第15話
さすがにそういつまでも狸寝入りは続けられないので(単に膀胱の貯水量がヤバかったからとも言えるが)、ウェリナの来襲から少し置いて俺はベッドを出ると、使用人を部屋に呼び、現れたメイドの女性にここはどこかと問う。
彼女曰く、やはりここはウェリナの邸宅で、街で暴漢に襲われた俺を治療するために急遽運び込んだらしい。
「治療?」
妙だな。俺はどこも怪我をしていないし、実際、治療の跡もない。
すると、いかにも賢そうな顔をしたメイド氏は、「ええ。治療です」とにっこり微笑んだ。
その、明らかに何かを含んだ笑みに、俺は口裏合わせの気配を嗅ぎ取る。
おそらくウェリナは、そういう体裁で俺を保護、いや確保したのだろう。負傷した王子に応急措置を施すためのやむを得ない措置だったと言えば、なぜ王宮にお連れしなかったのかという批判にも一応の反論にはなる。
え、なに? 俺を手元に置いてイチャラブをキメたかった?
まぁ……さっきの奴の言動を踏まえるに、それもあながち的外れな妄想ではないんだよな。ただ、ここはあえて思考の幅を広げてみる。先入観は危ういと思い知ったばかりなのでね。
そう、例えば……俺を宮殿から遠ざけたかった、とか?
確かに、襲撃犯の正体がわからない以上、さまざまな人間や勢力が入り乱れる王宮はむしろ危険地帯だろう。愛するアルカディアを、そんな伏魔殿にわざわざ送り届ける義理はウェリナにはない。
そうして一旦は自分の屋敷に俺を匿った上で、襲撃犯の素性を洗い、黒幕を探り出す。そういえば……ウェリナの私兵と思しき連中が、事件の後、襲撃犯たちをどこかに連れ去っていた。あれは、単に事件隠蔽のためではなく、連中を尋問(あるいは拷問?)して情報を搾り取るためだったのかも。
とりあえず、ウェリナに話を聞いてみるか……
――本当に……ごめん。
そういえば。
あいつは、何に対してああも懸命に謝っていたんだろう。まるで俺に対して、一生償えない罪でも犯したかのような口ぶり。何より……ひどく悲しげで、それに苦しそうで……
って、いやいやいやいや!
あいつのことは、どーでも、そう、どーだっていい! とにかく奴に話を聞いて、そんで現状を把握する。これ。これだよ今は。
そう意気込む俺の耳に届く乾いたノック。ややあって、俺の許しもなくドアが開き、戸口から予想通りの男が姿を現す。さっきのラフな部屋着とは打って変わり、いつぞや宮殿の廊下で会った時と同じ礼服姿。大仰な詰襟は、何となくナポレオン時代の軍服を思い起こさせるが、要するに、あれが奴の仕事着らしい。
「おはようございます、殿下。いかがです調子は」
言いながら大股でこちらに歩み寄ると、ウェリナはベッドの脇に立ったまま俺の顔を覗き込んでくる。否応なく寄せられる国宝級の顔。その、やけに形の良いくちびるが目に入った瞬間、昨晩のキスーーもとい、マウストゥーマウスが思い出され、俺は無性に落ち着かなくなる。
「うん、顔色は随分と良くなっておられる。ただ、怪我の具合が心配です。しばらくは安静になさった方がよろしいでしょう」
「あ、いや俺、怪我は別に、」
「ええ、まったくひどい怪我でした」
「……」
あー、やっぱりそういうことにしたいのね。
まぁ俺も、今の王宮に戻るつもりは微塵もないし、とりあえず安全だとわかるウェリナの屋敷で世話になることに異存はない。ので、あえて反論はせずに黙っておく。
やがて、食事を乗せたカートが部屋に運ばれてくる。それをメイドたちは、窓際の丸テーブルに手際よく並べてゆく。きびきびと無駄のない動作は、宮殿のメイドに比べても明らかにこなれている。それほどに、ウェリナ――ウェリントン家の教育が行き届いている、ということだろう。
