第21話

   

「やっと見付けた。何処に行ってたんだ。長崎」


「おつかれさま。真田君。ごめんね、急にリセットしちゃって」


「いや。何があった? これから何がある?」


「あー、うん。ちょっと不審者というか不埒な考えのヒトに絡まれちゃって」


 知世は小さな小さな声で「真田君が」と付け足していたが大輔の耳にまでは届いていなかった。


 知世が思うには、リセットをせずにあのまま放っておいても知世の護衛で頭も体も忙しい真田大輔が女子からの交際の申し込みを受け入れる事はなかったであろうし、恋愛事には疎そうな大輔がどのように答えるかも見物と言えば見物ではあったが……「――それも趣味が悪いものね」と知世は直前でリセットをした。別に「万が一」を恐れたわけではない。


 どうせ大輔が取れる選択肢は一つしかなかったはずなのだ。「どう断るか」を思い煩わせるのも可哀想だというものである。


 現に大輔は女子に呼び出されていた事実も忘れて、


「この時間帯、校内に居ても襲われるのか……」


 と、もう知世の事で頭が一杯になっていた。


 そこまで真剣に心配されてしまうと流石の知世もすわりが悪いというか少しばかり申し訳なくなってきてしまう。


「大丈夫よ。そこまで深刻に考えてもらわなくても。例の組織のニンゲンじゃなくて本当にただの困ったヒトだったから」


「……証拠は?」


 しかし大輔は簡単には引き下がらない。それもこれも知世の為を思っての言動なのだと思うと……。


「長崎。笑ってる場合じゃないんだぞ」


「わ、笑ってないわよ」


「いいか? 俺と長崎の間に特殊な共通項は無かった。誕生日も違うし指紋も違っただろう。理屈の無い偶然で俺が長崎の『能力』に抵抗する『チカラ』を持っているのだから、当然、俺以外にもこの世界にはそういう『チカラ』を持っている人間が居るはずだ。居ないはずがない」


「……そうなのかしら。この世界で私と真田君のふたりだけが特別なのかもよ?」


「今の発言一つ取っても俺と長崎の違いは如実だ。俺は自分を『特別な存在』だとは思えない。ただの人だ。凡人だよ。長崎のような強いメンタリティーは持ち合わせていない」


 大輔はまるで知世を褒めているかのように言ったが、知世の胸には喜びも誇らしさも無く、ただ寂しさのようなものだけがよぎっていた。


「長崎みたいな人間は長崎しか居ないかもしれないが俺みたいな人間は幾らでも居るだろう。世界を巻き戻せるのはもしかすると本当に長崎一人だけなのかもしれないが俺と同じような『チカラ』を持ってしまい、長崎の『能力』に巻き込まれてしまっている人間は俺の他にも大勢居るかもしれない。仮にそんな人間が居たとして、長崎の『能力』の事も知ってしまったら――逆恨みなのか正当な恨みなのか知らないが――長崎に危害を加えようと考えてもおかしくはないんだぞ?」


「そんな……自分の事を『1匹居たら30匹は居る』みたいな言い方しなくても」


「誰が『G』だ。話を逸らすな。俺は真面目に心配しているんだぞ?」


「ごめんごめん」とそれでも知世は軽い感じで謝った。


 大輔の言葉を真面目に聞き入って、真面目に答えたくはない気分だったのだ。


 だって。「知世に巻き込まれた人間が知世に危害を加えようと考えてもおかしくはない」というのなら――。


「――真田君も私を殺したいとか思うの? 思ったの?」


 そんな疑問を知世は口に出したくはなかった。大輔の答えも聞きたくはなかった。


「長崎」


 大輔はより一層真面目な顔をして言ってくれた。


「たとえ大きな怪我をしたとしても即死さえしなければ世界を巻き戻す事で傷も回復――厳密に言えば無かった事になるし、脅威自体も覚えておけば未然に防ぎ易くなるからと長崎は自分の事を無敵だと楽観的に考えているかもしれないが……そんな事はないんだぞ?」


