第28話

 その夜、どういうわけか俺はウェリナに晩餐へと誘われる。

 さすがに例の不毛な強がりは打ち止めか。そう胸を撫で下ろした俺はしかし、甘かった。ウェリナの腕に率いられて食堂に現れたのは、明らかに上等なドレスで着飾ったマリー。その姿は、さすがはこの世界の〝正〟ヒロインと呼ぶべき可憐さで、しかし残念ながら、顔にでかでかと書かれた「うんざり」の四文字があらゆる魅力を台無しにしていた。

 まぁ彼女の気持ちを思うなら、それも仕方のない話で。

 要するにこれは、ウェリナの俺に対する当てつけなのだ。マリーもそれをわかっているから、素直に喜べるはずもない。で、そのことにウェリナはおそらく気付いていない。というか、あいつ一人が何も知らず好き勝手やっているのがこの惨状だ。

 馬鹿か。うん、馬鹿なんだろ。

 で、何も知らないウェリナはいかにも紳士然とした挙措でマリーを向かいの席にエスコートすると、手ずから椅子を引き、優しく座らせる。俺の席はというと、彼女と向き合うかたちで座るウェリナの、その隣。完全に添え物の扱いである。いや、一応王太子でゲストなんだが、俺。

 そんな抗議の声を飲み込む俺を尻目に、さっそく食前酒が、続いてオードブルが運ばれてくる。

「今晩は、マリー嬢がお好きだという山菜を中心にメニューを組ませました」

「ふえっ!? あ……ありがとう、ございます……?」

 なぜか気まずそうに、そして、どこか迷惑そうに礼を述べるマリー。ううっ、いい加減やめてやれよウェリナ。これ以上、彼女を巻き込むのはやめてくれ。

 最悪な空気の中、オードブルからスープ、ポワソン、そしてアントレと、コースだけはつつがなく進む。会話は乏しく、唯一、マリーとメイドさんが交わす山菜談義だけがテーブルに華やぎを添えていた。

 ようやくデザートが運ばれたところで、思い出したようにマリーが切り出す。

「あのっ、そういえばお二人は、士官学校時代はルームメイトでいらしたとか!」

「「えっ?」」

 重なる二つの声。何となしに振り返った俺は思いがけずウェリナと目が合い、慌ててマリーに向き直る――というより、ウェリナの視線から逃げる。

「あー……うん、らしい、な?」

「らしい?」

 怪訝な顔で問い返すマリー。その時、テーブルの下で何かが俺の靴を小突く。

 あーはいはい、わかってるよウェリナ。今のは明らかに失言でした。けどよ、じゃあここはお前が率先して会話を拾えよな。そもそも、俺は当時のことを何も知らねぇんだから――そう意を込め、軽く睨み上げると、ウェリナは明らかにうんざり顔でマリーに向き直る。

「ええ。殿下とは二年間、寮でご一緒させていただきました」

「はわわ……い、イケメン二人が、同じ部屋で……っ、あ、あの、寮ではっ、そそ、その、専らどのような生活を? 士官学校はカリキュラムはもちろん、暮らしに関する日々の規則も厳しいと伺っておりますが……」

「そうですね。確かに、寮での暮らしは規則も多く、最初の頃は窮屈にも感じられました。が、それまで蝶よ花よと育てられた有爵家の男子たちにとって、学校での規律ある暮らしは必要な通過儀礼といえるでしょう。己を律する精神を身につけることで、少年は初めて男になる。そのようにして育った男でなければ、国家運営の枢とはなりえませんからね」

 うほぉーさすがは学年首位! 歯の浮くような模範解答をよくもまぁペラペラと。ただ、こいつのピンと張った背筋や引き締まった顔つきを見るに、あながちハッタリにも聞こえないのが怖いところだ。

 実際、こいつは大変な努力を重ねて俺、というかアルカディアを護るための力を手に入れたんだろう。若くして騎士団の幹部職を得たのも、ウェリナは血筋のおかげだと言うが、俺はそれだけだとは思わない。

 で、幹部職に就いたおかげで一個小隊を動かす力を持てたのだし、先日もその力で俺を救ってくれた。

 凄い奴だと思うよ。シンプルに。お前を。

 一方、マリーは相変わらずはわわわの目でウェリナを見つめている。

「そ、それでですね、その、多感なお年頃の青少年が、き、禁欲的な暮らしを強いられるのは、ええと、何かとお辛いものがおありなのでわとおもふのですが???」

 ん゛ん゛っ?

 何だこの娘、いきなりエグい角度でぶっこんできたぞ? えーとつまり、十代のエロ猿男子が、その汲めども尽きぬ性欲パワーをどうやって発散しているのか、という話? これは……難しい質問だなぁ。アルカディアではなく俺自身の体験談ならそれこそ掃いて捨てるほど提供できるんだが、それをアルカディアのものとして披露するのはさすがにヤバかろうし、それ以前に、妙齢の女性の前で口にしていい話じゃない。

 何となしに振り返ると、ウェリナは何食わぬ顔で食後の紅茶を啜っている。いやいやいや、ここはお前が火中の栗を拾いに行く場面だろ? それとも何か? イケメンはその手の汚れ仕事は致しませんってか?

 ……いや。

 やっぱ駄目だ。俺としても、ここでウェリナに口を割らせるわけにはいかない。そういう関係だった二人が、同じ部屋に寝起きしながらコトを致さなかったはずがないのだ。まして……お盛んな年頃だしな。

 などと気を揉んでいると、満を持して、といったタイミングでウェリナが口を開く。いや遅ぇよ!

「世の中には、秘めておいた方が美しいこともある。そうは思わないかい」

 そしてウェリナは口元に人差し指を立て、ニッと口角を引く。

 あ、普通にごまかしやがった。

 一方のマリーは、うんうんと目を輝かせながらキツツキの速度で首肯する。とりあえず茶番で済んだ会話にこっそり胸を撫で下ろしながら、俺は、やっぱりやってたんだろうなぁとぼんやり思う。

 誰も知らない夜の底で、この身体は何を感じ、何を拾っていたのだろう。

 ウェリナの愛だとか欲を総身で受け止めながら、アルカディアは何を思い、何を感じていたのか――……

 いやだ。

 不意に胸を貫いたその感情に、俺はまず驚き、それから慌てる。

 考えたくない。これ以上は想像したくない……それが、二人への配慮といった当たり前の感情とは全く異質なことに気付いて俺はまた焦る。

 えっ、何なんだ、この感情。

 わからない。いや、わかる……気もする。でも、気付いちゃいけない。理解してはいけない。

 だからわからない。そういうことにしなくちゃいけない。

 これはきっと、そういう類の感情だ。

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