「さ、用意ができました。殿下、お手を」
まるで優秀な執事のように、俺に手を差し出すウェリナ。その手を強いて無視すると、俺は一人でテーブルに移る。
テーブルには、すでに完璧なモーニングが整えられていた。磨き込まれたカトラリー。清潔なナプキン。今はまだ空のプレートには、これからスープやサラダ、オムレツなどが運ばれるのだろう。そんなことをぼんやり考える間にも、テーブルの真ん中に焼き立てのパンを満載したバスケットがバター壺とともにデンと置かれる。
席に着くと、さっそくメイドが俺のカップに紅茶を注いでくれる。その、緩く湯気を立てる琥珀色の液体を眺めながら、コーヒーが飲みたいなぁと不意に思う。
どういうわけか、この手の異世界とコーヒーとの縁は薄い。コーヒーも、メジャー度合いで言えば紅茶と似たり寄ったりなのにな。少なくとも、俺が知る限りこの世界にコーヒーは存在せず、でも今、俺はそのコーヒーが無性に飲みたかった。あの鋭い苦みで、ともすれば鈍りがちな思考をすっきりさせたい。
そんな俺の向かい席に、ウェリナは当たり前のように腰を下ろす。
テーブルは二人掛けで、セットも二人分。これは……サシで食えってか。本音を言えば勘弁なんだが、今更断るのも面倒で俺は黙って紅茶を啜る。
まぁいい。どのみちこいつには訊きたいことが山ほどあるんだ。
「……で、連中からは何か聞き出せたのか」
オードブルのサラダを食い終えたところで、さっそく俺は切り出す。間もなく空の皿が下げられ、代わりに熱々のスープがプレートに置かれる。それをスプーンで緩くかき混ぜながら、俺は答えを待つ。
「いえ。どうやら金で雇われただけのようです。金さえ積めば何だってやる。汚れ仕事を任せるにはうってつけの連中ですよ」
「けど、仮にも王太子を殺そうってんだ。さすがに安い金じゃ動かないだろ。少なくとも、首謀者はそれだけの資金力を持った人間だ。違うか?」
するとウェリナは、何が面白いのか、くく、と喉で笑う。くっそ、こういう嫌味な笑い方でも様になるからイケメンは嫌いだ。
「素が出ておられますよ、殿下」
「は? ……あっ、」
しまった。まさかこいつ、俺が偽物だと気付いて――
「ま、いっか。どうせここは俺の屋敷だし」
「えっ?」
今度はウェリナの発言ではなく、その口調に俺は面食らう。明らかに砕けた言葉遣いは、そう、いつぞや宮殿の廊下で俺に耳打ちした時のそれに違いなかった。なるほど、オフの場ではこういう感じなのか。
ただ……そうなると、さっきのアレは何なんだという話になる。
今のウェリナは、あくまでもただの良き友人だ。少なくとも、傍目にはそう見える。一方で、さっきのウェリナの言動は明らかに恋人に対するそれだった。同じオフの場で、そういくつも顔を使い分ける意味があるのか?
わからねぇ……こいつとの距離感が……。
「でも、本当に気を付けてくれよ、アル。君の聡明さは国の将来を照らす希望の光だが、一部の人間に言わせれば、殺してでも摘み取りたい厄介な芽でもある」
「は?」
聞き捨てならない台詞に、つい驚きの声が漏れる。
聡明? アルカディアが? あの完全無欠のバカ王子、絵に描いたようなアホの子が!?
「ちょちょちょ! ……えっ、聡明って……?」
するとウェリナは、嬉しそうに、でも、どこか寂しげに頷く。
「そう。君は本来、誰よりも王太子にふさわしい人間だった。聡明で慈悲深い王の器。それが、本来のアルカディア王子だったんだよ。……そんな君に、愚かなピエロを演じるよう求めたのは他でもない、この俺なんだ」
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