第9話



 侍従たちが開いた両開きのドアを、婚約者と並んでくぐる。

 何だか結婚式の入場シーンみたいだな、と、俺は短期で入った式場バイトでの光景をふと思い出す。バイトで俺はドアマンとして、観音開きのドアを二人一組で同時に開く役を任されていたんだが、少しでもタイミングがズレると後でバイトリーダーに死ぬほど詰められて怖かった。

 その俺が、まさか女の子を連れてドアをくぐる側に回るなんてなぁ。

 などとしみじみしながら、俺は傍らの女性に微笑みかける。すると、視線に気づいた彼女が、やはり同じようにこちらを振り返る。

 口元を飾るぎこちない笑みは、アルカディア君の変貌ぶりに戸惑うせいだろう。これでも、当初に比べればまだ緩和された方なのだ。先程、俺の私室で初めて挨拶したときの彼女の驚きといったらなかった。鳩が豆鉄砲を食らうってのは、今の彼女のためにある表現だなぁと妙に納得したぐらいだ。

 その彼女、ことイザベラ=システィーナは、この世界の主人公ということもあり、ウェリナに負けず劣らず作画コストの高い美女だ。

 スレンダーな体躯に整った顔立ち。こうした作品では、悪役令嬢はもっぱら女子力に乏しい(と、本人が自認する)キャラとして描かれる。が、少なくとも俺に言わせれば、イザベラは充分すぎるほどフェミニンで魅力的だった。

 絹のような白肌に、手入れの行き届いたつややかな黒髪。強情そうな鋭い眉目も、若干Mの入った俺にはむしろご褒美。つんと尖った小ぶりの鼻も、きゅっと締まった薔薇色のくちびるも、ああもう全てが美しいパーフェクトっっ! こんなにも魅力的な女性を俺ことアルカディア君は捨てるつもりだったのか? バカか!?

 その、俺の女神ことイザベラ嬢が、おずおずとくちびるを開く。

「あの、何か……?」

「あ……いや、その、君に見惚れていたんだよ。そのドレスも、君に袖を通してもらって喜んでいるはずだ」

 前世の俺が口にすれば「うざ、きも」で一蹴されるだろう台詞を、精一杯の王子しぐさで並べ立てる。まあ今の俺ならこの程度の臭い台詞も許されるだろう――と、思いきや、イザベラはあからさまに渋い顔をする。らしくない台詞に面食らったのか、それとも発言者のツラではカバーできないほどに今の台詞はキモかったのか?

「し、失礼。ただ、その、君が僕の贈り物を身に着けてくれて、嬉しいというかなんというか」

 いまイザベラが身に着ける深紅のドレスは、王都でも有名なテーラーに頼んで作らせたものだ。イザベラのスレンダーな体躯を活かすシンプルなデザイン。それでいてちゃんと豪華に見えるのは、ふんだんに使用された上質な布地と随所になされた金糸の飾り縫いのおかげだ。

 まさに未来の王妃にふさわしいゴージャス感。そしてこれも、当然ながらウェリナへの牽制を兼ねている。

 先日の一件以来、俺は、アルカディアとウェリナの関係についてメイドたちに探りを入れていた。あまり突っ込むと記憶障害を疑われるから、もちろん当たり障りのない程度に、である。

 その結果、俺はいくつかの情報を手に入れるに至った。

 どうやら二人は、士官学校時代のルームメイトだったようだ。で、王子はあの調子だから、当然ながらウェリナを顎でこき使う。学生時代の二人は、傍目には主とその従者さながらに見えたという。……まぁ、そんな因縁があれば、今更バカ王子枠から足を洗うアルカディア君に、苦言の一つもぶつけたくはなるか。

 ただ。

 だとすると、あの不遜な口調は何だったんだ。それに……奴が口にした「約束」の意味は。

 ――忘れたのか、俺との約束。

「……っ、」

 耳の奥にふとよみがえる低音。

 鋭いくせに妙に柔らかく、突き放すようでいて、そのくせ耳たぶにしつこく纏わりついてくるような。それに……なんというか、あまりデカい声では言えないが、奴の声を思い出すと、きまって胸の底がざわついてしまうのだ。その瞬間だけ麻痺に似た感覚が全身を襲って、息が、鼓動がきゅっと止まる。

 そんな俺の視界に、ふと映る男の視線。

 舞踏会用に設えられたという王宮最大のフロア。通称、月光の間と呼ばれるそのフロアでは、すでに多くの珍味酒肴が立食用のテーブルに供され、数百人からなる貴族たちが、この日のために誂えた一張羅でもって場に彩りを添えている。

 そんな中、あの男の眼差しだけが、暗い舞台に灯るスポットライトのように浮き上がって見える。

「あら、ウェリントン侯爵もいらしてるのね」

 イザベラの声に、俺は我に返る。……ああ、そうだ。今夜の俺のミッション。俺こそがイザベラの未来の夫である事実を、ヒーローことウェリナに思い知らせること。今後発生するであろうイザベラと奴とのロマンスの芽を、ここでしっかり摘み取ることだ。

 忘れるな。あいつは……敵なんだ。

「あ、ああ……そのようだね。挨拶するかい?」

 するとイザベラは、なぜかぎこちなく頷く。表情から察するに、今はまだウェリナへの特別な感情は伺えない。……が、油断はできない。最初は毛嫌いしていた相手にイベントを通じてコロッと落ちる展開は、それこそテンプレ中のテンプレだろう。

 やがて、俺たちの視線に気づいたウェリナがこちらに歩み寄ってくる。

 さぁ、戦闘開始だ。

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