「……ええ」と知世は素直に頷く。


 自分の事を無敵だとは思っていなかったが楽観的には考えていたかもしれない。


「今は無事に解消されているかもしれないが、宮下の件でも思わぬトラウマを負ってしまっただろう?」


 大輔が言っているトラウマとは「窓の外、逆さまになった宮下君の顔」の事だ。


 大輔と協力して宮下ワタルを何とか助け切った事である程度、薄まりはしたがそれでもまだ完全に払拭されたとは言い難い。


 あの出来事はもう現在過去未来の全てから完全に無くなったのだと頭では理解していても、不意に見せ付けられた死ぬ直前の人間の顔など簡単には忘れられない。


「敢えて具体的に言うが」と前置きをしてから大輔は言った。


「指先から順番に骨を折っていくような拷問や酷い性的暴行を受けて負ってしまったトラウマは世界を巻き戻したとしても長崎の心に残ってしまうだろう」


「えー……そこまでの身の危険を感じたら実際に何かされる前にリセットしちゃうと思うけど」


 知世は大輔の話の穴をうがって「ふふん」とばかりに答えた。


 大輔は――ぐうの音も出せずに黙るかと思ったが、


「――甘い!」


 と更にボルテージを高めてしまった。


「相手が普通の人間ならそれで逃げ切れるかもしれない。だがその相手がもし『俺』だったら。学校で、道端で、駅で、電車の中で、しまいには長崎の自宅で――長崎の姿を見掛けるたびに襲い掛かるぞ」


「みかけるたびにって言われてもそんなことしたら初回で警察に捕まるでしょうよ」


 知世は簡単にツッコんだ。


「はい論破」


「出来てないぞ」と大輔の目が据わる。


「俺は最初の一撃で長崎の手や足を砕くぞ。自然治癒は望めない。後遺症どころか、切断をしないといけないレベルだ。長崎は当然、世界を巻き戻すだろう? それしか長崎が無事で居られる方法は無い。だが世界を巻き戻せば、俺が長崎を襲ったという事実は無くなる。俺が警察に捕まる事は無い。そしてまた俺は長崎を見掛ければ同じように襲うぞ。その繰り返しに長崎の心は耐え切れるのか? 世界を巻き戻す直前に受けた痛みの記憶は都合良く消せるものなのか? 恐いだろう。怖いだろう。いつ、何処で俺に襲われるか分からないぞ。またあの痛みを受けるんだ。人込みに紛れようとも自宅に引き篭もろうとも関係無い。俺はまたお前を襲うぞ」


「こわいこわいこわいこわいこわい。発想が怖すぎるわよ。真田君て悪魔なの?」


 知世は両手を上げて降参の意を示す。


「分かったなら」


「はい。以後、十分に気を付けます」


「もっと俺を頼れ」


「……え?」と知世は大輔の顔を見る。大輔は真っ直ぐに知世の事を見ていた。


「覚えていないか? 前にも言ったぞ。『俺も居る事を忘れるな』だ。長崎は決してこの世界に独りではないからな」


「…………」


「長崎を付け狙う輩がいても、俺が一緒に居れば襲われないかもしれない。襲われたとしても俺が居れば長崎の身は守れるかもしれない。もしかしたら返り討ちに出来るかもしれない。『かもしれない』ばかりだが長崎が一人で居るよりは絶対にマシだ。長崎――」


 大輔はもう一度、言ってくれた。


「――俺を頼れ」


 知世は、


「…………」


 何をどう言ったら良いのか分からなかった。分からなくなっていた。


 長崎知世が真田大輔に――いや。自分以外の誰かに頼る? 利用するでも、お願いするでもなくて「頼る」?


「頼る」とは完璧な人間がする事だろうか。しても良い事なのだろうか。


 しかし「俺を頼れ」とは何とも甘いささやきだった。


 知世も思わずよろめきかけた。


 ただ――此処は廊下の隅ですらない教室の一角だった。すぐ近くで耳をそばだてているクラスメートこそ居なかったが、この空間に知世と大輔の二人きりというわけでは決してなかった。まさに今だって、


「……真田君」


「ああ」


「宮下君が呼んでるわよ。男子たちで野球やるから参加しないかって」


「……聞こえている」


 現実が知世を引き戻してくれた。


「いってらっしゃい。真田君」


「長崎……」


「大丈夫。ちゃんと付いて行って応援もしてあげるから。『特別』な存在である私を守ろうって言うんなら、真田君も凡人じゃない『特別』な活躍を見せてみなさいよ」


 知世は完璧な笑顔を作ってみせた。



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