第17話

   

「――痴漢!?」


「声が大きい……!」


 知世は、大きく驚いた大輔の口を塞ぐようなジェスチャーをした。


 実際に大輔の口を塞いだわけではない。唇にてのひらは触れていなかった。


「全然、未遂だったし。私は平気だから。大袈裟にしないで」


 知世はぎこちなく笑っていた。


 知世の話によれば――彼女は昨夜、コンビニへ行った帰り道で痴漢に襲われそうになったらしい。


「――そうになっただけで。襲われてはないから」


 誤魔化すみたいに知世は言っていたがそれでも十分以上の危険を感じたのだろう。彼女は世界を巻き戻した。


「リセットして。コンビニに行く前に戻って。コンビニに行くのをやめたのよ」


 知世は、


「ごめんなさい」


 と大輔に頭を下げた。


「リセットするの我慢するって言っておいて……すぐにリセットしちゃって」


「謝る事ではないだろう」


 大輔は即座に返した。


「昨日も『緊急避難的な場合は遠慮なくリセットする』と自分で言っていただろう。俺も『そうしてほしい』と答えたはずだ。実際……そうしてくれて良かった」


 大輔に遠慮したせいで、何か取り返しのつかない状況になってしまわなくて本当に良かった。


「長崎が無事で良かった。……心配していた。昨夜は電話も繋がらなかったから」


「心配……してくれてたんだ」と知世が驚いた事に大輔も驚いてしまう。


「するに決まっているだろう」


「……ごめんなさい。リセットした事で怒ってると思ったから」


「だから電話に出なかったのか? ……おいおい」と大輔は苦笑してしまう。


「世界を巻き戻した事よりも電話に出なかった事の方を怒るぞ」


「……ごめんなさい」


 今日、何度目の謝罪だろう。その意味合いは謝るごとに少しずつ変わっていっていそうではあったが。


「冗談だ。もう謝るな」


 これが少女漫画であったなら伏し目がちとなってしまった知世の頭を「ぽんぽん」としていただろうが、生憎、大輔には王子様の素養は無かった。


「これまでの巻き戻しもそういった事が原因だったりするのか?」


 と大輔は現実的に話を詰める。


「え、あー……まあ、昨日がはじめてではないけど。そんなに頻繁てわけでも」


「……そうか」と知世の答えに重く頷いた大輔は早速、この日の放課後から、


「――長崎。帰るなら送るぞ」


 知世のボディーガードを買って出る事にした。


「ええッ?」と知世は声を裏返して驚いていたが、


「遠慮も気兼ねもする必要はない。長崎が世界を巻き戻さないで済むように手助けをする事は俺にもメリットがある事だからな」


 大輔は善意を押し付けた。


「真田君……どこまで一緒に?」


 教室を出て、校舎を出て、校門を出たところで知世が言った。


 その言葉の下の句は「――ついてくるの?」であったかもしれないが大輔は「――来てくれるの?」と解釈してしまっていた。


「安心しろ。家まで送る」


 当然の事だとばかりに大輔は言い切った。


「ああ。そう……でも。私ひとりでも大丈夫よ? いざとなれば――ね?」


 知世はまた申し訳なさそうに大輔の事を見る。その顔は苦笑いに似ていた。


「まあ。そのときには真田君を巻き込んじゃうことになっちゃうんだけど。でも私にずっとくっついて自分の時間を潰しちゃうよりはマシなんじゃないかなあ。『いざ』とならないことの方が多いと思うし」


 知世は「本末転倒っぽくないかな。リセットに巻き込まれて自分が過ごした時間をなくされないように私と一緒に居て自分の時間をなくしちゃうってのは……」と眉を曇らせる。


「……正直」と大輔は素直に吐露する。


「自分が巻き込まれる、巻き込まれないよりも昨夜は長崎を心配する気持ちが勝っていた。どうした、長崎。何があった、長崎。無事なのか、長崎と。勝手な話だが……長崎を長崎の家にまで送る事で俺は安心を得たいという気持ちがある」


「な、なんだか……あは、はは……照れるわね」


「また怖がらせてしまうかもしれないが――以前の寿命が削られる話のような嘘でも冗談でもなくて――長崎の事を狙っているのは実は痴漢なんかではなくて……」


 そこまで言っておきながら大輔は言い淀む。


「ち、痴漢じゃなくて……?」と知世はその先を聞きたいような聞きたくないようなといった反応を示した。


 大輔は軽く深呼吸をして自分の気持ちを落ち着かせてから、


「……悪の組織なんじゃないのか?」


 自説を告げた。


 少女漫画は嗜んでいなかった大輔だが少年漫画なら、ちょこちょこと読んでいた。


「……『悪の組織』……?」と知世は大きな目をぱちくりと瞬かせる。


 それから、


「あははははッ!」


 と大きく口を開けて笑った。


「いや。長崎。笑い事じゃないぞ」


「じゃないぞって言われても。ふふ、ふふふ……」と知世は笑いを噛み殺す事に苦労していた。


「真田君も……男の子なのね」


「女に見えるか? 俺は男だ。そんな事よりも。――俺の勘違いならそれで良いが、学校でも俺と長崎が話していると背後に気配を感じる事がある」


「……学校だからね。他の生徒も先生も事務員さんも居るわよ」


「そうだ。だから俺も最初は気にしていなかった。だが」


「だが?」


「気配を感じて振り返ると――誰も居ないんだ。恐らくは俺が振り返る瞬間に隠れている。他の生徒や先生や事務員だったらそんな事はしないだろう?」


 怪談話が如くシリアスに語られた大輔の言葉を柔らかく受け取った知世は、


「それって私か真田君のファンの子だったんじゃないの。私と真田君のオシャベリを盗み聞きしてただけだと思うけど」


 恥ずかしげもなく真顔で言った。


「ははは!」


 と今度は大輔が笑う番だった。


「芸能人じゃあるまいし。俺や長崎にファンなんているか。いや長崎がクラスの皆に好かれている事は知っているが……ファンというのは」


「……無自覚なところがモテる要因のひとつなのかもしれないけど。たまに過激派もいるから。真田君はもう少し気を付けた方がいいと思うわよ?」


「ははは。ご忠告痛み入る」


 片方が真面目に話すともう片方はコミカルに受け取る。攻守交代してもそう。


 先程から二人の意見は少しも合っていなかった。


 駅に到着。ホームに入る。


「……真田君。本当にウチまで送ってくれるつもりなの?」


 笑みを含んだ呆れ顔で知世が言った。語尾に「?」は付いていたが「尋ねている」という感じの言葉ではなかった。


「ああ」と大輔は即座に頷く。


 今はまだ夕方の手前。高校から駅までの間ではほとんど誰とも擦れ違わなかったが駅のホームともなればこの時間帯でもそれなりに人が居た。


「……長崎は何も感じないか? 駅に入ってから……見られているような気がする。視線を感じる」


 大輔は知世の耳に唇を寄せて、こそこそっとささやいた。


「え、あ……ま、まあ。私と真田君が並んでいれば見るヒトも居るでしょうね」


 知世はまだそんな事を言っていた。


「……長崎。危機感が足りていないぞ」


 大輔は苦言を呈する。自分の事だというのに。いや、自分の事だからこそ楽観的に考えてしまっているのか? 「正常性バイアス」とかいうやつだ。知世は、


「ウチまで……。ウチまでかあ……。自宅の場所とか……真田君なら、まあ……」


 大輔の小言を完全にスルーして、ぶつぶつと別の何かを呟いていた。



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