第31話
その言葉にウェリナは、エメラルドの目をぎょっと見開く。白皙の美貌が今は白を通り越し、ほとんど青に沈んで見える。それは、書架の奥という薄暗い環境のせいだけではないだろう。
「アル……君は、何を言って……」
「別におかしな話じゃないだろ? 今回の一件は、お前にとっても都合が良すぎる。現に俺も、こうしてまんまとお前の手元に置かれてるわけで――」
「ふざけるなッッ!」
唐突な激昂が、俺の悪い冗談を断ち切る。
「お、俺が、あの時、どんな気持ちで君を……ッッ!」
蒼褪めた顔で呻くウェリナの怒りはどこまでもまっすぐで、その真摯さに俺は胸がぎゅっとなる。
俺にあらぬ疑いをかけられ、こいつは今、本気で傷ついている。別にサディストを気取るつもりはないが、この、澄んだ怒りに満たされる自分が確かにいた。
「……わかってるよ。あの時のお前が、嘘をついていただなんて思わない」
俺を救い出した時、ウェリナの眼差しは喜びと安堵とに満ちていた。
そうでなくとも、あの襲撃犯が俺に突き付けた殺意は間違いなく本物だった。あれがウェリナの放った偽の刺客なら、どこかに演技の色が残っていたはずだ。が、その色が奴らの殺意には微塵も感じ取れなかった。
ところがウェリナは、疑われたこと自体が余程ショックだったのか、相変わらず蒼い顔のまま俯いている。
さすがにこれは……謝った方がいいかな。いや、今までやられっぱなしだったんだ。ようやく掴んだ反撃のチャンス。ここは、今以上に揺さぶって主導権を取り戻し――そんな企みはしかし、すぐに潰えてしまう。
「アル」
ウェリナは手元の本を書架に挿すと、おもむろに俺に向き直る。いつの間にか怒りの色が抜けた表情。ただ、その能面はどこまでも仮面じみて、かえって怒りの強さを想像させる。
やがてウェリナは、ゆっくりと俺に歩み寄る。目前に迫る壁、もとい、ウェリナの無駄に広い胸板を見上げながら、やっぱこいつデケェなと今更のように思う。アルカディアの身長より頭一つぶんはゆうにでかい。
そんなデカい図体の男が、高密度の怒気を孕みながら、のしかかるように迫ってくるのだ。当然、俺は恐怖を覚える。そうでなくとも俺は、こいつにブン殴られても仕方のないことを言ったわけで、おのずと身体は半身になり、いつでも逃げ出せる構えを取る。
でも、俺は逃げない。
喧嘩を売った人間のケジメ、なんて青臭い理由じゃない。ただ俺は、俺の言葉に深く傷つき、痛みを堪えるようなウェリナの顔から目が離せなかったのだ。
綺麗だ、と、場違いながらも感動していた。
それでも、ウェリナの広い胸板が眼前に迫ると、さすがに引き下がらざるをえなくなる。押し出されるように、一歩、二歩、三歩……やがて背後の壁に阻まれ、これ以上の退路をなくしたその時、ウェリナの腕が伸びて威嚇するように壁に叩きつけられる。あ、これが世に言う壁ドンってやつ?
「わかってないよ。君は……何もわかってない」
錆びた鉄が軋むようなウェリナの呻きに、俺はまた胸がむず痒くなる。
いや、わかってるよ。ほんとに、ひどいことを言った。……その上で俺は思ってしまう。俺に傷つけられ、ガチで悲しむお前が、どうも俺は、可愛くて仕方がないらしいんだ。
そんなウェリナの愛らしさが、思いがけない引力を俺に働かせる。
気付くと、ウェリナのくちびるを啄んでいた。
「ん」
尖らせた先端が触れた瞬間、びびっと鋭い痺れが頭に走る。何だ、これ。てか何やってんの俺。相手は男だぜ? なのに……
「――っ!?」
次の瞬間、ウェリナが見せた反応に俺は面食らう。まるで弾かれたように、俺から距離を取ったのだ。いや、これが俺の反応ならまだわかる。何せ、いきなりチュッだもんな。なのに、まさかウェリナの方がこんな……
「なんで?」
つい間抜けな問いを発してしまう俺。つーかウェリナお前……アルカディアの恋人だったんじゃねぇの?
ところがウェリナは、なおも上体をのけぞらせたまま、真っ赤な顔でじっ、とこちらを凝視している。エメラルドの瞳に浮かぶのは戸惑いと狼狽、それと……これは、恐怖?
そういえば、いつぞやの夜もこいつは、やたら「怖い」を連呼していた……
「……なぁ、何がそんなに怖いんだ、お前」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます