第22話
「ご、ごめんなさい……うちの教会、お年寄りの方がいらっしゃることが多くて、それでつい、声が大きくなっちゃうんですよね。テヘッ」
ほりほり、なんて擬態語が似合う手つきで額を掻きながら、テーブルの向かいに座るマリー=ランカスタは悪びれた顔で舌を出す。
あざといわけじゃない。ただ……やはり漂う地雷の匂い。それも、いわゆる病み系のなんちゃって地雷とは異質の、関わったらロクなことにならなそうな〝本物〟の。
これはあくまで俺の印象論だが、いわゆる乙女ゲームのヒロインはこうした、天然善意100%の猪突猛進暴走列車タイプが充てられることが多い。もっとも、さもなければ諸々の理不尽な妨害を超えてヒーローと結ばれるなんて結末はゲットできるわけないのでな。それに、少し抜けてるけど一生懸命なキャラってやっぱ読者の共感を獲得しやすいじゃん。現実に身近に存在したらホント勘弁してくれって感じだけども。
何にせよ、マリーはそんな乙女ゲームのヒロインにぴったりのキャラをしていた。
で、頭の中でこの子とウェリナを並べると、確かに、なかなかサマになるのである。容姿は、ぶっちゃけるなら吊り合っていない。ウェリナが美術館に飾られる絵画なら、この子は何というか、女児向け商品のパッケージに描かれる可愛いが記憶には残りづらい謎の女の子、みたいな風貌。が、それが逆に良い。読者の感情移入を誘いやすい、醜くはないが目立つところのない量産顔。ウェリナと二人並べると、それこそ乙女ゲームのスチルって感じがする!
が、何よりナイスなのは性格の相性だ。何につけても憎たらしいほど完璧なウェリナと、黙っていてもトラブルの臭いをバチバチに発するマリー。ふっ俺には見える。見えるぞ。万事そつのない、逆に言えば起伏に欠けるウェリナの灰色の人生に、嵐と彩りを問答無用でデリバリーするヒロイン、マリーの姿が! うん、やっぱラブコメはこうでなくっちゃなぁ。
などと脳内で新たなシナリオを組み立てる俺をよそに、マリーは、メイドさんが渋々運んだクッキーを美味そうに齧っている。
「えーと、じゃあつまりアルカディア様は、本当は大したお怪我はなさっていらっしゃらない、と?」
「そういうことっ! ったくウェリナの野郎、余計な心配し過ぎなんだってばよ。けどまぁ、ここのメイドさんたち可愛いし? もうちょっとゆっくりさせてもらおっかなーって。なははっ」
いや、なははって何よ。
うーん、意識的にバカ王子を演じるのも結構しんどいな。意外と頭を使う上に(素でバカなんだから素でいけと言われると泣いちゃう)、ああ今、みんなにバカって思われてんだろうなという実感が容赦なく自尊心を削ってくる。
その辛さを誰にも悟らせず、何年もバカ王子を演り続けたアルカディアの根性と役者魂は、改めて思うが、やっぱ尋常じゃない。
あるいは、それだけウェリナへの愛が深かった、ってことか。
後腐れなく王太子の座を捨て、ウェリナと二人で生きるために。……ウェリナが、そう願ったから。
「殿下?」
我に返り、顔を上げると、マリーがテーブル越しにじいいいいいっと俺を凝視している。やけにキラキラした大粒の瞳に見つめられると、照れるというより、なんかちょっと怖い。
「えっ? あ、ああ……なに?」
「ですから、そろそろおいとまさせて頂こうかと。殿下も、とくに祈りの必要はなさそうですし」
「あー……」
そうだった。
今回マリーは、俺が怪我で死の淵を彷徨っていると聞いてこの屋敷にすっ飛んできたのだった。ところが実際に訪れてみると、治癒の祈りを要するはずの俺はピンピンしている。
で、帰ろうとしたところを俺に呼び止められ、雑談に付き合わされたものの、紅茶も、それにプレートに盛られた二人分のクッキーもすでに売り切れ。って俺、ほとんどクッキーに手をつけてねぇんだけど?
