後悔と嘘









───いつかの草原。





一人の少女は夢見ていた。



『しょうらい、立派なまじゅつしになりたい!』



そう無邪気に“少年”へと告げる。

“少年”は少し戸惑うように微笑み、自分より遥かに下を飛び跳ねる少女をそっと撫でる。



『…大丈夫。エマなら、きっとなれるよ』



そう無責任にも告げてしまった。

なれるよ、なんて。そう、まるで少女に努力を押し付けているだけではないか。



そしてその“少年”は今どうなっている?



果たしてこの世に存在しているのか、この薄汚れた国をさまよっているのか。



少なくともこの国の“呪縛”からは二度と逃れられないということを。

無慈悲にも時は進んでいく。そんなときに現れた少女に彼は手を差し伸べないなんて出来なかったのだ。それがたとえ国に歯向かうことだとしても。誰かの幸せを奪ってしまっても、この少女だけは国に殺されてはいけないと密かに思っていた。




“少年”は密かに少女の前から姿を消した──






──────────✩.*˚





「あーりあちゃん!!!起きなさい!!!」



「ん…んなぁね…」



「…変な寝言。まったく…」




広々とした部屋の片隅で眠る少女をみつめ、ため息をつく。

わたしが家事を手伝えるようになってからより怠け癖がついてしまった。


近くで見守っていたソルンは深く息を吐き、淡々と告げる。



「…もうそいつはいいよ。あれだ、もう明日一日こいつの面倒を見ない。いつ起きるか観察しようぜ」



「観察って…」



アリアちゃんはついに見捨てられてしまった。


目の前でうんうんと唸る少女は、嫌な気配を察したのか飛び起きる。



「はっ!!!!!今日、私魔道具の買い出し行くつもりだった!!!」



「……ずっと聞こえてたんじゃねーの?自分の予定だけ思い出してんじゃねぇよ」



「ん?なにが?あ、おはよ〜エマちゃん…」



寝ぼけなまこでわたしの腰に腕を絡ませ「いいにおい…」とまた眠りにつこうとする。


抱きついて離れない少女をどうにかしてほしいとソルンに救助信号を送るが「お疲れ様」とでもいうように部屋を去る。


(ここ一番で見捨てないでソルン…!!)


恨みの籠った視線を浴びせ、また一つため息をつく。



「アリアちゃん離れてください〜!!」



「いやぁ〜立てない起こして〜」




…まるで、赤子。




それは比喩ではなく事実である。









────────………








純白の雪原、白く染まった兎は木の実のような赤い目を動かす。

降り積もった雪は音を立てずに零れ落ちる。



それはこの国の北にある、まるで魔法のような場所のこと。


無知な少女は抱えた分厚い本を広げてそっと背表紙をなぞる。

それはこの国の歴史、という本は古びていてなんだか切なさを感じる。




「…世界って、広いですね」



「そうか?この国に限った話だろ。北はただ寒いだけだぞ」



「え、ソルン行ったことあるんだ。知らなかった〜!!私はね、南にいたことあるよ。田舎だったね…路面電車とか電話なんかも普及してなくて不便だったなぁ…公衆電話があればラッキーくらいで」



「きたとみなみ……わたし、どちらにも行ったことがないと思います…」



「そうなんだ。じゃあ生まれはこの街?この国の中央部ってこと?」



「…うーん…恐らく…」



「…そっか。この街も綺麗だよね。街灯がきらきらしてて、輝いてる」



その少女は感慨深そうに窓からの景色を眺める。アイアンで縁取られた街灯の枠は、鈍く光を返して散る。

わたしたちはもうすぐこの街を出発する。


『つぎのチェックポイント、そろそろ回ろうか──』


そう切り出したのは、最近だらけてばかりいるアリアだった。



「うーん……うーん……和国、かなぁ……」



「…和国、遠くないか?かなり距離があるしもっと近い国から回った方が…」



「…でも、私の、…私の親権者がいるんだよね。早いうちに会いたくって」



なるほど、親がいるのか。



なんて幸せなんだろうと思ってしまったことは心の隅に留めておく。


それ以上考えてしまっては、欲望と嫉妬で溢れてしまいそうだったから。



「では、明日にでも!!!」



「…と言いたいところだが、和国はなかなか面倒でさ……和名をとらなくちゃいけないんだよな、どこかの役所で」



「わめい……」



昔に聞いた響きだ。それは、既に決まっている。

どうして“翡翠の瞳の男の子”はわたしに和名をとることを望んだのだろうか。


何故あのとき彼は悲しげな顔をして、笑ったのだうか?


