第15話
「昨日はおつかれさまでした」
合言葉でも口にしているかのような棒読み具合で知世が大輔を労ってくれた。
昼休み。そろそろお定まりになりつつある廊下の隅の奥での会合だ。
「ああ。長崎もお疲れ。昨日はあの後、マットは無事に戻せたのか?」
「ええ。グラウンドを使ってた野球部顧問の先生とかに見られてはいたけど特に声を掛けられたりはせずね。手伝ってくれたみんなからのツッコミもナシよ」
「そうか。それは良かった」
「ええ。本当に――じゃないわよ!」
知世は大きな声を発した。
お笑い芸人のノリツッコミみたいな転調だった。
「びっくりした。どうした急に」
「びっくりしたのもこっちのセリフ!」
冷めやらぬどころか興奮そのまま知世がまた叫んだ。
「……何の話だ?」
「昨日の話よ」
「昨日……?」と大輔はここまで言われてもまだ知世が何の事で怒っているのか全く察せていなかった。
知世は「はぁ~……」と当て付けるみたいな溜め息を吐いた。
「宮下君を助けた時のこと。あのときは宮下君の自殺を止めなきゃってのでいっぱいいっぱいになっちゃってたけど。あとからきちんと考えてみたら……真田君、すごく危険なことをしたわよね?」
「…………」と大輔は返答に困る。困っている大輔の事を見て知世は、
「やっぱり。自覚はあったのね」
また「はぁ~……」と息を吐き出した。
「あのとき、宮下君がカーテンの上に落ちてきたからよかったものの、もう少しでもズレて真田君の上に落ちてきてたら……二人とも死んでたかもしれないのよね」
「……そうだな」と大輔は観念をした。
「私のリセットは『今』を全力で生きてこそなんだから。無茶して死んでもリセットしてもらえればダイジョウブみたいなことはもう止めてよね」
それは「リセット」をする為の条件というよりも「リセット」などという非常識な――まるで奇跡を起こせてしまう長崎知世の譲ってはいけない矜持のようなものなのだろう。なるほど。「リセット」頼みで雑に生きればきっと自堕落になるから――と感銘を受けかけた大輔だったが、いや、待て。
「……長崎も『巻き戻せば大丈夫』と思って無茶してないか? 南河の財布の……」
「う、うるさい! しつこい! あれは、あれが私の『全力』なの!」
知世は顔を真っ赤にして訴える。
「宮下君が死ぬのもイヤだったのに。あんな目の前で真田君にまで死なれたらもっとイヤに決まってるでしょ! やめてよね! って話ッ!」
ストレートな言葉だった。球速は160キロオーバーだ。その言葉はバシンッと強く大輔の胸に収まった。
「……悪い。悪かった」
今度の大輔は素直に謝った。あの時はあれしか方法が無かった、最善だったなどといった言い訳はしない。
「……わかればよろしい」
知世が言った。おどけた口調でトーンも抑えられてはいたが興奮はまだ冷め切っていないようだった。
「ところで」と大輔は話題を変える。
「朝も認識の食い違いがあったが。長崎は巻き戻す前の世界の事をどれくらい覚えているんだ?」
「どれくらい……んー……リセットした直後なら多分、たくさん? でもそのときに思い出しておかないと、すぅーっと消えちゃう感じかしら」
知世は「寝てみる夢と同じ感じね。起きた直後なら覚えていて」と例えた。
「真田君は違うの?」
「俺も同じだ」
パソコンで言えば脳みそがハードディスクで精神がメモリーだ。ハードディスクの中身は世界と一緒に巻き戻るがメモリー内のデータはそのまま残るといったイメージだった。メモリーはデータの展開等に使う作業エリアであって厳密に言えばデータの保存場所ではない。一時的な仮置場だ。
その仮置場に広げられているデータが何か他のデータで上書き――押し退けられて消失してしまう前に本来の保存場所であるハードディスクに移す事が出来ればそれはきちんとした記憶として残る、後から思い出す事も出来るようになるというわけだ。
