第12話

 ようやくイザベラをシスティーナ家の屋敷に送り届け、馬車に一人きりになると、それまで堪えていた溜息がどおおおおおっと肺から溢れ出た。

 つ、つかれたぁぁぁぁぁぁぁぁ!

 体力的に、何よりメンタル面でとにかく疲れた! そりゃそうだ。転生前はダンス未経験だった俺が何十人とご婦人方をリードし、休む暇なく挨拶して回り、さらに、その間ずっとイザベラの機嫌を伺い続けたのだ。ボロを出さないよう王子しぐさをキープするだけでもしんどいのに、そこへ輪をかけての負担。正直、このまま寝落ちしたいぐらいにはしんどい。眠い。てか、もう寝ちゃっていい?

 よし、寝よう。

 椅子の上で腕を組み、馬車の壁に頭と肩を預けながら目を閉じる。ところが、いざ身構えると霧散してしまうのが眠気というもの。結局うまく寝つけないまま、俺は、先ほど中断した思考をまたぞろ蒸し返してしまう。

 ――ご自身の立場を思い出して頂けますよう。

 そういえば先日も、何かを思い出せといったことを奴は口にしていた。あれは……約束、だったか。しかし、あの後いろんな人間に聞き込みをかけたが、誰一人としてその存在を知らなかった。いわんや内容をや、だ。

 どうやらウェリナの言う約束とは、二人の間で密かに交わされたものらしい。だとすると、アルカディアの記憶を持たない俺には対処のしようがない。

 もちろん、いざとなれば王太子権限でどうとでもなる。まして、当事者以外は存在すら知らされていない約束だ。その気になれば、いくらでも反故にできるだろう。

 ただ、それがアルカディアの弱みに絡む秘密なら?

 例えばアルカディアが、過去に何かしらの大きな罪を犯し、その隠蔽をウェリナに手伝わせていたとしたら? それをウェリナが弱みとして握り、もし俺が約束を違えた場合、そのカードを切る用意をしていたら?

 ありうる。少なくとも……アルカディアの性格を踏まえるなら。

 あのバカ王子のことだ。うっかりハニトラにかかって機密情報を他国に流したぐらいじゃ今更驚かない。その手の証拠をウェリナが握り、アルカディアをコントロールするカードに使っていたとしても。ただ……だとすればなぜウェリナは、もっとマシな使い方をしないのか。例えば俺がウェリナの立場なら、むしろアルカディアには理想的な王太子として振舞わせるだろう。そのままアルカディアが王になれば、このカードを使っていくらでも要職を得られるはずだ。が、これまでのウェリナの言葉を踏まえるに、むしろ俺にバカ王子として振舞うよう望んでいるようにも見える。

 ……わからない。

 当たり前のように悪役令嬢モノのセオリーを逸脱し、この世界の常識や理屈からも外れている。

 何なんだ、お前は。一体、どういうシナリオで動いている。

 そんな俺のとりとめもない思考を不意に断ち切る、馬の鋭いいななき。それから一瞬遅れて大きな揺れが馬車を襲い、慣性に委ねた俺の身体がガクンと前につんのめる。

 止まった、のか? でも、宮殿はまだ先のはず……

「何者だ貴様ら!」

 えっ、と思わず身構える。今のは確か、護衛に当たる騎士の声。続いて今度は、明らかに金属同士が打ち合う音。……外で何が起きている? いや、この音や台詞からも状況は明らかだ。

「……暗殺!?」

 考えてみれば、夜中に呑気に出歩く貴族など、暴漢にしてみれば襲ってくれと言わんばかりだろう。まして、この馬車は王太子の紋章まで掲げている。当座の金を奪うにも、人質にして金銭を要求するにもうってつけの獲物だ。

 いや、目的が金銭だけならまだいい。

 最悪なのは、俺の命が目的であるケース。でも、誰が何のために? まさか……物語そのものが俺を排除しようと自己修復力を働かせているのか? 俺がバカ王子としての役を全うしないから?

 わからん。が、とにかく逃げなくては!

 そう自分を奮い立たせ、ドアの取っ手に手を伸ば――した刹那、目の前でひとりでにドアが開き、その開け放たれた戸口から、黒い影がのそりと車内に這入りこんでくる。……いや、ただの影ならどれほど良かったことでしょう。が、事実そいつには実体があり、暗闇の中でもそうとわかるほど目を血走らせながら、負けず劣らずぎらつく刃を俺の前に突き出してくる。

「死ね。アルカディア」

「……え」

 まじすか。

 ていうか、もうジャンル違くない? これ。

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