衷情と、こころ





「ソルン様、格好良いですね〜!!ヴィーンは殺すのにちょっぴり躊躇っちゃいます!」



「そのまま躊躇ってくれてたらいいけどな。エマ、止血しておけ。こいつは倒す」




返事なんて出来なかった。


人間は痛みを感じると同時に恐怖も感じるのだと呑気に思った。



赤黒い液体は静かに右腕を流れて、先程まで細やかに掃除されていた床に滴り落ちる。

その様子は脳に焼き付いて痛みが襲ってくると同時に消える。



(いたい)


(やっぱりついてくるんじゃなかった。大人しくしておくべきだった)



荒くなった息と共にしゃがみこみ、杖を構えたソルンを見上げる。


圧倒的に不利な戦い。


誰かが助けに来ることも無く、足手まといまで横にいるのだ。彼はきっと呆れている。


あしでまとい。


いつものことが。いつものことなのに。



「ソルン様と雑魚、さようなら〜〜!!!」



黒い眩しい光がソルンとわたしをめがけて襲いかかる。


避けられない。


ソルンは防御魔法が上手だから大丈夫なんて安心していられない。


彼女はナイフを持つような狂人なのだ。


もう、目にしたものの情報なんて信じられなかった。



もう、何にも頼れない。頼ってはいけない。



あの時と同じように、殺される───?






「…あっソルン様は防御魔法がお得意なのでした!防がれて終わりですね」



黒い光は襲いかかる直前、ソルンの防御魔法にぶつかる寸前に、彼女の攻撃は解除され黒い灰のようになり散る。


そして唐突に、彼は光のない瞳で彼女を見つめて言った。



「…………お前は俺をなめてるよな?」



「……ん〜っ…はい!とってもなめています!ご主人様がソルン様は落ちこぼれの屑だと仰っておりましたし、ヴィーンより弱いと断言しておりましたよ?」



「そんなこと…、ない、から…ソルンは強いんだから…!」



絞り出した声はあまりにも醜く掠れているということが声を出すまで分からなかった。


それでも、弱いなんて彼に対し言って欲しくなかった。


彼は優しいし、どこまでも人のことを考えてくれる。

日々鍛錬だって欠かさない。


そんな努力をしている人に、わたしはその投げられた言葉が許せなかった。



「ふふ…黙りなさい雑草。あんたは雑魚なの。あんたが今この会話に入ってくるなんて無礼なのよ」



「………お前、あんまりエマになめた口聞いてると消すぞ」











空気が、変わった。









重たくて、息が詰まるような、そんな声。









彼は怒涛している訳でもなく、何故かただ冷たく冷徹な瞳で彼女を見つめていた。


その身体から出ているオーラは、先程までとは全く違う。まるで黒雲が渦巻くかのように。


舐めるなんて、死と同じようなもの。


そう感じさせるほどに変貌していた。





「そ、るん?」





「エマ、俺の嘘はな、相手を騙すためだけにあるんだ。それ以上は必要ない。こういうときに役立つ特別な嘘」




わたしを見ず、ただ変貌したオーラを前に立ち───



未だかつて見たことがない眩しさを超えた光が彼女に向かって放たれた。




それは決して弱者が放てる魔法ではなく、落ちこぼれなんて似つかわないような、そんな“強者”の魔法だった─────










─────────………






(あ、れ)



足は動かしていないのに目にする景色が変わる。


視界は白くぼやけて、何が起きているのか分からない。途切れた記憶を辿る。



確かソルンがヴィーンを攻撃して───



徐々に開け、色のつく視界から見えたのは黒い髪。よく見知った人の髪と肌で──



「……あ、ソル、ン……」



「……良かった。目が覚めた。今教会に向かうから待ってろよ!…いやでもこれは魔法攻撃の傷じゃないし教会じゃダメなのか…?」



(今、抱えられてるんだ)


重たい頭をフル回転させて、ようやく抱えられているという事実を理解する。


(それにしてもどうして抱えられて───)


そう思った直後、右腕は激しく痛みだす。

痛みと同時に記憶も蘇る。固まった血があちこちについて生々しい。



(ああそうだった…わたし、ナイフで…)



「痛むよな、待ってろよ…」



「痛み…ますがそれよりあのヴィーン?はどうなったの…?」



「あぁ、あいつ──…どうなったんだろうな。俺は知らない」



「え?それってどういう───」



「しらねぇ。街でもさまよってんじゃねぇの?」



それ以上は教えてくれず、彼は黙々とわたしを運ぶ。


なぜか聞けなかった。彼女の身に何が起こったのかある程度察してしまった。


あの時の『消すぞ』という彼の言葉。


殺したわけではなくきっとあのことばそのまま、記憶を消したのだ。

そして、彼女は全ての記憶を失ったまま街を歩き───そこからは自然に任せる、という物理的には殺さず、周りに───



痛む傷口を軽く押えながら大人しく彼の腕に抱かれる。



(わたし、何度この人に助けられて運ばれたのかな)



