いとがちぎれて
「波風きもちー」
「落ちないでくださいね!危ないので」
「お前らなにしてんだよ早く降りろ」
船上デッキの柵に身を乗り出したアリアは
「わーい」と子供のようにはしゃぐ。
ここは南グリーンストーン海の上。
一つ目のチェックポイントを到着し終えた私たちのパーティは、次のチェックポイントへと巡るため母国に戻る。
行きとは違う船に揺られて、風に靡かれて。
その時間こそが充実しているのではないかと近頃思う。
「おいエマ、アリアしらねぇか?ちょっと目離したらいなくなりやがった」
「え、えぇ…たまに子供っぽくなるあれ、なんなのでしょうか」
「……中身子供のまま身体だけ育ったんじゃねぇか?」
「……あはは……」
立派な十六歳、母国では立派に成人だというのに。未だに子供らしくはしゃぐ彼女が、よく分からない。
ほんとうに、わからない。
はたはたと靡く服を抑えて遠く輝く海の水平線を眺める。
この旅の終わりなんて考えたくもないけれど、考えなければならないから。
この旅の到着地は地獄の底なのかもしれない。それは運命か、それとも────
そのとき不意に彼は声をあげた。
「…………エマ、俺実はさ、嘘ついてんだよ」
「うそ?」
「ああ、嘘。俺、本当はさ────」
口を開きかけたそのとき、行方不明だった彼女の大声に遮られた。
「あーー!!エマちゃんやっと見つけたぁ!!もう、どこ行ってたの」
「それはこっちのセリフだよ!全くもう…。あ、ソルンさっきの続き…」
「…………いや、なんでもない。俺部屋に戻ってるから」
無表情に、感情を伝えない顔で去っていく背中をただ眺めてはため息をつく。
(わたし、このパーティが、よく分からない)
何が正しく、何が悪なのか。
自分の拙い経験では分からない。
全てが分からない。
「……“翡翠の瞳の男の子”」
そう小さく、小さく呟いた声は海上の風でかき消され残ったのは焦燥感、ただ一つだった。
───────────……
正午、船の汽笛は鳴り母国へ到着した。
眩しい日差しとそよ風と共に懐かしさと少しの緊張が走る。
「うわーやっぱりものすごく母国って安心するね〜!!」
「そうか?最近は国が指名手配してるやつも多いって聞くぜ。密入国も増えてるし売国するやつなんかも……」
「まぁまぁ、生まれ育った街ですから」
「俺ここ生まれじゃないぞ」
「え?!てっきりここかと……」
「いや生まれはフェリンツ国で育ちがこの国ってだけだな。ほとんどいい思い出はないぜ。ここに来てから父親が急に変わったんだ。おかしくなった。親族の目を気にして経営を無理に押し通すようになった」
「ソルンのお家はお金持ちなんですよね。なにがあったのでしょうか……?」
「さぁな。知らねぇ」
彼はいつも知らない、と言う。
その言葉は嘘か本当か。
彼の纏う鎧を剥ぐには時間がかかるのかもしれない。
それでも────
「……なにかあったら、わたしを頼ってくださいね」
彼は目を見開き、少し赤面して言った。
「……っ……やだね。お前弱いし。絶対巻き込みたくない」
「違うでしょ。エマちゃんは大切だからでしょ」
「なんだよアリア、さっきまで喋らなかったくせに」
「いやぁ私だって分かっちゃうからね、ふふ」
妙に怪しげな顔でわたしとソルンを交互に見るともう一度「ふふ」と笑った。
路面電車に乗り家路につく。
ガタンと揺れる衝撃に、もう驚きも感じなかった。
慣れてしまえばそれはもう、当たり前に過ぎなくて。それ以上のことなんてないのだから。
「エマ、そのさ、あとで時間あったら一緒に来て欲しい」
「わぁ大胆で露骨な誘い方。もっとなにか捻って───」
「うるせーな!!お前は一旦黙れ問題児!!お前は誘ってねーよ!!」
「お、落ち着いてください!!時間はたっぷりあるのでもちろん行きます!だから、ね?」
彼の肩に手をおき宥めるようにまた“あれ”が怒ってしまわないように、二人の間に入り話しかける。
(いつかこんなにおかしくなっちゃっけ)
なにがきっかけで?
