第2話

 師匠? 魔法学園への入学資格? ああ、そういえば、さっきこの人は、「君の指導を任された」と言っていたっけ。


「いらない!」


 力いっぱいに叫ぶと、フィズは魔法の効力がなくなった手紙をぶち破った。

 隣のレオーネの肩が揺れるが、気にせずに続ける。


「なにこれ。師匠!? 魔法学園へ入学!?」


 めちゃくちゃいらない。トップレベルでいらない。七歳の誕生日に貰ったリアル虫の貯金箱を、軽々と超すレベルでいらなかった。


「いらないよー!」


 しまいには涙が出てきた。地団駄を踏むフィズに、レオーネは肩を落とす。


「いらないのか……」


 そうだよ、いらないよ。あんたも、乗せられてこんな山奥まで来てるんじゃないよ。

 心でツッコミを入れながら、レオーネを睨もうとする。だが、予想以上にしょんぼりしたレオーネの姿に、怒りの気持ちはしゅるしゅるとしぼんでいった。

 頼むから、そんな顔をしないでほしい。兄の影響で強いものばかりに触れてきたからか、フィズは、女子供や、動物にてんで弱いのだ。

 だから大の男といえど、こんな大型犬のような目で見つめられると、強く出られない。

 明らかに兄の作為を感じ、フィズが顔をしかめると、レオーネは頭を下げた。


「フェリオから聞いて、フィズはてっきり魔法が使えるようになりたいんだと思ってたや……ごめんね」


「うっ」

 思わずよろめく。

 この人も、兄に頼まれて来ただけの被害者なんだよな。そう考えると、罪悪感が募っていく。

 完全に勢いを無くしたフィズに、レオーネが問いかけた。


「魔法以外に、他にやりたいこととかがあるの?」


「え、えっと……」


 返答に困った。やりたいことなんていうのは、特にないのだ。

 いや、ないどころか、むしろ何もしたくない。

 この質問を投げてくる人が、家族や、フィズのぐうたらを馬鹿にしてくる人なら、堂々と話せる。だけど今、どうやら心配をしてくれているらしいこの人に話せるかというと、答えは否である。フィズは、怠け者の自分を恥じたことはないが、誇っているわけではない。

 だからといって、他の答えが思いつくわけでもなかった。咄嗟に嘘を吐く機転もないが、混乱しているからだ。

 ずっと黙って考えていると、ふいに頭を撫でられた。顔を上げて、自分がいつの間にか俯いていたんだと分かる。


「大丈夫。なに答えても怒らないし、馬鹿にもしないよ」


 怒られることを懸念しているわけではなかったが、黙りっぱなしなのも悪い気がして、おそるおそる唇を動かした。


「……と、特に……」


「ん?」


 優しいというのは、果たして美点なのであろうか。優しいから逆らえないという時もあるんじゃないだろうか。

 今のフィズがまさにそうだ。こう優しくされるとつっぱねることも、堂々とすることも出来ず、とうとう観念した。


「……だらだらしたいです……」


 ああ。居た堪れない。居た堪れなさすぎる。

 そわそわと体を動かすフィズに、レオーネは一瞬キョトンとしたが、数秒経って盛大に吹き出した。


「ん、ふふ。そ、そうなんだ」


 なんとなく気を遣われるのを想像していたフィズは、反対に笑い飛ばされてびっくりした。


「いや、ごめん。清々しいね。だらだらね。ふふ」


 呆気にとられるフィズをおいて、レオーネはくすくすと笑い続ける。自分の発言で笑われているのは堪らなく恥ずかしかったが、不思議と嫌な気分ではなかった。きっと、レオーネの笑いが、馬鹿にされているように感じなかったからだ。

 レオーネは、しばらく腹を抱えていたが、ようやっと笑いが治まると、目尻の涙を拭いながら提案をする。


「だらだらかぁ……だったら、魔法を使えるようになるのは良い案かもしれないね」


「えっ?」


「ほら、魔法属性がついた道具って、結構高く売れるでしょ?」


 そういえば、そうだったかもしれない。いくら世間の事情に疎いフィズでさえも、魔法というものがいかに稀少で、価値が高いのかは分かる。その上、魔法属性がついた道具は、魔法が使えない一般人でも使えるし、マニアにも人気があるのでプレミア価値がついたりする。

 フィズは別にお金が欲しいわけじゃないから失念していたが、それは今困っていないからだ。確かに、今後もだらだらと生きていくためには、お金が必須である。


「それにね」


 レオーネがパチンと指を鳴らす。

 すると、鉢植えに生えていた植物にトマトが成った。それから彼が指先を天に向けると、トマトがフィズのところにふよふよと浮いてくる。

 思わず手を出すと、トマトが乗った。赤くてつやつやしていて、とっても美味しそうだ。

 レオーネを見ると、彼はにっこりと笑って頷く。GOサインが出たので遠慮なくかじりつくと、ぷちっと音がして、中身が飛び出してきた。甘くて瑞々しくて、調味料をつけなくても充分美味ししい。

 フィズがトマトを食べているその間に、レオーネは魔法でお茶を注ぎ、トマトや他の野菜を切ってサンドイッチを作った。

 それを皿の上に乗せながら、レオーネはフィズに笑いかける。


「魔法が使えると、こういうことが出来るようになるよ」


「やります」


 手を強く掴んで即答した。

 魔法ってすごい。今までは、炎だの氷だのをどばっと出したり、何かを破壊したりする大味の攻撃魔法しか見たことがなかったフィズは、レオーネのパフォーマンスにすっかり感動してしまった。


 歓声を上げるフィズの横で、レオーネはほっと息を吐く。彼女が魔法を勉強することも、学園に通うことも、すでに決定事項なので、ぐずられたら途方に暮れるところだったのである。もちろんそれは秘密だが。


「そうだよね。自分でちょちょいと出来るようになれば良いんだよね」


 その「ちょちょい」がとんでもなく難しいのだが、レオーネは言わずに、拍手して盛り上げる。

 フィズは燃えている。魔法をマスターし、兄から逃れ、山奥で適当にだらだらして過ごすのだ。目指せ隠居だ。


(魔法を覚えて、お兄ちゃんが来ない場所で生活してやる)


 こうして、フィズの魔法を学ぶ人生が始まったのだった。

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