第12話

   

「……難しいわね。ホントに。先をいかれてばっかりでいたちごっこにもなってない感じ」


 知世がふうと息を吐いた。大輔はぶつぶつと独り言ちる。


「……あと一歩な気もするし、全く見当違いな事をしてしまっている気もする……」


「高跳びのマットもひとつしかないのよね。あっちのマットをこっちに持ってきたら今度はマットの無くなったあっちで落ちるだろうし」


「…………」


「三階の窓から見えないところにマットを隠しておいて、飛び降りようとした瞬間にサッと出すなんて……無理よね。重いもの」


「…………」


 大輔は知世の話に相槌も打たず考え込んでいた。


 宮下ワタルだったモノを見て、三年生の教室を見る。


 二つの距離は1メートルも無かった。


「……長崎。向こうにマットを敷いた直後に戻れるか?」


「秒単位で正確にっていうんじゃなければ。出来るけど。……する?」


「頼む」


 ――分厚いマットの移動を手伝ってくれたクラスメートたちが、


「いやいやいや。どういたしまして」


「こちらこそ手伝わせてもらってありがとうだよ」


「自分も何かやった感があるよな。正義を成した的な」


 その場から居なくなる。


「で。どうするの?」と知世が尋ねた。


「三年生の教室に行く。宮下が落ちた場所のすぐ隣の」


「……まさかだけど下で受け止めようとか思ってないわよね?」


 歩き始めた大輔を追い掛けつつ知世が詰める。


「…………」


「はじめから下に居たら落ちてこないだろうから教室の中に隠れておいて、宮下君が飛び降りた瞬間に飛び出して……とか考えてるんならバカだからね?」


「…………」


「宮下君の体重なんか知らないけど。三階の高さから60キロとか70キロが落ちてきて受け止められるわけなんかないからね?」


「……ああ」


「死ぬわよ? 本当に。……死んでもリセットしてもらえるから大丈夫とか思ってるんだったら」


「いや。流石に『死んでも大丈夫』とは思えない。……死ぬつもりは無い」


「……本当でしょうね?」


「ああ」と頷いた大輔を知世は信じてくれたのかどうか、大輔には分からないがもうそれ以上の問答を続けている時間は無かった。二人は三年生の教室に到着していた。


 本当に幸い、教室の中に残っている生徒は居なかった。


「手間が一つ省けたな」と大輔は笑ったが知世は笑ってくれなかった。


「どうする気なの?」


「教室の中からだと宮下が落ちてくるタイミングが分からないな。――長崎。鏡とか持っていないか?」


 持っていないだろうと思いながら大輔は尋ねていた。知世の答えは、


「持ってないわよ」


 大輔の予想通りだった。


「当然、教室の中からじゃ上に居る宮下の様子は分からないな。長崎は外で――上は見えるけど上からは見えないような木の陰とかで待機していてもらえるか。それで、宮下が飛び降りようとしたタイミングで合図をくれ」


 これから大輔が試みる予定の行為には危険が伴っていた。


 万が一にも知世を巻き込んでしまわないように大輔は、知世には離れていてもらいたかった。が、それを正直に伝えても知世は従わないだろうと大輔は思った。


 むしろ、離れるどころか大輔にくっついてその行為自体をさせまいと邪魔してくるかもしれないとまで思った。


 そこで知世には嘘でも冗談でもなく本当に必要な役回りを務めてもらう事にした。


 その役の必要性を彼女自身が認めれば、断る事は出来ないだろう。


 長崎知世と一緒に過ごした時間こそまだまだ少ないがその密度は普通であればありえないくらいに高くなっていたせいで大輔は彼女の性格を既に把握しかけていた。


「……わかったけど」


 知世は何か言いたそうにしながらもただ頷いた。


 大輔は「前」に宮下が落ちていた場所の真ん前の窓を全開にする。


 最上級生の机を申し訳ないが足場にして、高さがある窓のさんから一気に飛び出す準備を整えた。


 風で膨らんだカーテンが窓から外に出て、上に居る宮下の目に入ってしまうと飛び降りる場所をずらされるかもしれない。大輔はカーテンの端を上手に握って、動かぬように押さえていた。


 長い長い十数秒後、大輔が頼んだ通り向こうの木陰に潜んでいた知世が大きな声を上げる。


「――落ちた!」


 大輔は窓のさんに足を掛けた次の瞬間にはそのさんを蹴って外に飛び出す。


 手にはカーテンの端を握ったままだった。


 窓の内側の上部にあるカーテンレールから、外に飛び出した大輔の手元まで、濃いクリーム色のカーテンが斜めにピンと張られる。例えるならば、角度が大きいノキやヒサシのようなものが出来上がっていた。


 いつだったか大輔は「九死に一生SP」みたいなタイトルのテレビ番組で見た覚えがあった。


 ビルの窓から落ちる人間。地上に居た人たちが布団を広げて受け止めようとする。この時、地面に対して水平、落ちてくる人間からすると直角に布団を広げていると、落下の勢いを吸収し切れないまま、落ちてきた人間は布団越しに地面とぶつかってしまう。クッションの効果はほとんど無いと言っていた気がする。


「九死に一生SP」では広げた布団に――45度くらいだったか――結構な角度を付けておく事で落下の衝撃を受け流す事が出来ていた。大輔の記憶では上から落ちてきた人間が斜めに張られた布団に当たると真横に飛んで転がっていた。


 果たしてテレビ番組の再現VTRと同じ事が実際に出来るものなのか。そもそもが大輔の記憶違いだった可能性もなくはない。


 不安を飲み込んで大輔はカーテンの端を握る手に力を込める。


 窓から真下に――頭から落ちてきた宮下ワタルは、斜めに張られていたカーテンの高い部分に当たって、


「横に転がれ――ッ!」


 大輔の願い虚しくそのまま地面に落ちてしまった。


「……宮下?」と大輔は恐る恐る彼に目を向ける。


 宮下ワタルとカーテンが接触した直後――バチバチバチバチバチッ! とカーテンレールに取り付けられていた金属製のフックが一斉に弾けていた。


 人間の手と手で広げていた布団ならば吸収し切れなかったであろう衝撃は金属製のフックが大量に弾ける事である程度、消化されたらしい。計算外の偶然だ。


 また宮下ワタルは頭からカーテンに当たるもフックが弾ける際の一瞬だけふわりと受け止められていた。


 頭蓋骨や首に衝撃は走らず、更にはその一瞬の内に下半身が降りてきており、結果として宮下ワタルは体全体でもってドシンと地面にぶつかっていた。


 カーテン越しであっても、窓から落ちた体勢のまま、頭で地面とぶつかっていればやはり死んでいたかもしれない。幾つもの偶然が上手い具合に重なって宮下ワタルの体は落下の衝撃に耐えた。


「ん……、んん……ッ」


 宮下ワタルは確かに生きていた。それはまだ宮下ワタルだ。今回のそれは「だったモノ」にはなっていなかった。


 普通校舎の三階の床で地上から約8メートルの高さになる。窓の位置はその床から更に1メートル程度高い。足しておよそ9メートルの高さから宮下ワタルは頭を下にして落ちた。そのままなら確実に死んでいた。「実際に」宮下ワタルは何度も死んでいる。だが9メートルという高さは、落ちれば確実に死ぬという高さでもなかった。当然、落ちても無傷で済むような高さではないがカーテンのクッションで助ける事は不可能ではないぎりぎりの高さだった。屋上へと繋がるドアに鍵を掛けてくれていた学校側の判断には感謝しなければいけない。



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