第21話
「恐い……か」
ぽかぽかと日当たりの良いテラス席。そこで俺は、昼食後の紅茶を漫然と啜りながら、テーブルに頬杖という王族らしからぬポーズで中庭を眺めている。
ウェリントンの屋敷はざっくり言うと漢字の口の形をしており、中の四角い空間は建物に囲まれた中庭になっている。手入れの行き届いたそこは、花壇という花壇に色とりどりの花が咲き乱れており見ていて飽きない。ので、今日はそこで食事がしたいとメイドさんにお願いすると、二つ返事でOKを出してくれた。ありがたい。
昼食は、これも俺の希望通りの軽食タイプで、コース形式ではなく一枚の皿に盛られてドンと出される気楽なやつだ。献立はサンドイッチのみだったが、とにかく具沢山で最後のひと口まで飽きさせなかった。まぁそんな感じで中庭での食事を充分に楽しんだ俺だったが、こんな心地よいシチュエーションでも浮かんでしまうのは今朝の疑問で、もうほっとこうぜあんな奴と自分に呆れる自分と、これはとことん向き合うしかないんではと腹を括りつつある自分がいる。
さて……結局どうすりゃいいんだろうな俺は。
一つだけ確かなこと。どうも俺は、俺が思う以上にウェリナのことを気にかけている、らしい。問題はその感情の出どころなんだが……恋、ではないと思いたい。思ってたまるか。だって、あいつの声とか体温とか妙に落ち着くし、恋愛として好きならこうはならんだろ……いや、けどじゃあこの右手のジンジンはどう説明する? あいつのことを考えるたびに生じるこの謎の疼きは?
うーん、結局何もわからん。というか、わかりたくない。
そんな答えのない問いを頭の中でぐちゃぐちゃ掻き回していると、紅茶では物足りないな、と思えてくる。ああ、やっぱコーヒー欲しいわ。ごちゃつく思考を一撃でぶっ飛ばす強烈な苦みが。
が、この異世界にコーヒーは存在せず、だから俺は、香りだけはやたらと良い紅茶を機械的にちびちび啜る。
「……帰りてぇ」
何となしにそんな呟きを口にしてから、これは、どっちに対する「帰りたい」だろうなと俺は思う。宮殿? それとも前世? いや後者はまず望みようもないし、前者だとしても、まずは宮殿での安全を確保しなくては。
そのためにも、事件に関する調査の進展が気になるところだ。
ところが、その調査に当たっているのが当のウェリナときている。奴としては、一日でも長く俺を屋敷に留め置きたいところだろう。そのために、わざと調査を長引かせることも、やろうと思えばできるわけだ。
けど、このままココにずるずる留まるわけにも……
一応、それを防ぐ策もなくはない。例えば、他の侯爵家に保護を頼む方法だ。そしてこの場合、頼るべきはやはりシスティーナ家だろう。
精霊五侯は王のもとで等しく、というのが、この国における一応の建前だ。ただ実情は、現国王の正室であるカサンドラ妃を出した炎のモーフィアス家と、鉱山開発で莫大な富を築く岩のシスティーナ家が強大な発言権を有している。
そのシスティーナ家は、ご存じ我が婚約者イザベラのご実家だ。大事な娘を差し出してでもバカ王子たる俺を抱き込み、財だけでなく政の面でもアドバンテージを手に入れたいシスティーナ家としては、ウェリントン家に俺の身柄を押さえられた今の状態は決して愉快なものではないはずだ。なので、俺の要請さえあれば、それこそ二つ返事で俺の受け入れにOKを出してくれるだろう。娘の未来の夫なので当然、安全も保障してくれるはず。
うん……それがベストな選択なのは、わかっちゃいるんだが……
――怖いよ。
「ああもう! だからどうでもいいんだってばあんな奴――」
「あのおおお!」
不意打ちじみた大声が俺の思考を遮る。調子外れの管楽器を思わせるその声に、早くもうんざりしつつ振り返ると、立っていたのはメイドではなく、なぜか修道服姿の女の子だった。
長い栗色の髪を後ろでまとめ、いかにも活動的といった印象の彼女は、顔立ちも愛らしく、充分美人で通るだろう。ただ、なぜか近寄りがたい――というより、お近づきになりたくない何かを感じさせる。多分それは、全身からビンビンに放たれる独特なオーラのせいだ。……独特、というのは俺なりに気を遣った表現で、要はその、トラブルの匂いがする、というか、バイトでこいつと同じシフトにだけは当たりたくない、というか……
「王太子殿下でいらっしゃいますかあああ?」
「えっ? あ、うん……で、君は?」
「お怪我の様子はいかがですかああ? 拝見したところ、随分と回復しておられるご様子ですがああ!」
「えっ? あー……ええと……」
そんな彼女の背後から、今度はばたばたと足音がする。見ると、珍しく泡を食ったメイドさん数名がこちらに駆け寄るところだった。その様子は完全に、ドッグランから脱走したバカ犬を追いかける飼い主のそれ。
「お引き取りください! いくら教会の方でも、侯爵様の許可がないかぎり通すわけにはいきません!」
「教会?」
すると女の子は満面の笑みで「はい!」とそれはもう大きく頷く。メイドさんたちの言動からして明らかに不法侵入犯ではあるのだが、それを気にも留めない神経の図太さと空気の読めなさに、俺はふと既視感を覚える。
ひょっとしてひょっとすると、こいつ……まさか。
「……つかぬことを訊くけど、君、聖女なんて呼ばれてない?」
すると女の子は、「どうしてわかっちゃったんですかぁあああ!?」と、これまた場違いな大声で答える。
そんな彼女の満面の笑みを前に、俺は内心マジかよ、と思う。
確かに……悪役令嬢モノといえば聖女、つまり、本来(?)のシナリオでヒーローと結ばれるべき正ヒロインの存在は不可欠だ。が、これまではイザベラとウェリナが見せるイレギュラーな態度にばかり気を取られて、その存在をすっかり失念していた。っっても、その悪役令嬢モノのテンプレすら崩壊したこの期に及んで聖女の登場に何の意味があるのか、という話だが……
いや、意味はある。
確かに、悪役令嬢モノのテンプレはすでに破られた。が、それは、その元ネタ(?)である乙女ゲームのテンプレが破られたことを意味しない。ここで聖女様が現れたことがその何よりの証拠である。つまり、今は俺に向けられたウェリナの恋心を、この聖女様にタゲ取りさせることは可能、いや乙女ゲームの因果に照らすなら、むしろそうならない方がおかしい!
そうしてウェリナは、この聖女様とラブラブハッピーエンド。
俺は俺でイザベラと無事結婚、めでたしめでたし。
なるほどね。うん、これでいこう。
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