第30話

 その夜、俺は夕食を終えたあとで図書室に向かった。

 夕方のメイドさんによると、ウェリナは食後、図書室で本を読みながらまったりと過ごすことが多いらしい。そのウェリナに、この夜、俺はどうしても問いただしたいことがあった。

 ウェリナは、彼女の言うとおり図書室にいた。

 図書室は、夜でも全体がほの明るい。光の精霊を住まわせているのだろう。この世界では、夜はこうして明かりを取るのが一般的だ。

 そんな、ほの明るい図書室の奥の書架で、ウェリナは難しい顔で本を睨んでいた。手元には、触れたそばからぼろぼろと崩れそうな年代物の古書。それをウェリナは、手袋もつけず手元で雑に開き、じっと読み耽っている。

「おい、ウェリナ」

「アル?」

 弾かれたようにウェリナは振り返ると、エメラルドの目を二、三度瞬かせ、思い出したように仏頂面を装う。いや、そういうのはもういいんだってと呆れつつ、でもちょっと可愛いなと思ってしまう自分がいる。

 もっとも、こいつの所業を考えるなら、可愛いなんて呑気なことは言っていられない。

「マリーに聞いたんだが、巷じゃ俺とイザベラ嬢の婚約解消が噂されてるらしいな。本当か?」

 するとウェリナは手元の本を閉じると、形の良いくちびるをふ、と歪める。

「そのようだな」

「そのようだなって……他人事みたいに言いやがって」

「別に不都合はないだろう。むしろ、このまま本当に婚約を解消してしまえばいい。そもそも我々は、本来、そうした成り行きを望んでいたのだ」

 確かに、な。そうしてアルカディアは手の施しようのないバカ王子として王太子の座を追われ、引退したウェリナと二人で末永く幸せに暮らしましたとさ――それが、二人が目指したハッピーエンドだった。

 でも俺は、アルカディアじゃない。

「む、昔の俺はともかく……俺は、彼女と別れるつもりはない」

「だからあんな手紙を? 君は今、世間では危篤状態ということになっている。あんなにも長々と手紙をしたためる余力はないはずなんだ、表向きはね」

「そ、れは……そうだけどよ、でも……だからって放置もまずいだろ!? 仮にも婚約者だぜ!? 最低限の事情は伝えないと、」

「その点は心配要らない。代わりに俺が、君の現状を記した手紙を彼女に送っている」

「……全身傷だらけで今にも死にそうです、ってか?」

 するとウェリナは、明確に否定しない代わりにふっと苦笑を返してくる。その、人を食った態度がまた俺の癇に障る。

「じょ……冗談じゃねぇ! んな手紙送られたら、ただでさえ事件のことで気に病むイザベラが余計に心配するだろ!」

「大した自信だな。まさか、彼女に愛されているとでも?」

「……っ」

 わかってるよ。そんな自惚れ、俺だって持っちゃいないぜ。

 実際、俺に向けられるイザベラの眼差しは、どう見ても異物に対するそれだった。少なくとも、信頼や愛情の類は薬にしたくとも見当たらなくて……けどよ、たとえポーズであっても俺を案じてくれる人間を、放置なんてできるわけねえだろ。

「とにかく……手紙を書かせてくれ。せめて、手紙を書ける程度には回復してるってことを伝えたいんだよ」

「そんな手紙に何の意味が? このまま沈黙を貫けば、いずれ王太子の座はリチャード殿下に移る。健康面で不安を抱える人間を、そういつまでも王太子に据えておくほど王宮も甘くはないからな。……予定外のシナリオではあったが、俺たちはあと一歩で目指すゴールに届くんだ。あと……少しなんだ」

「……目指すゴール」

 確かにな。だがそれは、あくまでウェリナとアルカディアにとってのだろう。でも俺は、そんなゴールは御免だ。……こいつがアルカディアのために用意したハッピーエンドなんざ。

 その、小さじひと掬いぶんの苛立ちが、心にもない意地悪を俺に言わせる。

「なぁ、ひょっとして今回の襲撃、お前の自作自演なんじゃねえの?」

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