第13話

 まさか、こんなかたちで二度目の死を迎えるなんてな。

 それを言えば、本当に俺は一度死んだのかという話なんだが。あれは……そう、駅のホーム。アナウンスではちょうど電車の到着を告げており、実際、ホームの奥から電車が滑り込んでいるのが確かに見えた。と、次の瞬間、俺の隣に並ぶおっちゃんが、いきなり線路に駆け出して――

 そうだ、それを引き留めようとして、気づくと西洋風のやたら豪華なベッドに寝かされていたんだ。

 そんな光景が脳味噌の中をぐわっと流れて、俺は一瞬、自分の置かれた状況を忘れる。ここはどこだ? こんな暗がりで俺は何をしている? この、不気味にぎらつく目をした男は誰だ……?

「ぎゃっ!」

 そんな俺の浮つく意識を現実に引き戻したのは、影が上げた悲鳴だった。影は、馬車の中で大きくのけぞりながら身を捩ると、そのまま糸の切れた人形のように床へと倒れ込んだ。

「な……何が……?」

「大丈夫か、アル」

「えっ」

 その意外な声に。

 俺はまた呆然となり、それから、おそるおそる顔を上げる。

 月明りを浴びてうっすらと輝く若草色のつややかな髪。それは、俺のまさかを不本意にも裏付けるものだった。

「……ウェリナ!?」

 なぜここにお前が? まさか、イザベラを手に入れるために密かに俺を害そうと? いや、奴にとっては俺は便利な手駒であるはずで……いやいや、それは俺が勝手に想像したストーリーであって、本当のところは何もわからない。仮にここで俺を殺しに来たのだと言われても、俺は、その答えに納得するしかないのだ。

 悪役令嬢モノの世界だと思い込み、勝手にテンプレに当て嵌め、勝手にこいつを理解したつもりでいた。

 本当に、ただの〝つもり〟だったんだな。

 だとしても、だ。

「……っ」 

 襲撃犯が投げ出したままの剣に手を伸ばし、取り上げる。――って、重っ!? まぁ考えてみりゃ金属の棒だもんな。そりゃ重いに決まってる。

 だが今は、そんな泣き言をほざいている場合じゃない!

「来るなッッ!」

「アル?」

「く、来るなよ……それ以上近づいたら、ぶぶぶ、ぶっころして、やるからな!」

 精一杯声を張りながら、ウェリナの眼前に剣先を突き出す。ああそうだ。もうテンプレがどうとか関係ねぇ。とにかく俺は生き延びる。たとえこいつをぶっ殺してでも、俺はこの窮地を抜け出してみせる!

「アル、落ち着け」

「黙れッ!」

 身を起こし、さらに剣先を前へ。そのままウェリナとの距離をじりじり詰めながら、ゆっくりと馬車の戸口を出る。ようやく外に出たところで、横目でさりげなく周囲を伺うと、馬車の周りには甲冑姿の騎士たちと、黒装束の男たちが入り乱れて倒れている。騎士は俺の護衛で、黒装束の連中はさっきの影の仲間だろう。

 ただ、人影はそれだけでなく、見慣れない軽武装の男たちが、倒れた騎士らや黒装束たちを担架に運び上げ、あるいは肩に担ぎ上げるなどしてどこかに連れ去ろうとしている。その様子は、一刻でも早く戦闘の痕跡を隠蔽しようと試みているように俺には見えた。

 今は夜で人手も絶えているが、日中はそれなりに人通りも増えるだろう。余計な騒ぎを防ぐには、夜のうちに事件の痕跡を消し去るのが賢明だ。……が、一応は近代国家に育った俺にしてみれば、裁判どころか鑑識も待たずに殺人(未遂)の現場で早々に痕跡を消し去るなんてそれこそ野蛮もいいところだ。

 やっぱりここは、俺の生きるべき世界じゃない。

「つ……ついてくるなよ」

 今度はじりじりと後ずさりながら、ゆっくりとウェリナから距離を取る。

 もういい。もうたくさんだ。だいたい異世界転生なんて、巷で言われるほど良いもんじゃない。法治もくそもない未開な連中がひしめく世界。いくら綺麗なドレスや礼服で着飾っても、所詮こいつらの本質は野蛮人でしかないんだ。

 だったらせめて、独りで生きてやる。異世界人もテンプレも、破滅ルートももう知るか。俺は、こんな連中とは関わらずに独りで生きて――

 と、その時だ。

 後ろに退いた足が、柔らかな何かを踏んづける。その不穏で生生しい感触に「ひいっ」と悲鳴を上げた時には、早くも俺の身体はバランスを崩してのけぞっていた。

 はずみで無情にも手を滑り落ちる剣。

 マジかよ、こんなところで――

「アル」

 不意に腕を引かれ、続いて何かが俺の身体を抱き寄せる。

 柔らかいくせに有無を言わせない強引さ。それがウェリナの腕だと気付いた俺は、余計に混乱を強くする。

 まずい! このままじゃ……殺される!

「は、離せ!」

「アル、落ち着け!」

「離せ野蛮人! お、俺はっ――」

 顔を上げ、ウェリナを睨む。ウェリナは――なぜか、ひどく沈鬱な目をしていた。そのエメラルドの瞳が湛えるのは、紛れもなく悲しみの色で、なぜ、と思ったその時、今度はくちびるを奇妙な感覚が包み込む。

 柔らかくて、温かい。

 あ、これ知ってるぞ。童貞の俺でも知識としてなら。ただ――何でウェリナが!? 男だろうがお前は!

「……は? えっ?」

 ようやくくちびるが離れたところで、俺はどうにか問いを試みる。何のつもりだ。そもそもお前は、何をしにここに来た。俺を暗殺しに来たんじゃないのか。 

 お前にとって、俺はどういう存在なんだ。

 だが、そうした疑問は混乱と緊張で言葉にならず、舌足らずな呻きだけが、あう、あう、と短くこぼれ出る。そもそもくちびるが動かない。今のキス……いや、マウストゥーマウスで痺れてしまって。

「落ち着け。この俺が、君を傷つけるわけがないだろ」

 そんな俺の混乱をほぐすように、ウェリナは優しく語りかけてくる。

「君のことは、命に代えてでも守る。約束しただろ。なぁ……アル」

 その、意識どころか魂ごと蕩かす低音に、極度の緊張に見舞われた俺の心はあえなく決壊する。やけくそや捨て鉢とも違う、何か、大きな力に身を委ねる安心感。この感覚は一体どこから溢れるのだろうと思う間に、俺の意識は、引き絞りすぎた弓弦のようにぱつりと途絶える。

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