彼の言葉さ記憶の淵を駆け走り、水と混ざり合い消える。薄くとけて消えてしまうのだ。



「…私あるよ、和名!‘’亜梨明”って書くの〜!」



彼女はてごろな紙に、まるで書きなれたようにペンを走らせる。



(……へんな字…かくかくしてる)



未知の形に近く、わたしには到底読めない文字だった。



「…実は俺もある。でも和名向きじゃなかったらしい。無理に当てはめたらしいぞ」



彼も、アリアが既に書いた紙に、少々手こずりながら書き「読めねぇよな」と呟く。

当然わからない。



「え、じゃあわたしだけですか、とりにいかなくちゃいけないの……?」



「まあそうなるな。よし、今からでも──」






(だめだ)




唐突に少女の体は凍りつく。




気がついてしまった。





和名、は戸籍が無くてもとれるのだろうか。



それはまるで自身が捨て子であることを自分から教えに行くような、そんな行動ではないのか。


息が荒い。





捨て子だと、もしもばれたら?



もし、わたしに身体検査が行われたら?



それはソルンとアリアちゃんにも危害が及ぶのではないのだろうか。



最悪の場合が脳裏をよぎる。


わたしは当然殺され、ソルンとアリアちゃんも一緒に──────………










(だめ、だめだめ!!!)




「…わたし、和国に行けない。ごめんなさい」



「…えっ?どうしたのエマちゃん?!もしかして和国アレルギー………」



「んなわけあるか。なにか理由でもあるのか?あるなら行き先は変えれるけど?」




りゆう。



理由なんて、説明できない。


ぐるぐる、ぐるぐると思考は巡り突如すとんとお腹に落ちた。






嘘を、つくんだ。




ソルンがやっていたように。自分と、その仲間を守るための嘘だから。




神様、わたしを、許してくれるよね?



まるで祈るように手を組み、徐に口を開く。


それでも体は拒否を続ける。




嘘なんてだめだよ。



いや、もうたくさん嘘はついてる。



でも、もうこれ以上はだめだよ───



でもそうじゃないと、ソルンとアリアちゃんが殺される────!!



そんなことない、嘘が自分を滅ぼすのはお話でもたくさん見てきたでしょう───






「…ごめんなさい、わたし────」

















善と悪が入り交じり、対流を生む。



熱い空気と冷たい空気がぶつかりあって───

















「わたし、和名ありました」











少女から発せられたのは嘘、だった。








「……。…そうなんだ!じゃあ行かなくても大丈夫かな?」




「エマがそう言うなら…大丈夫か?」



「は、い!大丈夫です…」




なにも、大丈夫じゃない。





(ごめんなさい、ごめんなさい)





胸の中が黒く塗りつぶされたみたいに苦しい。なにかがのしかかっているみたいで息ができない。






「エマちゃん?」



「………」




返事なんて、できない。





嘘つきのわたしではこの人たちの隣にいれないから────








────────────……







「うみぃー!!」



「…もうお決まりだよな、こいつがはしゃぐの」



「そうですね」



「ちょっと待ってろ、捕まえてくる」



そうしてソルンは捕獲へと急ぐ。大量の荷物とともに取り残されたわたしは漠然と広がる海を眺める。


水平線は弧を描く。


地球って丸いんだよ、と教えてくれたのは“翡翠の瞳の男の子”なのに。



わたしは嘘をついた。



「…ふぅ……」



なんとも言えないため息をつき、荷物を両手いっぱいに抱え船の搭乗口へと向かう。



(こんな国に産まれなければよかったのに)



