魔法使いへの道
第3話
あれから三日経ち、フィズの生活は一変していた。
まず、住み家が変わった。新たな登場人物と兄のプレゼントのせいで気が付いていなかったが、よくよく見てみたら、ベッドごと違う家の部屋に移されていたのである。どうやらそこは、レオーネの家で、彼と強制的に二人暮らしをすることになっていた。
「ベッドごと移動って、アホかな」と思ったが、引っ越しは面倒だし、そこは兄を許した。
フィズがそこで怒ると思っていたレオーネは、何か言いたそうにしていたが、せっかくのやる気に水を差すまいとやめたようだ。
そんなわけで、山奥にある実家から、街中にあるレオーネの家に引っ越し、彼との二人暮らしが始まった。
フィズにとっては、やる気に満ちた新生活のはずだった。だが、あの時燃えた心は、三日の間に冷めていた。
今までがだらけきった生活だったので、朝が辛かったが、そこはフェリオがいる時と同じなのでじきに慣れる。
問題は、腹筋や立て伏せの筋トレと、走り込み等の体力トレーニングをさせられていることである。
回数自体は少なめだが、なんせ久しぶりなので体が悲鳴を上げている。魔法使いは虚弱だなんだのと言い始めたのは、一体誰なんだろう。何が頭脳派だ。バリバリの肉体派ではないか。
脳内で見たことない人逹に喧嘩を売りながら、フィズは、最後の腕立て伏せを終えた。
落ちるようにうつ伏せで寝転がる。その脇で、レオーネが拍手をした。それから倒れているフィズに近づくと、頭を撫でる。
「すごいよ、フィズ。今日もちゃんと出来たね。えらいえらい」
ふふと笑うと、レオーネはスタンプセットを取り出した。
「今日はスタンプ何にしようねぇ。カエルかな、やっぱり」
なにが「やっぱり」なんだろうか。
「いやでもクマも捨てがたいな……」
すごくどうでもいい。
だがレオーネはその「どうでもいいこと」がとても気になるらしく、壁のカレンダーにスタンプを押そうとして、やっぱり止め、悩むのを繰り返している。それを見ていると、フィズとしては、この人はなにがしたいんだろうと思うわけで。
(もしかして、教える気がないとか……)
でも、兄も魔法には体力が大事だと言っていたし(なに言ってんだろうと思っていたが)、いやでも魔法を教えてくれる気配はない。「待って、まだ最初だし……」と、そんなことをぐるぐる考えて、聞こうか迷っていたら、すでに三日が経っていた。
魔法の特訓が始まってから、トレーニング中に怒りがこみ上げては、レオーネの笑顔を見るとしぼむのを繰り返している。レオーネにそんなつもりはないかもしれないが、手のひらの上で転がされているようで、腹が立った。
「なんでこんなことしなくちゃいけないの……」
なんだか虚しくなってきて、つい恨み言が口から出てしまう。
それにレオーネが振り返って、フィズは口元を押さえる。
文句を言うにしても、こんな言い方をすれば怒られるかもしれない。
いや、怒られるならまだいい。一番嫌なのは悲しそうにされることだ。
「こんなことって?」
きょとんとしたレオーネが首を傾げる。
誤魔化そうか一瞬迷ったが、結局出てこなかった。なんでかフィズは、この人の前では嘘がつけない。
早々に腹をくくって、正直に話すことにした。
「た、体力作りみたいな……こういうのって、騎士とかがやることじゃないの?」
フェリオは、騎士になりたいという名目でトレーニングをしていた。魔法を習いだしてからももちろんしていたが、それは今までの習慣や、もしくはフィズと遊びたいだけだと思っていたし、フェリオが言っていた「体力が大事だ」だなんて言葉は、正直眉唾ものである。
「そっか、それを知らないのか」
フィズの文句兼質問に、レオーネは少し考えて、スタンプを仕舞った(結局うさぎにしたらしい)。
反応が怖くて身構えていたが、レオーネはフィズの予想とは違い、眉を下げて謝る。
「なにも言わないから、フェリオから聞いて知ってるのかと思っちゃった。ごめんね」
「いらないの?」
「いるとも言えるし、いらないとも言える」
なんだそれは。顔を顰めたフィズに苦笑すると、レオーネは冷蔵庫から飲み物を出した。
勧められて、おずおずと口をつける。ほんのりと甘いそれは、スポーツドリンクのようだった。
キンキンに冷えたドリンクが喉を通って、胃に入っていく。生き返るような心地だ。
フィズの顔が綻んでいくのを見て、くすりと笑うと、レオーネは質問を投げかけた。
「フィズは、魔法の仕組みは知ってる?」
「……なんか、自分のエネルギーを魔法に変えてる? とか……」
フェリオに聞かされたものをそのまま答える。正直よく分かってないし、あやふやだが、どうやらこれで正解らしい。
「そうそう。よく知ってるね」
「何万回と聞かされたからね……」
ふ、と遠い目をする。その反応に、レオーネは思い当たることがあったようで、苦笑交じりに昔を懐かしんだ。
「そういえば、授業でやったことを妹に聞かせてやるんだって大騒ぎしてたなあ」
「でも説明はよく分かんなくて。『エネルギーを魔法にするんだ。だから体力だ!』って、そればっかり」
「さすが脳筋」
ここぞとばかりに愚痴を言うと、レオーネはそれを笑って受け止めてくれた。
やっぱりそういう認識なんだなと僅かにホッとする。この人にまでそういう説明をされたら、途方に暮れるところだったし、今度こそ逃げ出していた。
「例えば、こうやって、手をグーパーするとするだろ?」
レオーネは手を出すと、手の平を開いて閉じる。
それにフィズが頷いたのを確認すると、そのまま自分の頭をコツンと叩いた。
「これは、脳みそが『手をグーパーさせる』っていう命令をして、それに則って手が動いてるんだよね。俺が今喋ってるのも、そうだし」
