フィズの言ノ葉魔法論
七篠空木
一幕
誕生日のプレゼント
第1話
瞼の裏が明るくなって、朝が来たことを理解した。
しかし、フィズは目を開けず、そのままでいる。
だって、今日も何の予定もないから。
フィズには仕事も学校もない。友達と会うこともない。ただ一日、布団という名の恋人と寝転がって、毎日ぐうたら生活を送っている。
一日何も予定が無いというのは最高だ。
朝の騒がしい空気の中、一人だけ布団を被っているという仄かな罪悪感と、それ以上の優越感。間違いなく至高の時間である。
もし神様に会って何かもらえるとすれば、お金でも愛でも友達でも平和でもなく、最高の寝具一式をもらう。
そんなことを考えながら、フィズは、ズレた掛け布団と一緒に、口角も引き上げた。
「二度寝だぁ~」
ぽすんと寝返りを打ち、うきうきとしながらお気に入りのクッションを抱き締める。
しかし、その恋人との語らいに、突如として知らない声が割り込んできた。
「もうお昼だよ。二度寝どころじゃないよ」
「え?」
丸まった背中を伸ばす。今の声は両親でも、厳しい兄でもない。両親でも兄でもなければ、フィズの寝室に入ってくる者は、変質者しかいないのだ。
微睡んだ思考がしゃっきりして、背中に冷たい汗が流れる。
重たい頭をゆっくりと持ち上げ、おそるおそる目を開いて視界に入って来たのは、金髪の男だった。
「あ、起きた」
フィズと目が合うと、男は胸を撫で下ろす。それからにっこりと笑った。
「おはよう、フィズ」
口から悲鳴が漏れる。フィズは素早く立ち上がると、お気に入りのクッションで、目を丸くしている男を殴った。
「変態! 変態! どこから入って来たの!」
「い、いや俺は、ぶへっ、ちょっ、ちょっと待って」
なんだか叫いているが、変質者の言葉を聞いてやる余裕はない。
ありったけの力を込めて男を殴る。男は、フィズの勢いに飲まれていたが、やがてため息を吐いた。
フィズはなにもしていなかった。だが、クッションが手から外れ、男の手に渡る。
ぱちん。彼が指先を鳴らすと、フィズはその場に座らされた。
頬が引き攣る。自分の動作を強制的に決められるこの感覚には、非常に身に覚えがある。
「あ、あなた、魔法使いなの……?」
フィズが震える声で尋ねると、男は笑顔で肯いた。
「そうだよ。直ぐに魔法だって分かるなんて、さすがフェリオの妹さんだね」
「お兄ちゃんの知り合い……?」
男から兄の名前が飛び出して、フィズに衝撃が走る。
兄の知り合いで魔法使い。と、いうことは。
「殺される……!」
導き出された結論に、フィズは立ち上がるとドアに向かって走り出した。
フィズにとって、兄のフェリオは、恐怖の対象である。
幼い頃、かっこいいという理由だけで騎士を目指していた彼は、謎の鍛錬にハマっていた。
筋トレや走り込みはもちろん、剣を振り回したり、木登りや、川で泳いだり、崖を滑り落ちたり……それはもう、色々と。
危険なことも多かったが、化け物みたいな体力と精神力を持つフェリオは、不思議と大きな怪我なくそれをクリアしていた。
問題は、フィズも毎日それに付き合わされていたことである。
三歳やそこらの歳からあちこち連れ回され、特訓と称した無茶振りをやらされた。両親が忙しく、四つ下の妹の面倒を見なければいけないので、本人的には遊んでやってるというスタンスなのが腹立つポイントだ。
筋トレや走り込みはともかくとして、崖滑りってなんなんだろうか。「あれはよく分かんなかったな」とフェリオも笑っていたが、フェリオが思う厳しい訓練を無理やりさせられたフィズは、堪ったものじゃないのである。
暗い洞穴に一人で置いて来られた時は、大きくなったら必ずこの傍若無人な兄をぶち殺すと思ったものだが、大きくなった今も、残念ながら兄は恐怖の対象で、超えられない壁だ。
だから数年前、突然彼が「魔法使いになる」と家を離れ、一人暮らしを始めた時、フィズは三日三晩神に感謝した。
そして、ここぞとばかりに引きこもり、ずっとベッドでだらだらと寝て過ごしている。
暖かい布団は最高だ。出来れば一生をこの上で怠惰に過ごしたかった。
だが、幸せは長くは続かないものである。フィズのことが大好きらしいフェリオは、定期的に帰ってきてはフィズに特訓を強いるのだ。
冗談じゃない。なんか魔法を覚えてパワーアップしているし、今度は習った魔法をフィズに特訓し始めるし、肝心の説明は何を言っているのか分からないときた。
フェリオの特訓が地獄なのは、無茶振りももちろんだが、出来るまでやらされることだ。
もし、フィズが教えてもらった新しいことを出来なくても、兄は怒ったりしない。だが、「特訓が足らないかなぁ」と笑顔でバンジージャンプさせるような暴君なのである。
そんなわけで、逃走しようとしたフィズの腕を、男は慌てて掴んだ。
「ちょ、ちょっと待って!?」
「離して! お兄ちゃんが来る前に逃げなくちゃ!」
必死に振り払おうとするフィズに、男は手を上げた。
思わず肩が跳ねる。何をされるのかと身構えるフィズの肩を、彼は優しく叩いた。
落ち着いて。そう優しいトーンで語りかけられ、フィズは混乱する。
いったいなんの罠なのだろう。彼の背中に見えないはずの兄の笑顔が見え、フィズは恐怖した。フェリオが笑顔を見せる時は嫌なことしか起きないと、長年の生活で刷りこまれている。
「大丈夫、フェリオは来ないよ」
だからそう言われても、悪魔の囁きにしか聞こえない。彼の囁きを、フィズは即座に否定した。
「うそだ。お兄ちゃん言ってたもん。『お前のぐうたらが直らなければ、魔法使いに仕立て上げてやる』って」
「それでどうして『殺される』なんて発想になるのか分からないけど……」
「お兄ちゃん直々のしごきだよ!? 地獄を見るに決まってるじゃん! 離して!」
血走った目を向けるフィズに、男は面食らったようだった。
一瞬のけ反るが、何が彼を動かすのか──フェリオに脅されているのだろうか──それでも、フィズが逃げるのを止めようとする。
(ああ、もう!)
