第16話

   

 大輔は目を閉じて思い出す。


「確か……長崎もどうして自分が世界を巻き戻せるのかは分からないんだったよな」


「ええ。真田君もどうしてリセットされる前のことを覚えているのか――」


「分からない。それと長崎は自分の他にも世界を巻き戻せる人間は居るかもしれないというような事は言っていたが」


「ごめんなさい。それこそ自分に都合が良いように適当なことを言っただけだわ」


「そうか……」と大輔は少しだけ考える。それから、


「長崎は、自分が世界を巻き戻していないのに勝手に世界が巻き戻ったという経験はあるのか?」


 と尋ねた。


「ん? 自分ではリセットしてないつもりなのに間違えてリセットしちゃうとか? 流石にそれはないわよ」


「いや。長崎ではない他の誰かの巻き戻しに巻き込まれた事があるなら、それは長崎以外にも世界を巻き戻せる人間が居るという証拠になるかもしれないと思って」


 大輔は「常に巻き込まれている俺だと長崎が世界を巻き戻したのか、長崎とは別の誰かが巻き戻したのか判別が出来ないからな」と付け足した。


「んー……それは……ない……と思うけど。でも」


「分かっている。だからといって長崎以外の人間には絶対に世界を巻き戻せないとは言い切れない。世界を巻き戻せる長崎は、別の人間の巻き戻しには巻き込まれないのかもしれない」


 大輔も知世も感知する事が出来ない状況でなら幾ら世界を巻き戻されようが影響は無いのだ。前の世界の記憶を有して、この世界が「二度目だ」との認識がなければ、結局は「一度目」として一度目の世界と同じ行動を取るのだから。


「だが俺は」


「可能性として。私以外にもリセットできるヒトが居て、それに私は巻き込まれないんだけど真田君は巻き込まれているから、これまで真田君が巻き込まれてきた数多くのリセットのうちのいくつかは私のせいじゃないかもしれない――ってことかしら」


「可能性だがな。小学生の時のマラソン大会で、ゴールしたはずが気付けばコースの中盤に戻されていて、またそこからゴールまで走らされたりした事は、もしかしたら長崎のせいではなかったのかもしれないな。巻き戻された事で体力も多少は回復していたが、あれは精神的に地獄だったな。走りながらいつまた巻き戻されるのかという恐怖とも戦った」


 大輔の発言は当て擦りというよりも笑いを誘っていたつもりだった。


 しかし知世は「ん~……」と唸るばかりで笑ってはくれなかった。


「ん~……」。「ん~……」。「ん~……」。軽く体をくねらせながら知世は悶えるように何度も唸っていた。


「……そんなふうに踊るサンタの人形があったな。季節の先取りか」と大輔が心配の言葉でなくて下手なツッコミを入れる。


「少しだけ……」と知世は言ってくれた。


「……リセットするの我慢してみようかしら」


「え……?」と大輔は耳を疑う。


「さっきまであんなに」


「だから少しね。少しだけ。私が我慢してる間にも真田君がリセットに巻き込まれたりしたらそれは私以外にもリセットできるヒトが居るってことになるし」


 ぼそぼそと知世は「真田君を巻き込んじゃってたのは私だけじゃないってことにもなるし」とも呟いた。


「そうか。助かる」


「でも。できるだけだから。緊急避難的な場合は遠慮なくリセットするからね?」


 早口気味に発せられた知世の言には大輔も「それはそうしてほしい」と頷いた。


 それからおよそ八時間後の午後9時過ぎ――。


(――長崎!?)


 大輔は世界が巻き戻されるのを感じた。一人、自宅の自室に居た時だった。


(さっきの今で巻き戻したのか? 言っていた「緊急避難」か? 何があった?)


 手も足も口も何も動かせずに頭の中だけが働く数瞬の間に大輔は思った。考えた。


(どういう事だ。事前に「緊急避難」なんて言葉が出るくらい長崎の日常には危険が蔓延っているのか? この巻き戻しでその危険は本当に回避する事が出来たのか?)


 大輔は、


「――無事なのか!? 長崎!」


 自分で発した声に驚いて「んぐッ」と口を強く閉じた。世界はまた無事に巻き戻り終えたらしい。辺りを見回す。自分の部屋だ。場所はさっきと変わっていない。


 アナログ表示の目覚まし時計は8時41分を指していた。


 巻き戻されたのは30分程度か?