いつからこの二人は仲がおかしくなっちゃったんだっけ。
チェックポイントを回りに行って、フレアーンに襲われてアリアちゃんが怪我をして──
そこから、なにかが壊れた。
はっきりと見えない、今にもちぎれそうな糸がぷつりと、途切れた。
切れた訳では無い。今は途切れているけれど、いつかはきっと元に戻ってくれる──
そうは願っているけれど途切れた先の糸はまだ見つかっていない。修復の仕方が分からない。
(初めはもっと、もっと仲が良かったはずなのに……)
そしてまた、奇妙な違和感がわたしを襲う。
ほんとうに?
二人は、ほんとうに初めから仲が良かったの?
二人はわたしを会して話すことが多い。
二人とも、自分のことをほとんど語らない。
二人とも、互いにきつい言葉を交わす。
そしてわたしの見ている限り、二人は目を合わせていない────?
その事実がなにかのお話のようにひとつに繋がる──
……なんてことは無いけれど、小さな胸騒ぎから大きな違和感へと変わった瞬間だった。
ソルンは少し不貞腐れた顔をしながら「じゃあ四時に中央広場に集合で」と吐き捨て到着した路面電車を降りる。
アリアは何も言わずただ不機嫌な顔をし、大きな音を立てて路面電車を降りた。
四時に中央広場。
(そこで、必ず聞き出すから)
この不自然な関係の正体を──────
────────……☆
「おまたせしました」
「おう、じゃあ行くか」
「行くってどこに───……」
「俺の家」
「ソルンの家?!ど、どうしてでしょうか……?!」
「……取りに行きたい資料がある」
やけに深刻な顔をして、目も合わせずひたすらに道を進んでいく。
中央広場を抜けて、並木道を通って──
辿り着いた先は、家と呼ぶには大きい…大きすぎる御屋敷、だった。
「ここってソルンが一人で──」
「静かに。俺の実家だ。部外者は立ち入り禁止だからできる限り魔力は消せよ。バレたら吊るし上げられて処刑だ」
「しょっ……?!」
声にならない悲鳴をあげて、あわてて口を手で抑える。
どうしてそんなに危ないのところにわざわざわたしを───
そんな疑問も処刑という強い言葉にかき消され、瞳を閉じて魔力制御の体制に移った。
わたしとソルンは裏庭から忍び込み、御屋敷の裏側へまわる。
「お前、なんで魔力制御が普通にできるんだ?そんなの格式高い家柄の奴が教わったりするものだろ──?」
そんなふうに言いながら杖を構え小さく呪文を呟き、目の前にある裏口の鍵を開ける。
かちゃり、と小さく音を立てて空いた扉の先は書物の積まれた書斎のようなところだった。
「静かにしてくれよ。手伝いの奴に気が付かれたら即死か…拷問台にかけられるかだな」
「拷問……!?は、はやく抜けてしまいましょう」
そんな危ないところにわたしを連れてきた意味なんてあるのだろうか──……
そんなことを考えたところでもう遅い。
世界に“意味”は通用しない。
それを一番知っているのは、きっとわたしだから───
「……書物は書斎の棚の中か、倉庫だと思う。一旦書斎の棚の中を探すからエマはそっちを頼む」
「はい。急ぎましょう」
「………あった!!よし!これさえあれば───」
彼がそう歓喜の声をあげたとき、書斎の表扉──家の中から繋がる扉の前からふと声がして…
「……またご主人様はこんなに散らかして…机だって埃を被っているじゃないですかまったく……」
「そうね。じゃあヴィーン、一緒に箒をとりに行きましょう。案内するわ」
若い女の人と、おばあさんの声。
そして、わたしの心臓の大きな鼓動音。
(見つかっちゃう……!!!拷問…処刑…)