男は、なかなかにしつこかった。
血液の足りていないような、くらりとする感覚に、フィズはイラついて目をぎゅっと閉じる。
仕方ない。こうなったら、実力行使だ。ちょっとだけ眠っといてもらおうか、なんて、拳を握った。
「あ、いやえっと」
それが見えたのか、困ったように笑って、男はもう一度フィズの肩を叩いた。とんとん、と指先が触れる度、体から力が抜けていく。
魔法だ。魔法で、フィズの体の力を抜かせている。怖すぎる。
男の鬼畜の所業に戦慄するが、フィズは屈するわけにはいかなかった。この男よりも、兄のフェリオの方が何倍も怖いからである。
ぐっと足に力を込めて、ドアノブを支えに立ち続ける。だが、その手を握られ、耳元でふっと息を吹きかけられた途端、フィズは負けてしまった。
ぞわわ、と首筋に悪寒が走って、膝ががくんと落ちた。ついに座り込んでしまったフィズに、男は申し訳なさそうに眉を下げる。
「ごめんねぇ、話を聞いてほしくて」
それは、聞かないと殺すという意味だろうか。ぞくぞくが残る耳を押さえ、不信の目を向ける。
フェリオの魔法は、氷やら炎やらをどばっと出して、派手に力を誇示したがるスタイルだったが、なんだかこの男は、フェリオよりも魔法の使い方が繊細だった。性格の違いもありそうだが、フェリオよりも出来る人かもしれないということだ。フィズにとっては、この男は未知なる生物にカテゴライズされた。
怖がるフィズの頭を撫でると、男は自身を指す。
「フェリオじゃなくて、俺が君の教育を任されてるんだ」
「……あなたが?」
「そうだよ。フェリオは忙しいやつだからね」
……そういえば兄は、勇者さまにくっついて、魔物退治をしていたりすると言っていたのを思い出す。おそらく、彼が言っていることも本当なのだろう。だって、騙す理由がない。
兄が来ないとなると、脅威は一つ減った。次は目の前の男だ。
彼から逃げるのはどうにも難しいと分かった。戦うにしても、敵を知らなければならないだろう。
そんなわけで、ようやく男と話す気になった。正面から彼をきちんと見る。そうして、かなり驚いた。
(普通の人だ……)
魔法使いというと、どうにも時代に取り残されているような印象がある。
魔法だなんて、しかもそれを生業としているなんて、胡散臭い人種だという気がする。
フェリオの知り合いだという点もフィズの不信感を高めていた。ゴリラみたいな、筋肉の主張が強い人だったら、今度は地を這ってでも逃げようと思っていた。
だけど、実際に見てみると、本当に普通の人だ。
男の格好は、そこらを歩いている人と同じようなTシャツとGパンだったし、どちらかというと痩せ型の体系で、筋肉の主張も強くはない。
肩口で緩く纏めている髪は、窓から入ってきた光を浴びてきらきらと輝いている。今は昼間なのに、それが月の光みたいだと感じるのは、単純に髪の色がそうだからなのだろうか。
蜂蜜色の目元は涼しげで、笑うと大人っぽい印象になった。
特別顔がかっこいいというわけではなかったが、爽やかで優しい雰囲気の男だ。
「俺はレオーネ。君のお兄ちゃんの友達だよ。魔法学校で同期だったんだ」
「お兄ちゃんの友達……」
兄に人間の友達がいたことが驚きである。フェリオと彼が並んで話しているより、熊を連れて来て、友達なんだと紹介された方が想像に容易い。
微妙な気持ちになっていると、白い封筒を渡される。
「これ、君のお兄ちゃんからだよ」
「お兄ちゃんから?」
宛名を確認すると、確かにそこには、兄の特徴的な文字でサインが書いてあった。封を開くと、そこから兄の声が聞こえてくる。どうやら魔法がかけられているようだ。
「かわいいクソ妹、フィズへ」
ハートマークが付きそうな声でクソとか言うな。
フィズが半目になる。宛名だけですでにお腹いっぱいなのだが、残念ながら手紙には本文があった。
「今日は、お前の十五歳の誕生日だよな。おめでとう。でも、お前はきっと、十五歳になっても毎日学校にも行かず、家にこもって寝てばかりいるんだろう」
そういえば今日は誕生日だった。昨日までは確かに覚えていたのに、寝たらすっかり忘れていた。記念日に興味がない上、曜日や日付にも頓着しない生活を送っているので、毎年、自分の誕生日も兄に言われてようやく思い出している。
なんだかんだ欠かさずに祝ってくれる辺りはいい兄なのだが、そのプレゼントはろくなものだったことがない。
そこでハッと気付いた。誕生日のお祝いの手紙。毎年の要らないプレゼント。
ちらりと見ると、兄の手紙は続いている。魔法がかけられているせいか、手紙は破れないみたいだった。それなら耳を塞ごうと思ったが、もうすでに遅い。
「だから、誕生日プレゼントとして、お前に師匠と、魔法学園への入学資格を与えます。頑張ってね」
ほらな、ろくなものじゃない。
思わず目眩がして、フィズは頭を押さえた。
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