少女はいつもそう思っている。



この国にさえ産まれていなければ、お母さんもお父さんも生きていたはずなのに。


わたしは捨て子にならずに幸せに暮らすことができていたはずなのに。




恨みの矛先はついに荷物まで届き、重苦しい荷物を地面へと置く。






───こんなことに、ならなかったのに。







「…ごめんエマ重いのに持たせて。あいつはもう先に船に乗せた」



「はい。それが1番平和でいいと思う。ありがとうございます」



「じゃ、俺らもいくか。それ貸せ。運ぶ」



「ありがとうございます」



すると彼は怪訝そうにわたしの顔を見つめ「エマってさ」と付け足す。



「なんかいつも謝ったりお礼いったりだよな。そりゃ礼儀ができてるのはいいんだけどよ、ちょっと自分に責任感じすぎだと思うね俺は」



「そ、うですか?わたしそんなに謝ってます?全く自覚がなくて…すみません……あっ」



「ほらそういうとこ、な。俺心配なんだよなエマが将来いじめられないか」



「い、いじめられません!!やめてくださいそんなこと言うの…!」



あはは、と彼は無邪気に笑い「ごめんごめん」とへらへら謝る。


そっちはいつもへらへらしてるじゃないか。


そう思ったことは黙っておことにした。






────────…………





「つい、た…?」



「長かったぁ…!!久しぶり和国ー!!」



「すげぇ、なんか空気が違う気がする」



「空気は一緒だよ。何言ってんだか…ばかだねソルンは」



「…はぁ…お前に言われたかねーよ」



数日かけて辿り着いた国は酷く霞んで見えた。

眠気か酔いか。アリアちゃんに“酔いを治す魔法”をかけてもらえばよかったと後悔する。


めいっぱい吸い込んだ空気は生ぬるくて、でも心地よい。



桃色の花びらが頬を掠め、ふわふわと地へ足を乗せる。




(あ、“桜”だ)




確か本で読んだはず。和国には春にしか咲かない白桃色の美しい花があるのだとか──。


道行く女性は長く重たそうな衣を纏い髪にきらきらした玉をつけている。恐らく“かんざし”というのだろう。和国についてある程度予習はしてきたつもりだ。



「和国の入国証をお出しください」



ひとりの男がわたしたちに向かって手を差し出す。なんだか、狐みたいな顔と呑気に思う。



「はい、ちょっと待っててください」



そういってソルンとアリアちゃんは手頃な鞄を漁り、この前見た訳の分からない文字と王国の判子が押された紙を差し出し、男はまた新しく判子を押す。



「…そこの金髪のお嬢様もどうぞお出しください」



(わたし?なんの許可証?アリアちゃんとソルンがもう許可を貰ったからいいんじゃ──)











そこまできてはっとする。







回転の遅い脳みそがやっとのことで悲鳴をあげる。






目の前の視界が真っ暗になって、お腹がきゅうと息を飲むように鳴った。

頭の中でぐわんぐわんと不快な音が鳴ってどくんどくんと心臓の音がうるさい。








どうしてわたしは疑問に思わなかったのだろう。









和名を“とらなくてはいけない”はずなのに、何故今まで確認されなかったのか。

その“強制”が強制として働いていなかったこと。



あの和国が訳の分からない人間をただで通すはずがなかったのだ。





どうしよう、どうしようどうしよう。




冷や汗が額を伝い眩しく白いシャツの裾へと染み込む。


春なのになぜか暑くて寒い。


体の芯が冷えきって、肌が沸騰しているみたい。








「あ、ぁの…………」







醜く掠れた声は酷く惨めで馬鹿らしかった。




わたしはなんて能天気なんだろう。




どうしてこんなに警戒心がないんだろう。





どうしてあの時嘘をついたのだろう。







「…もしかして、お持ちでありませんか?ではこちらで戸籍の確認と手続きを───」






もう、おしまいだ。








だめ。









静かにわたしは杖を握る。










だめ。傷つけちゃ、だめ。










ゆっくりと静かに魔力を込める。











やめて、誰も傷つけないで。それはしちゃいけない。










杖に込める力を強め、技を練る。













だめ。この人はなにも悪くない。こんなことしたって現実からは逃げられない












───杖の出口が開く。









やめて─────








───杖は眩しく光る。









やめて─────!!!









魔術はもう、彼の目の前に────















「エマ!!!!」








ばん、という大きな音と共にわたしの魔法は光の粒となって激しく散る。


この防御魔法───ソルンの…?


わたし、なんてことしたんだろう。

遅れてやってきた絶望と後悔が胸を締め上げて呼吸を妨げる。


誰かを攻撃するなんて、と自分への恐怖も感じていた。


男は酷く驚き腰を抜かす。赤いレンガの地面に座り込み一息遅れて大声をあげる。




「ふっ…不届き者ー!!!」




その大声と同時にソルンはわたしの手首を掴み「走るぞ!!!」と包囲を抜けて走り出す。




「───え?!そ、そるっソルン!!」




「つべこべ言わず走れ!!このままじゃお前は捕まる!!俺ら諸共な!」




「ソルン!!次の角を右に曲がって!!荷物は私に任せて!ソルンはエマちゃん抱えていいから!!」




「助かる!!エマちょっと待てよ!!」




風を切りながら「よっ」とわたしを抱え、ソルンはアリアちゃんと共に走る。





朝日が顔に当たって眩しい。




(わたし、とんでもないことをしでかしちゃった…!!!!)




反省しなきゃいけないはずなのに、抱えられながら走るというのは随分心地よくて思わず目を瞑る。我ながら最低だ。




早朝のescape。




それは人生初めてのことで、思わず胸を高鳴らせて────













今回の旅は、波乱指名手配から幕を開ける───

















揺らめく陽炎とその感嘆、閉章────















☆。.:*・゜☆。.:*・……… to the next⟡.·




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