「落ち着け、集中して魔力を消せ。あと息を殺せ」
ソルンは小さく耳打ち、下を向き直す。
わたしたちはなんとか天井に張りついている。
「人間の視界はきっと直線上に向かうから」
そう提案したのはわたしで、ソルンはその場で浮遊魔法をかけて──
そして、今に至るのだ。
「き、っついな……浮遊魔法も長くはもたないし…はぁ……なにより二人分なのが余計…」
「ごめんなさい……もう少しでお掃除を終わってくれるはずだと思います。あと少しだけ頑張ってください……!!」
小声で囁き、手伝い係の掃除を眺める。
若い女は不慣れな手つきで箒をはいては机を拭いて──
ひと通り掃除し終えると書斎の扉を閉め鍵をかけた。
それと同時にソルンは浮遊魔法を解いて息を切らす。
「はぁ…はぁ…きついな……流石に」
「ごめんなさぃぃ!!もっと痩せて軽くなりますので!!」
「……やめろよ、それ以上痩せてどうすんだ?ただでさえひょろっこいのに……身体壊すぞ」
「いいですよ、これくらい…………」
「それより早く!!出ないと!!」
「あ、ああそうだなはや──」
そのとき、わたしの斜め上を掠めたものは鋭く尖った矢、だった。
「あれれぇ……不審者発見です!!このヴィーンがご主人様に報告しないと!」
かん高い、若い女の声。
そしてヴィーンという名───
さっきの新人お手伝いさんだ。
しかし攻撃を仕掛けられた以上、味方だなんて思わない。それを敵と視認して逃げなくては───
「チッ…バレやがった!!逃げろ!!」
「逃がすわけないでしょう?」
わたしの上の天井が崩れて───
瓦礫が裏口の扉の前を塞ぐ。
(最初のわたしを外した攻撃で柱を崩したんだ)
「だりぃなお前……新人手伝いのくせに生意気だ」
「その顔……ソルン様ですか?ふふふ、面白いですね!彼女さんと同じだなんて!ところでどうしてヴィーンが新人だと……」
「いえ、わたしは彼女じゃなくて───」
「どっちもぶち殺すから安心してくださいね」
にこやかに、お淑やかに殺意の籠った笑顔で、ナイフを突きつけて。
そんな狂気に満ちた顔すら美しかった。
「ソルン様のことは聞いていますよ、ご主人様から。随分整った顔立ちですね!ヴィーンは惚れてしまいそうです…!さぁ、殺さないと」
「お前、精神大丈夫かよ。俺はお前ごときには負けねぇ」
「わぁ格好いい!!でもソルン様ってとっても弱いんですよね?ご主人様が言っておられました…。まだ新人なヴィーンですが、殺れちゃうかもしれませんね!」
ナイフを構え向かってくる先はわたしで──
(やっぱり足でまといだ)
でも大丈夫、これは魔法で生成されたナイフ。これくらいなら防御魔法で弾ける。
魔力の盾を展開し───
腕に、鈍く鋭い痛みが走る。
隣に立つ彼でさえ唖然としている。
なにか水滴が滴る音がして、それが自分の血だと気がつくのには少し時間がかかった。
「っえ…」
掠れたその一言は瞬く間に攻撃が弾かれた音に掻き消された。
硬度の高い防御魔力に全身を包まれて、彼女の放った矢を弾かれた音だった。
「お前……ほんとに大丈夫かよ?普段から本物のナイフとか……!?」
彼の言葉でようやく気がついた。
そうだ、これは魔法で創られたナイフじゃなくて本物のナイフなんだ───
だから、攻撃も防げなかった。
未知の敵に圧倒された、そんな気分だった。
いつから気がついていたのか。
どうして見つかったのか。
彼女はなにか知っているのかもしれない。
そう、なにかを──────?
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