第6話

「ようし。じゃあ、魔法で一番大切なことを教えてあげる」


「ほんと?」


 一体なんなんだろう。

 期待に身を乗り出すフィズの口元に、レオーネの手が伸びてきた。つい、と唇を撫でられて、固まる。

 動けないでいるフィズに微笑むと、レオーネは簡潔に答えた。


「言葉だよ」


「ことば……」


 レオーネの言ったことを繰り返したが、驚きすぎたのか、声はほとんど出ていない。

 最後に頬を撫でると、ようやっと手が離れていった。フィズはしゅるしゅると背を丸めると、目線を落とす。

 なんだか分からないけど、喉が渇いた。視界に入った水に手を伸ばすと、両手でちびちび飲み始める。

 冷たい水が胃に入っていくと、なんとなく落ち着かなかったのがマシになった。

 そんなフィズを見て、レオーネは説明を思いついたようだ。


「例えば、水を生み出す呪文があるんだけど、知ってる?」


「うん」


 フェリオは呪文が言えないとだめなんだと言って、早口で暗唱する練習をさせられた。すでに何年か経っているので、あまり自信はないが。

 促されて、思い出しながらゆっくりと口にする。


「ええと……【波の乙女、ウンディーネよ。我が命に応え、その姿を示し、我が意志に大いなる力を与えよ】……合ってる?」


「合ってる合ってる」


 オッケーサインにホッと息を吐くと、空になったコップをテーブルに置いた。


「でも、本当はそんなに堅苦しい言葉じゃなくたっていいんだ」


 そう前置きすると、レオーネは、指先でフィズが使っていたグラスの下の方をつつく。そして、


「【コップに水を溜めたいです】」


 そう言いながら、側面を、上に向かってゆっくりなぞっていった。

 その指の動きに沿って、コップの中に、みるみるうちに水が溜まっていく。

 すごい。思わず手を叩くと、レオーネはにっこりと笑った。


「さっきの呪文にこだわる必要はないんだ。あれは、魔法理論が発達してない時の人逹が、精霊に力を貸してもらう為に考えた呪文だからね」


「精霊? なあに、それ」


 聞き慣れない単語に疑問をぶつけると、レオーネは空中でぐっと拳を握った。


「昔の人は、魔法を使う時、目に見えない不思議な生き物が力を貸してくれていると思っていたんだ。その生き物が精霊だよ」


 言いながら、手のひらを広げる。するとそこには、氷で出来た小さな人形があった。

 背から羽根が生えているその人形は、レオーネがふっと息を吹きかけると、くすぐったそうに体を震わせ、飛び立った。


「こういう、小さな羽根が生えた子逹ね」


 レオーネが指先で操作すると、その人形はくるりと回転したり、フィズの肩に乗ったりする。

 かわいい。フィズが指先を伸ばすと、レオーネはくすりと笑って、人形と握手させてくれた。


「この精霊逹に『水を分けてくれませんか?』とか」


 レオーネの言葉に合わせ、精霊が彼のコップに水を注ぎ、


「『火をおこしてくれませんか?』とか」


 燭台のロウソクに火をつける。


「色々と頼み事をしているから、あんなに堅い言葉なんだよ」


「そっかあ」


 昔の人が考えることは、それぞれ的を射たものだったり、突拍子もなかったりして、面白いものだ。


「映画とか、メディアでもあの呪文が主流になってるから、今まで魔法を使わなかった人でもイメージがしやすいよね。だから統一する為に学園では一度あれを教えるけど、自分が分かってたら、簡単なものでも構わないんだよ」


 へえ、と相槌を打つ。面白いし、納得もしたが、僅かにショックだった。

 あの暗唱特訓はなんだったんだろうか。走り込みしながら繰り返させられりしたけど。


「覚えて損した」


 落胆するフィズに困ったような笑顔を浮かべると、レオーネは再び人形を飛ばした。


「でも俺、魔法理論では否定されてるけど、さっきの話わりと好きなんだよね」


「精霊の話?」


「うん。別に精霊の存在を信じてるとか、そういうんじゃなくってさ」


 頭上を飛び回る精霊を二人で見上げる。あの生き物と暮らしたい。

 若干ズレたことを思いながら、フィズはレオーネの話に耳を傾けた。


「古代の呪文には、感謝とか、お願いとか、そういう願いが込められてるからね。『これがしたい』っていう、想いの形なんだ。そういう起源をちゃんと理解すると、知ることが楽しくなってくるよ」


 確かに今、すごく楽しい。彼の言葉はフィズの中にすんなり入って、溶けていくようだった。


「それに、魔法はイメージが大切だからね。想いを口にするってことが、結構重要なことなんだ」


「想いを……?」


「フィズ。覚えておいて」


 ぱちん。彼が指を鳴らすと、飛んでいた人形がいなくなり、雪となって降ってくる。


「魔法は言葉。言葉は魔法だよ」


 目を瞠ると思わず手を伸ばす。そんなフィズの指先に、レオーネの手が重なった。


「言葉も魔法も、想いの形なんだ。言葉を大切にしなくちゃ、魔法をかけられない。俺みたいに慣れてきたら言葉がなくても通じるようになるけど、でも、そういう相手にこそ、言葉が必要なんだ」


 指先が絡んで、視線を向ける。いつもは優しい蜂蜜色の瞳が、真剣な色をしていた。


「言葉をおろそかにしてはいけない。通じる相手とも通じなくなってしまう」


 その瞳の奥に、僅かに陰りが出来たのを感じて、繋がれた手に力を入れる。


「だから、ちゃんと相手に伝えようと思うことが大切なんだよ」


 彼がなにが不安で、なにを伝えようとしているのか、自分はきっと、半分も分かっていない。だが。

 とりあえず、受け取ろう。

 小さく頷くと、レオーネは、僅かに頬を緩め、緊張していた体から力を抜いた。

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