思考が明後日に行きそうだったのを再びチェルシーに戻すと、真剣な瞳と目が合った。


「頑張って、ロイに追いつくの」


 その目は、フィズを捉えていたが、全く別の場所を見ていた。


(すごいな……)


 彼女が同じだよと言ってくれたように、フィズも周りにすごい人がたくさんいる。だが、そんな人に追いつくなんて、考えたこともなかった。

 同じじゃない。それで卑屈になろうとは思わなかったが、フィズとは違うと思った。


「大好きなんだね」


「へ」


 思わずこぼすと、チェルシーは固まった。ぽかんと口を開けて、まるでそう言われるのが予想外、みたいな反応だ。おかしいなと首を傾げる。

 フェリオの話だと、自覚しているようだったし、今のは惚気話かと思っていたのだが、違うのだろうか?


「ロイのこと好きなんでしょ?」


「やだ、なんで分かったの?」


 頬を赤らめると、俯く。仕草も表情も可愛らしいが、フィズは半目になった。

 どうやら、あれで隠しているつもりだったらしい。

 色恋沙汰には縁のないフィズが気付くなんて、よっぽど分かりやすいのに。

 内緒にしてほしいと念を押すチェルシーに、みんな気付いてると思うよとは言えず、フィズは、曖昧に笑った。

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