第29話
「……ふーん、じゃあ王族の血を引く人間は、いくら五侯の血を入れても力が無効化されちゃうわけだ」
翌日、例によって俺はマリーと中庭で雑談に耽っていた。
広いといえど閉鎖された今の環境では、無聊を慰めるにも手段が限られる。マリーはその点、雑談で暇を潰すにはうってつけな相手だったし、宮殿やウェリナに統制される以外の情報が手に入る唯一の窓口でもあった。
奇妙なのは、ウェリナが俺とマリーとの接触を野放しにしている点だが、余程自分の魅力に自信があるのか、それとも単なるポカミスか。
「は、はい……」
やがてマリーは怪訝そうに頷く。その顔には、なぜ今更こんな初歩的な質問を? という疑念がこれでもかと浮かんでいる。
「司祭さまは、だからこそクリステン家が国の柱に選ばれたのだと仰います。単独でも強大な精霊五侯を平等に支配するには、何色にも染まらぬ無垢の血が必須だった、と」
「無垢……なるほどね」
つまり、数字のゼロみたいなもんか。
どんなにデカい数字を掛けても「=0」にしてしまうゼロは、存在しないという、まさにその一点で唯一無二の価値を示す数字とされる。この〝ゼロ〟は、五侯としては確かにありがたい存在だっただろう。
単独で強大な力を持つ五侯が、もしガチの権力闘争に突入すれば、それこそエンドレスな消耗戦と化してしまう。それはそれで無益だと彼らも理解しているからこそ、何の力も持たない代わりに、どの色にも染まらぬ無垢の血――すなわちクリステン家を王家として立てたのだ。
「じゃあリチャード君は、モーフィアス家の血を引いてはいても、炎の力を使えるわけじゃないんだね」
リチャードとはアルカディアの異母弟で、その母親は炎の侯爵家モーフィアス出身のカサンドラだ。現在は成人前の十三歳だが、すでに武術や勉学の面で際立った才能を発揮しているという。ちなみにこれも余談だが、アルカディアの母親は現国王が王位継承権の低かった王子時代に娶ったウェリントン家の遠縁の娘で、これが現在、ウェリナが俺を保護する表向きの言い訳になっている。
「はい。ただ……力を使えない、というだけで、まぁその、裏ではいろいろ込み入ったお話があるようです」
「込み入った話?」
オチにアタリをつけつつ、あえて探りを入れてみる。するとマリーは、やや困った顔で溜息をつく。
「はい。やはりその……お母さまだったりお妃さまのご家系には、何かと便宜が図られることも多いようです。まぁ、王様といっても人間ですからね」
なるほどね。後宮を抱える王家にはどうあってもついて回る黒い話だ。だからこそ貴顕たちは、自分の娘を無理やりにも王や皇帝に差し出そうとする。その娘が男子を産み、ワンチャン次期国王に即位すれば我が世の春。息子や孫のサポートと称して王権を掌握し、うまくすりゃ王様以上の権勢を揮えるってわけ。俺の国じゃ古典や歴史で習う古い古い政治システムだ。
「ってことは……リチャードを王に据えたいモーフィアス家としては、現王太子の俺はやっぱり邪魔だよな……」
「それって……先日の暗殺の件ですか? いいえ! カサンドラ妃は違います! あの方は、とても誠実で、それにまっすぐな方です。……暗殺なんて、そんな、卑怯なこと……」
確かに、王宮でもカサンドラ妃、つまりリチャードのご母堂の評判は良いなんてもんじゃなかった。誠実で実直、部下の面倒見もよく、彼女の宮で修業をさせたいと令嬢を預けたがる貴族は後を絶たない。
しかし、だ。
カサンドラ個人は善良でも、その後ろ盾であるモーフィアス家の意図はわからない。少なくとも、動機――ホワイダニットの観点から言えば、いの一番に疑うべき連中だろう。
ふと視線を感じて振り返る。マリーが、不思議なものを見る目でじいっと俺を見つめていた。
「ん、何?」
「あ、いえ……本当に、何もかも忘れていらっしゃるのですね」
俺の〝記憶喪失〟のことを言っているのだろう。彼女には、すでにそうと打ち明けてある。さすがに転生云々の話はできかねるが……
「あー……うん。困っちゃうよねホント。だからさ、これからもいろいろ教えてくれると助かるな」
やがて日が傾き、中庭が建物の陰に沈むころ、マリーは晩餐用の身支度のために自分の部屋へと帰ってゆく。こんな茶番に、そうとは知らないまでも辛抱強く付き合ってくれる彼女は、改めて、根は良い子なんだよなと俺は思う。……たまに、段差もない場所で勝手に躓いて廊下の壺を割るなどのファンブルを起こすのが玉に瑕だけど。
一人残された俺は、近くを通りかかったメイドさんに声をかける。二日前に出したイザベラへの手紙。その返事が届いていないか確かめるためだ。
ところが彼女は、「いえ、ございません」と控え目に被りを振る。
「えっ、でも……あれから二日だぜ? ……あ、ちなみに、もしイザベラちゃんが俺の手紙を読んですぐに返事を書いてくれたとして、大体いつ頃届く感じ?」
そういえば、この国の郵便事情を把握していなかったわと反省しつつ問えば、やはりメイドさんは困った様子で、ええと、と唸る。
「そうですね……当日中にはうちの者が先方のお屋敷にお届け致しますので、早ければ、その日のうちにはお届けできるかと」
そうか。お貴族サマの場合は屋敷の人間が直接先方に届けるから、郵便事情なんてものは関係ないのか。……が、だとすると返事は、彼女も言うように当日中、もしくはその翌日には届いていなきゃおかしい。イザベラが俺と同じくLINEの返信をサボって文句を言われるタイプならまだしもだが、俺が見たところ彼女はそんなズボラじゃない。
だとしたら……なぜ返事は来ないのか。単にスルーされているのか。えっ、ひょっとして俺、嫌われた? それは……ぶっちゃけかなりやばい……
もしくは。
「失礼だけど、出し忘れ……とか?」
するとメイドさんは、一瞬、心外なという顔をする。
そりゃそうだよな。彼女たちの仕事ぶりは完璧だ。今の言葉は、そんな彼女たちを侮辱したにも等しい。
「お言葉ですが、それはありえません。ウェリナ様に限ってそのような……仮にお手紙が出されていないのだとすれば、ウェリナ様の方で、内容に問題がおありだと判断されたのでしょう」
「はぁ……えっ、ウェリナが!?」
何だってここで急にウェリナの話が? ……いや待て。高度に機密が保持された屋敷。偶然押しかけてきたマリーすら、教会に帰さず留め置いている。
そんなウェリナが、情報の塊である手紙の類をスルーするはずもない……
って、まさか、あいつ。
「はい。こちらのお屋敷から送られるお手紙はすべて、ウェリナ様によって事前に内容が精査されます。それは、恐れながら殿下のお手紙も例外ではございません」
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