「もしくは12時間と30分。いや。朝の8時41分ならもう部屋の中には居ないか」


「24時間と30分」や「48時間と30分」も巻き戻された可能性もなくはないのか。


 大輔はスマホを手にとって日付を確認する。


「……今日だ。となると巻き戻された時間はやはり30分か」


 今から30分後に「緊急避難」をしないといけない何があったのか。


 長崎知世は無事なのか。


 ちょうどその手にスマホを持っていた事もあって大輔は知世に電話を掛けた。


 ――プルル。プルル。プルル。プルル。プルル……。


 呼び出しはするが知世も誰も出ない。


 それからしばらくの間、待ってもみたが結果は変わらなかった。


「出ない……。……どうした、長崎……」


 知世の電話番号は聞いていたが流石に家の場所までは教えてもらっていない。家の場所をどうにかこうにか調べてまで会いに行くわけにもいかず、


「明日、学校で聞くしかないのか。明日……長崎は学校に来るよな……?」


 大輔がこの夜に出来る事はただ無力感を抱えながら明日を待つ事だけだった。


「あ、おはよう」


 翌日の朝、教室に入った大輔に最初に声を掛けてきたのは――宮下ワタルだった。


「ああ。おはよう」と返しながら大輔の目は教室内を見回していた。


「長崎さんだったら一回来てからまた出ていったよ」


 宮下ワタルが言った。


「そうか」と呟いて大輔は自分の席へと向かう。


 どうして大輔が知世の事を探していると宮下ワタルには分かったのだろうか――と疑問に思う余裕さえ今の大輔には無かった。


 大輔は自席について知世が戻ってくるの待った。


 しかし知世はなかなか戻ってこなかった。


 何処へ何をしに行っているのか知らないが、随分と遅くはないか? もうそろそろ帰ってきても良いんじゃないのか?


 昨夜の巻き戻しの件もあって大輔の心は落ち着かない。


(……長崎は本当に登校しているんだろうな。宮下が嘘を吐く理由は分からないが。嘘ではなくて見間違いの可能性もある。無事なのか……? 長崎は。)


 結局、知世が教室に戻ってきたのは朝礼開始5分前を告げる予鈴が鳴り始めてからだった。それでも、


「長崎――」


 と大輔は席を立ったが、


「真田くん。もう先生が来ちゃうよ」


 隣の席の川村久美子に止められて渋々と断念をした。


「長崎。少し話そう」と大輔が知世を捕まえる事が出来たのはそれから数時間も後の昼休みになってからだった。


 一時間目の後、二時間目の後、三時間目の後と三回もあった休み時間では、


「ごめんなさい。ちょっと……ええと、お花を摘みに」


「次は体育だから。着替えたりとか早めに用意しないといけないから」


「着替えるのに時間がかかっちゃって。ごめんなさい、もう次の授業が始まるから」


 と何だか知世に避けられてでもいるかのように話は出来ずじまいであったのだ。


「長崎。俺には話せない事でもあったのか?」


 いつもの廊下の隅の奥。大輔は真っ直ぐに知世の目を見た。


「話せないこと……? 話せない……うーん。話せないというか……その……」


 知世がそっと目を逸らす。しかし大輔は回り込んで目を合わせる。逃さない。


「昨日の夜、世界を巻き戻しただろう?」


「あ、あー……うん。まあ、気が付くよね。夜も遅めで、ちょっとの時間だけだったから。もしかしたらもう寝てるかもなあ、リセットしても気が付かない可能性もあるかもなあって思ったりもしたんだけど」


 長崎知世らしからぬ歯切れの悪さだった。その違和感も手伝って、


「……何があった?」


 大輔は真剣な面持ちで知世に詰め寄ってしまった。


 知世の身に只事ではない何かがあったのだと大輔は確信してしまっていた。


「ち、近い近い近い……。あは、ははは……」


 知世は不自然におどけた。無理におどけてみせているように大輔には感じられた。


「…………」


 何も言わずに大輔は知世の目をじっと見詰める。知世は、


「……はぁ」


 根負けをした様子で「えー……と。実は」と口を割った。



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