初めて会ったときも助けてくれて。


もしかしたら何かの運命なのかもしれない。



なぜか彼から甘く優しい香りがして、不用心にも気絶するように寝てしまった───





───────……✩.*˚





気がつけば治療は終わっていた。


どうやら寝ている間に教会に辿り着き、治療を終えたらしい。


2人の牧師がわたしを取り囲むようにしてソルンと小さく話している。


わたしが起きたことに気がつくと、ベッドの傍らにいたソルンは治療をしたであろう牧師と話をするため別室に移動した。



「…いやぁ、よくここまでこんな大怪我をしながら耐えられましたね」



取り残されたわたしと反対の傍らに腰掛けるもう1人の牧師は優しく微笑みわたしの腕を眺め見る。無理に話を変えるかのように、わたしの怪我についての話題を振る。




「いえ、ありがとうございました。お代は──」



「いや、結構。貴方はエクリエス家のお連れでしょう。そんな無礼は致しません」



「エクリエス家…?なんのことでしょうか」



「……まさかご存知なくお付き合いされているのですか?変わった方もいるのですね」



牧師は驚き目を見開き、呆れた顔で重く口を開いた。



「ここら一帯では一流の貴族でしょう。王族との繋がりが深く、最も王族に近い一族とも言われています。巨富を成し王族かのように振る舞う──そんな貴族です。いずれも魔法に優れ、一族はみな王族直属の兵士になったりだとか───」



「ソルンのお家って、そんなに凄いんですか…?!わたしそんな人と今も──?!」



「そうですよ。貴方はかなり変わっておりますが…エクリエス家は基本的に一般市民と親しくすることが無いのでかなり珍しいでしょう。…そろそろソルンさんも戻ってくるでしょうし、話はここでやめにしましょう」



牧師がそう言った直後、小さな部屋の扉が開きソルンと牧師が戻ってきた。

治療をした牧師は重々しくわたしに話しかける。



「かなり傷が深く出血も激しかったので一週間は絶対安静でお願いします。…ですが私は何故貴方が失血死しなかったのか不思議で仕方がありません」



「それは、わたしもわからなくて──」



「…分かりました。今日は本当にお世話になりました。エマ、帰るぞ。歩けるか?」



「えっ…?あ、ああ、はい。歩けます」



唐突に彼はわたしの怪我をしていない腕を掴むと、もう一度小さくお辞儀をして教会を後にする。


真っ直ぐに前を向いた瞳から感情は読み取れなかった。

ただ、これ以上あいつらの話を聞くなと願っているように見えた。



「ソルっ…そっ…ソルン!!」



掴まれた腕が痛くてやっとの思いで声を上げると彼ははっとしたようにわたしを見つめ「ごめん」と謝る。



「きいた、よな。家の事。あれ、気にしなくていいから。俺は所詮落ちこぼれ───」



「聞きましたけど!!落ちこぼれ、は嘘ですよね!?わたし、わたし…!!すごく震えたんです、こう、油断できないというか。もしかしてソルンは何か力を隠してたり!?」



右拳を軽く握り、そこではっと右腕の痛みを思い出し我に返る。


(興奮、しすぎたかもしれない)


わたしはわたしが思っている以上に魔法が好きなのかもしれない。その愛故に、彼への僅かな恐怖も抱いていた。


彼は重たい扉を開けるようにゆっくりと口を開き、呟く。


「俺、さ。この前から言おうとはしてたんだけど、ある程度力を制御してるんだよな」



「は、はい。ですよね。あんなに硬度が高い魔法、初めて見ました。いつから…?」



「ほぼ物心ついたときから」



「物心ついたときから!?」



そんなこと可能なのだろうか。

わたしの拙い経験と技術では分からない。



「これでもガキの頃は同じ血筋のやつらから天才扱いだったんだぜ。でも───」



兄貴が殴られて、と彼は重々しく言った。

その瞳には時の壁などとうに超す深い哀絶が刻まれていて。わたしはなにも声をかけてあげることなんて出来なかった。



「兄貴がガキの俺より劣ってるって父親が殴るから、俺はもうやめたんだよ」


「才能はときに人を傷つけるってその歳で初めて知った。俺は、俺の力で傷つけたくない。だから───」



だから、と言ったきりその後の言葉は続かなかった。まるで自嘲するように、彼は笑う。そんな彼の傷ついた様子に胸が痛む。

その覚悟は、本当に笑い話に出来ることなのだろうか。


幼い彼の硬い決意。


それに対して私が応えられることは──



「………もう、大丈夫ですよ。もう、ここはそんな場所じゃないんです。貴方の力に救われる人だってきっといるんです。わたしみたいに」


「綺麗事みたいですが、ソルンは十分頑張ってると思います」



少女は目を細め、首を傾げ困ったように笑う。


その瞳はかつて自分も犯してしまった、とでもいうように悲しげに揺れていた。



「…そうかよ」



彼はそうぶっきらぼうに返すと我に返ったように進む足を速める。


少女は、その横顔から薄く照らされた笑みを決して見逃さなかった。




わたしの言葉は彼の心に届いただろうか。



世界にはこんな人もいる。




そして少女はさらに考える。




この国の終わりを、どう見届けようかと───




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