第9話

 サンドイッチやトースト等、軽食になるようなものは置いてあるが、夕飯になりそうなものはなかった。

 フィズもお腹は空いているし、帰りも歩きだ。少しくらいなら夕飯も入るだろう。

 胃の辺りをさすると、そう結論づけ、顔を上げた。


「夕飯って気分じゃないかも。でもなんか食べたいし、一つ頼んで半分こにしない?」


 その提案に、レオーネは手を叩くと肯いた。


「そうだね、そうしようか。俺、サンドイッチがいいな」


「じゃあ、あたし、ハムが入ってるやつがいい」


「よし、じゃあこれにしよう」


 そうしてサンドイッチと、それぞれ紅茶とジュースを頼む。

 それから頼んだ品が来て、二人でわけあいっこしている時だった。ふいに叫び声がした。


「──もうロイなんか知らない!」


 またあの少女だ。喧嘩は続いていたらしい。

 少女は、ボタボタと泣いている目を擦ると、鞄を引っ掴んだ。それから財布から小銭を何枚か出すと、机に勢いよく置く。


「帰る!」


「えっちょっと、チェルシー」


 戸惑う少年を置いてけぼりにして、彼女は喫茶店を飛び出した。残された少年は、立ち上がりはしたものの、長い息を吐いて、もう一度座る。


(あ、追いかけないんだ)


 先日見たドラマにそんなシーンがあったから、なんとなく拍子抜けしてしまった。っていうか、泣いている子を放置するのはどうなんだろう。フィズには関係ないが、少女が不憫に思えて、頬を引き攣らせる。

 オレンジジュースを飲みながら、今度は少年を眺めた。

 少年は、鴉の羽根のようなまっ黒の髪に、水色の瞳。ショートカットだが、こめかみの右側だけ長く、そこをみつあみにしていた。

 彼のような黒髪は、東の方に行けば多いと聞くが、この国では珍しい。その髪に少し驚き、それから、珍しい髪が目立たないほど少女の方に目がいってたのかと気がつく。

 少女がどう見ても一人で怒ってたからかもしれない。すごい剣幕とまではいかないが、美人が怒ると迫力があるから、少女の方ばっかり見ていた。


「そろそろ帰ろ……」


 頭をかくと、少年はおもむろに立ち上がる。

 絆創膏だらけのその顔は、子供なのに、ずいぶんと大人びて見えた。

 会話を少し聞いたが、身に覚えのないことで怒られていたようだし、フィズは少年にも同情する。

 話を少ししか聞いていないから、フィズにはどちらが悪いかなんて分からない。もしかするとどちらも悪いのかもしれないし、悪くないのかもしれない。

 恋愛のことなんてこれっぽっちも分からないが、なんか面倒くさそうだ。

 気怠そうに喫茶店を出て行く姿に頑張れ、と心でエールを送り、それからふと思った。


「……そういえば、レオくんはお付き合いしてる人とかいないの?」


「ッげほげほ」


 心のままに問いかけると、紅茶を飲んでいたレオーネは咽せてしまった。

 慌てて立ち上がると、向かいに座っている彼の背をさする。そうしてしばらく咽せていたが、徐々に治まったので、席に戻った。


「なに急に」


 備え付けのナフキンで口の周りを拭くと、レオーネは質問を返してくる。


「い、いや……」


 さっぱりよく分からないが、声がいつもよりも険しい。悪いことを聞いた気になって、フィズは眉を下げた。


「さっき喧嘩してたカップルを見てたら思ってさ」


「フィズにはまだ早いと思うよ」


「父親か」


 可愛がってくれているのは知っているし、今のフィズの保護者は実質レオーネだが、妙に真剣な顔でそんなことを言われるのは、ちょっと面白い。

 というか、十五歳だし、こういう話くらいはするだろう。フィズはこれが初めてだが。

 ツッコミを入れると、レオーネは苦虫をかみ潰したような顔をする。彼がこんな表情をするのは珍しい。

 やめようか迷ったが、聞いてくれそうな雰囲気だったので、思い切って続けることにした。


「あの子達、あたしと同じか下に見えるのに、最近の子は進んでるなぁって」


「お年寄りか」


「レオくんモテそうだし……なのにあたしと住んでていいのかなと思って。今さらだけどさ」


 頬杖を突くと、フィズは空になったグラスのコップの縁をなぞる。溶けた氷がカランと音を立た。


「いや、そんなモテないよ……」


「本当?」


 ジッと見つめると、レオーネはフィズから目を逸らす。

 バレバレだ。こんなに嘘が下手で大丈夫なんだろうか。

 そういう態度を見ていると、もしかして、自分が可能性を潰したりしてないだろうかと、不安になってきた。


「レオくんって、なんであたしの師匠を引き受けてくれたの?」


 だからそう問いかけると、レオーネは急に変わった話題に首を傾げる。


「レオくんはあたしに合わせてくれるけど、あたしもレオくんに合わせたいよ。無理してない?」


 毎日毎日、フィズが楽しく、分かりやすいように魔法を教えてくれて、気を遣ってくれる。

 嬉しいし、ずっとこの人の傍にいたいとも思うが、たまにいい人すぎて不安にもなってくるのだ。

 俯くフィズに、レオーネは瞠目する。


「フィズ……」


 手を伸ばそうとしたが、それより先に、フィズが顔を上げて、その手を掴んだ。


「女の人を連れ込みたかったらあたしは一人暮らしでレオくんの家に通うのでもいいし、外に遊びに行ったりもするので……!」


「誰がするか」


「あう」


 手を振り払われた。すごくいい提案だと思ったのだが、お気に召さなかったらしいレオーネは、深々と長いため息を吐く。それきり頭を抱えてしまった。


「なにを言うかと思ったら……」


「ご、ごめ……」


 謝ろうかと口を開く。だが、その前にレオーネが吹き出した。


「えっなんで笑うの」


 今の会話のどこに笑う要素があったのか。不満げな顔を向けると、レオーネは肩を震わせた。

 このやろう。めちゃくちゃ笑ってやがる。


「心配したのに」


「う、うん、そうだね」


 一応抑えようとしているみたいだが、出来ていない。身を捩らせるレオーネを睨むと、彼は目尻の涙を拭いながら、息を整え始めた。どうやら、やっとおさまってきたらしい。

 最後に深呼吸をすると、レオーネは紅茶を飲み干した。


「そんな言葉どこで覚えたの?」


「ドラマで見た」


 なんか、母が男を連れ込む間は、娘に外で時間を潰すように言うシーンだった。異性が来たら、そこにいる子は追い出される傾向にあるようだ。


「もう見るの禁止」


「えー」


「冗談だよ」


 また吹き出すと、レオーネは目を細めて笑った。


「そんなこと気にしなくてもいいよ。フィズといると毎日楽しいからね」


「ほんと?」


 間髪入れずに首肯される。とりあえずほっとした。胸をなで下ろすフィズを見て、レオーネは眩しそうに目を細める。


「それに今は、フィズが一番大切だからね」


 今度はフィズが咽せる番だった。

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