第10話

 髪や見た目を整えると気分が変わる。そんなことは知っていたが、これほど実感したことは今までなかったと思う。

 短くなった毛先を指先に絡める。今までになかったつるりとした感触に、フィズは頬を緩めた。

 美容院で髪を切るのは、実は初めてだ。小さな頃は両親に切ってもらっていたし、物心ついてからは、フェリオにくっついて床屋で切っていた。

 シャンプー以外にトリートメントをすることに驚いたが、美容師に洗ってもらうと面倒くさくなくていい。

 ニコニコと歩いていると、ショーウインドウに自分が映った。そうして改めて見てみると、やっぱりというか、自分はフェリオに似ている。

 服装も適当にフェリオのお下がりのパーカーとジーンズを穿いてきていたので、我ながら男にしか見えなかった。


(レオくん、どう思うかな……)


 もう少し長くしてもらいたかったが、さすがに傷んでいて難しかった。

 知らない人に男に間違われるのはいつも通りなので構わない。だが、街に行くとだけ言って、髪のことは何も言わずに出てきたので、レオーネの反応はちょっと気になる。

 二人分のおやつでも買って早く帰ろう。そう思って、ショーウインドウから目を離す。すると、見知った姿を見つけた。


(あれ? この前の子だ)


 喫茶店で痴話喧嘩をしていた、少女の方である。

 だが、今日は一人だった。視線を巡らせて見ても、近くに少年はいない。

 仲直り出来なかったのだろうか。行く末が気になっていただけに、ちょっとだけ残念で、フィズは眉を下げた。

 彼女は、泣きそうに顔を歪めながら、ばくばくとパフェを食べている。生クリームやフルーツを次々口に入れて、目をごしごしと擦った。


「ったく……ロイのやつ……」


 合間に呟いた言葉は、フィズには聞こえなかったが、なんだか胸が痛んだ。

 自分も相手も一人だ。声でもかけようか。なんとなくそう思って近寄っていく。

 その時、なぜか背中がぞくりとした。

 ガシャンという何かが壊れる音と、それからたくさんの悲鳴が聞こえた。顔を上げて、それを目の当たりにした途端、フィズは血の気が引くのが分かった。

 それは、犬のようにも見えた。四本足で立ち、こちらを威嚇している。低く唸る口からは牙が見え、涎がしたり落ちた。

 しかし、大型犬よりも遙かに大きく、フィズの身長等とっくに超えている。体から瘴気のような煙が立ち、人間を、獲物のように凝視する、それの正体は。


「魔物だ……」


 誰かが呆然と呟いて、悲鳴が聞こえたきり静かだったその場は、再び時が動き始めた。

 我先にと逃げようとする人々で騒然とし、棒立ちになっていたフィズの体に、人が体当たりするように向かってくる。

 ハッと我に返ったフィズも逃げようと走り出したところで、その声は聞こえた。


「きゃあ!」


「危ない!」


 小さな子供の悲鳴。どんっという鈍い音。それを助けたような、少女の声。

 顔だけで振り向いて後ろを確認する。ポニーテールの少女が、小さな女の子を庇って、魔物と対峙しているのが見えた。

 子供を背にして動けない少女に、牙が襲いかかろうとしている。

 急ブレーキを踏むと、その場所にダッシュで走り出す。近くにあった椅子を持つと、フィズは魔物に殴りかかった。


「どおおりゃ!」


 バキッと音がして、魔物が唸る声がする。少女を食べようとしていた口に椅子が挟まり、魔物は顔を歪めた。


「え……?」


「大丈夫!?」


 痛みを覚悟していた少女が、急に現れたフィズに唖然としている。振り返って無事を確認すると、彼女は一瞬の間の後、何度も頷いた。


「じゃあ離れて! もう直ぐこの椅子壊れそう!」


 今はなんとか持っているが、魔物は、椅子ごとフィズの手を噛み砕こうとしている。フィズの指示に肯くと、少女はまず子供を逃がした。

 椅子が軋む音がする。やばい。もう持ちそうにない。

 手を離そうかと考えて、少女が逃げられたか確認しようとする。寒いことに気がついた。


「……?」


 先程から感じていたことだった。涼しくなってきたとはいえ、まだこんなに寒い時期ではない。だけど、さっきよりももっと温度が下がっている感じがした。

 驚いて、手が緩む。持っている椅子が半壊して、しまったと飛び退こうとしたら、鋭い声が飛んできた。


「右に一歩ずれて!」


「え、あ、はい!」


 指示通りに体を動かす。どんっと音がして、魔物に水色の気体が放たれた。


 その気体が魔物の口に触れた途端、そこからどんどんと氷が張って、魔物が飛び退く。

 フィズの顔が輝く。見慣れたあれは、氷の攻撃魔法だった。


(お兄ちゃ……なわけないか)


 期待に振り向くが、少女がいるだけだ。よく見れば、魔物の氷は薄く、もうヒビが入っている。

 ということは、これは少女が放った魔法だ。


「あなた、魔法使いなんだね!?」


 少女の横に移動すると話しかける。


「そうよ! これでも、魔物と戦ったこともあるんだから!」


「よっしゃ!」


 力いっぱいの返事にガッツポーズをする。地面に目を向けると、壊れた椅子があったのでそこから足を拾い上げた。


「とりあえず誰か来るまで持たせよう」


 短いし、威力もないが仕方ない。構えると、少女は目を瞬かせた。


「あなた、剣が扱えるの?」


「一応ね」


 一度も勝ったことはないが、フェリオの猛攻をいなすくらいの力はある。時間稼ぎくらいにはなるだろう。

 氷は、もう直ぐに溶けそうだ。


「ちょっと待って」


 敵を見据えて考えていると、少女が横から抱きついてきた。体が跳ねる。

 いきなり何を始めるのか。視線を向けると、じっとしているように言われた。

 言われるままに突っ立っていると、彼女は体をもっと寄せて、フィズの手を、いや、手にしている椅子の足を掴んだ。


(うわ、胸が当たる……)


 非常事態になにを考えているんだという感じだが、いくら同性でも、恥ずかしいものは恥ずかしい。おまけに何かいい匂いがする。目尻を赤らめると、フィズは俯いた。

 すると、手元に冷気が漂ってきた。ぴきぴきという音と共に、氷が張りついて、椅子の足が伸びていく。

 数秒後には、立派な剣の形になっていた。

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