世界が巻き戻されれば、その間に鍛えた筋肉も巻き戻されて失われるのと同じく、詰め込んだはずの知識も脳みそからは失われるのだ。
これは一見するとマイナスでしかない要素だと捉えられてしまいそうだが脳みそを含めた肉体全ての過剰な経年劣化を防いでいるとも言える。
巻き戻しを繰り返し過ぎて、肉体は十代だが脳みそだけは百歳を超えて思考が鈍る――老いて衰えてしまうというような事にはならないで済みそうだった。
「逆に印象が強過ぎて忘れたくても忘れられない――なんて事はないか?」
「あー、あるある」
即答だった。
「リセットした直後に思い出さなければ忘れちゃうんだけど『思い出さない』ができないくらいインパクトが強いとね。……それこそ宮下君の飛び降りとか」
知世は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「窓の外、逆さまになった宮下君の顔……。何回リセットしても忘れられない。もう『無い』はずなのに。まだ怖いもの。ぱっと窓が目に入ると」
トラウマだ。その精神的外傷はしっかりと長崎知世のハードディスクに記録されてしまっていた。「リセット」でその事実を無かった事にしようが、実際に宮下ワタルの自殺を阻止してこの先もそのような事はもう起こらないと確定させようが、一度、脳みそに深く刻まれてしまったトラウマは簡単には払拭する事は出来ない。
「……そうか」
知世と大輔の違いは世界を巻き戻す事が出来るか出来ないかだけで、巻き戻された際に訪れる肉体の変化はどうやら同じらしい。
「お互い『前』に自分が話した事は覚えていても、相手から聞いた事の方はうろ覚えみたいだったな。長崎。悪いが改めてもう一度、話をしよう」
大輔の提案に知世は、
「……何の話?」
と首を傾げた。……相手から聞いた事がうろ覚えになっているのは「リセット」の性質が関係しているのではなく、まさか長崎知世の個人的な問題なのだろうか……。いや、大輔も知世が了承していなかった事を失念していたのだから共通する事案だ。
「今朝も話しただろう。宮下の件が済んだんだからもう世界を巻き戻すなと」
「え? だからそれはイヤだって言ったじゃない」
「長崎」
「リセットは私の大切な個性でそれをやめろなんて言うのは横暴よ。歌の才能があるヒトに歌うなって言ったりすることと同じでしょ?」
「はあ……」と今度は大輔が溜め息を吐く番だった。
「プロの歌手だろうが何だろうが歌っている声が近所迷惑になっていたら止められるし怒られるだろうが」
「う……じゃあ真田君の迷惑にならなければリセットしても良いのね」
「それが出来るならこちらからお願いしたいくらいだが出来ないんだろう。俺を巻き込まずに世界を巻き戻す事は」
「あ、うまいこと言ったわね」と知世は笑った。大輔に笑わせるつもりはなかった。
「でも、私からするとリセットする前のことを覚えてる真田君の方がイレギュラーなわけで。むしろ原因は真田君の方にあるんじゃないかと言いたいわけよ」
「そんな事を言い出したらそれこそ騒音問題と同じじゃないのか。大きな音を出しておいて『隣に住んでいるのが悪い。嫌なら引っ越せ』と言っているようなものだぞ」
「うー……ん。なんか例え話が挟まるたんびにちょっとずつ話がズレていってる気がするから。ちゃんとリセットに向き合って話さない?」
知世は笑いを堪えるみたいな顔で提案をしてきた。大輔は「む……」と我に返って恥ずかしくなる。
「……そうだな。すまん。分かり易く――というか長崎を説き伏せる為にだったな。自分に都合が良いような例え話を探していた」
「まあ……先に『歌の才能があるヒトに~』って言い出したのは私の方だったけど。展開されると本筋からはズレていっちゃうわよね」
大輔と知世は顔を見合わせて小さく笑い合った。
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