いや、今はそんなことはどうでもよくて。
このまま彼女に帰られると、俺としてはとっても困るわけで。
「あー、ええとマリーさん? 実はねぇ――」
「一体どういうことです、殿下」
不意に聞こえた声に俺は身構える。冷ややかな中に、高密度な怒気を孕んだ声の主は、あえて確認するまでもない。
「この屋敷には、部外者は一切通してはならないと申し上げていたはずですが」
「あー……これは、その……」
振り返り、上目でそっとウェリナを伺う。案の定、いやそれ以上に、ウェリナの怒気は凄まじかった。切れ長の目と眉を表情筋の限界まで吊り上げ、何となく俺は、歴史の教科書に載っていた仁王像の写真を思い出す。
そんな最悪すぎる空気そっちのけでマリーはぴょこんと席を立つと、大雑把な印象とは裏腹になかなか綺麗な礼をする。
「お邪魔しておりますウェリントン侯爵! 私は、精霊教会より参りましたマリー=ランカスタです。今回、王太子殿下が深手を負われたと聞いて伺ったのですが――」
「殿下は」
マリーの話など聞く価値もないとばかりに、なおも俺を睨みつけながらウェリナは切り出す。
「現在、絶対安静を理由にこちらにご滞在中の御身。私の申し上げる意味はおわかりですね?」
「へーい」
わかってるよ。要するに、俺がここでピンピンしている事実はトップシークレットだと言いたいわけだ。それを、マリー嬢はそうとは知らずに知ってしまった。
だが、そうなるとウェリナが取るべき手段は一つ。
ふふふ残念だったなウェリナ。お前はすでに乙女ゲームの理(ことわり)に絡め取られているのだよ。あとはマリー嬢と好きなだけラブコメしやがれください。
「仕方がない。かくなる上は――」
そしてウェリナは、腰のサーベルをすらりと抜き――って、いやおいおいおい! そうじゃねぇだろ蛮族かよお前は! あ、いや普通に蛮族だったわ。人権意識皆無の中世ファンタジーの住人だったわ。くっそぉ、当たり前のように現代日本人の発想の限界を乗り越えてくんじゃねぇよ!
「ストーーーーップ! いや、あのな? 別に口封じっったって殺すこたぁねーだろうがよ! つーか落ち着いて考えてみろ。教会の人たちも、彼女がここに向かったことは知っている。それでいきなり行方不明になってみろ。ウェリントン家に何かされたって疑うだろ? お前、教会まで敵に回す気か?」
この国でマリーの属する精霊教会とやらが実際どれほどの権力を持つのか、残念ながら俺は知らない。ただ……ただな? 古今東西、宗教を敵に回すと面倒だって相場が決まってんだよ。
何より、ここでマリーに死なれたら困る! おもに俺が!
「とりあえず、その物騒なもんを納めてくれ。それと……彼女に対する処遇だが、お前の言いたいことはわかる。確かに、このまま教会に帰すわけにはいかないよな。うんうんわかるぜ。で、だ。事態が落ち着くまで、彼女にも屋敷に滞在してもらうってのはどうだ?」
さも名案といった体裁で俺は切り出す。もっとも、本来はウェリナの口から聞きたかったんだがな。
そう、で、渋々ながらもウェリナはマリーを屋敷に留め置く。するとまぁ、日々接するうちに愛だの何だのが生まれて何やかんや紆余曲折のすえに二人は結ばれて……と、そんな筋書きを俺は描いていたわけだ。
それを、このイケメン蛮族はよぉ。
一方のウェリナは、あからさまに険しい顔で俺を睨み返してくる。あー、これはガチでキレてるやつですね。でも、こればっかりは仕方がない。俺としては、このままお前の気持ちを受け止めるわけにはいかんのだ。何せ偽物だからな。お前を愛するはずの本物のアルカディアに……何より、お前に申し訳が立たないんだ。
幸運なことに、今回ばかりはテンプレの神も俺に微笑んでくれたらしい。ふと視線を感じて振り返ると、マリー嬢が大きな瞳をキラキラさせながら、はわわわとウェリナを見つめていた。
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