レオーネが指先を上げると、彼の背後から、ボールが飛び出して来た。向かって来るボールを、フィズは片手で受け止める。
「今のフィズの動きもそう。全部脳が指示を出してるんだ。意識してるのと無意識との差はあるけどね。フィズは反射神経がいいね」
そういえば習った気がするな、と学校の授業を思いだした。ずいぶんと経つから、あやふやな部分も多いが、これぐらいならフィズも知っている。
「魔法も同じで、脳が命令したことを受けて、自分の体のエネルギーを魔法に変えているんだ」
言いながら、ペンを出すと、レオーネは空中に絵を描いていく。
説明によるとこうだ。
脳が出した命令は、一瞬のうちに神経を通り、体内のエネルギーを使って魔法に変える。
この体内エネルギーを「魔力」と呼ぶ。魔力は、魔法をぼんやりとしか知らない人でも、一度は聞いたことがある単語だ。もちろんフィズも知っている。
自転車なんかと一緒で、初めは上手くいかなかったり、意識しないと出来なかったことも、訓練で体に覚えこませることで魔力を自由に操れるようになるのだという。
案外、スポーツみたいなものなんだな。魔法が特別なものだと思っていたフィズは驚いた。魔法というものは、思ったよりもずいぶん身近にあるもののようだ。
「──でもせっかく使えるようになっても、虚弱な体だと、負担がかからないように、脳が無意識に力をセーブしてしまうんだ。そうすると、簡単な魔法でさえ、ものすごい体力と魔力を消耗する」
「へえ……」
「だから、単純に魔法を使うだけなら体力はいらないけど、色んなことがしたいならあったほうがいい。こういうことかな」
フェリオが言ってたのは、こういうことだったのか。ようやく合点がいって、嬉しさと怒りとがまぜこぜの不思議な気持ちになった。説明が下手にも程がある。
「まあ、さすがに、あんなに回数をこなす必要はないけどね。明日から減らして構わないよ」
「えっ」
「ごめん。フィズがどんな子か分かんなかったから、様子見してた」
えへ、と悪びれもせずに告げられて、一気に脱力する。
そしてふと思った。久しぶりのこの回数で、減らして構わないなら、いっそやらなくても……?
レオーネの表情をうかがう。フィズと目が合うと、レオーネは満面の笑みを浮かべた。そして、おもむろに話し出す。
「昔は魔法って良くも悪くも特別なものだったから、体を鍛えたら解決するなんて誰も思わなかったらしくてね」
「う、うん?」
お説教だろうか。分かりやすかったかな、と内心で舌打ちをする。そんなフィズに、レオーネから耳を疑う言葉が飛び出した。
「東方の国とかは、いまだにそんな感じの認識らしくて、稀に魔法を使いすぎて死んでしまうこともあるんだ」
「死……っ!?」
「一般的な体力があれば大丈夫なはずなんだけど……まあ、そういう人達は、閉じ込められたりしてたみたいだしね」
それにしたって、死んでしまう可能性があるなんて。魔法がなんでも出来る夢の力だと思っていただけに、今の話は衝撃が強い。
固まるフィズの肩を掴むと、レオーネは目をジッと見て言い聞かせた。
「だから、フィズは大丈夫だと思うけど、体力作りは継続してやっていこう。分かったね?」
何回も頷く。だって、だらだらする為に死にたくないもの。
それを見たレオーネはホッと息を吐くと、頬を緩ませる。
(あたしの為に言ってくれてるんだよな……)
正直、トレーニングはまだ面倒だなとは思う。だけどそれが、自分の為だと分かっているから、素直に聞けた。
ついさっきまでは疑っていたが、本当にちゃんと教えてくれるんだなと安心もしたし、こうしてフィズと向き合っている姿を見ていると、ふと、レオーネはどんな人なのだろうと疑問に思う。
優しそうだと思ったら、話を聞いてもらう為に魔法で力を抜けさせたりするし、そもそもフェリオに妹を任されるくらいの人物だ。さすがにそこら辺は兄を信用している。それから、どうしてフィズと暮らして師匠をするのを引き受けてくれたのかも謎だ。
だってレオーネは、お金を貰っているようにも、脅されているようにも思えない。
「さて、フィズ。ここ三日間、君のことを見ていて思ったんだけど」
なんでだろう。思考に耽っていると、名前を呼ばれて、意識を戻す。
「フィズはね、引きこもっていたにしては体力があるし、何かをやり遂げる根性がある。でも積極性がないみたいだね。俺がいないとやろうとしない」
……叱られるのだろうか?
「悪いことじゃないよ」
さっきサボろうとしていたのを思い出して眉を下げる。そんなフィズに慌ててつけ足すと、レオーネは頭を撫でてきた。
「君はほぼ強制されてるようなものだし、それでも最後までちゃんとやるんだから。えらいね」
彼に頭を撫でられるのは、結構好きだ。目をつむって受け入れると、レオーネは頬を緩めた。
「でもこれだと、フィズが楽しくないでしょ。だから当分の目標は、フィズが魔法を好きになることにしよう」
目が丸くなるのが分かる。きょとんとするフィズに、レオーネは、とびきりの笑顔を見せた。
「一緒に頑張ろうね、フィズ」
「…………」
魔法を好きになんてなるわけない。
しんどいし、怖いし、難しい。フィズにとっては、ただダラダラする手段のはずで、好きになるだなんて、そんなことは考えてもみなかった。
レオーネがどういう人なのかも分からないし、頑張るのも嫌いだ。
だが、この人となら苦手なこともやれるかもしれない。彼を見ていると、なぜかそう思った。
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