第6話

「殿下」

 低いが良く通る、透明感のある美声。

 振り返ると案の定。廊下の中ほどにウェリナが立っている。……っと、そういえば説明を忘れていた。この世界は、一般的な悪役令嬢モノがそうであるように、いわゆる西洋風ファンタジー的な世界観を有している。宮殿のデザインも、概ねそうした世界観に準拠しているようだ。

 その、いかにも西洋風ファンタジーな宮殿の廊下に、窓から差し込む陽光を浴びて立つウェリナは、そりゃもう男の俺ですら見惚れる美しさで文字通り俺は息を呑む。

 海外のトップモデルすら霞むスレンダーな長身。てか、等身やばっ! 八等身? 十等身? あと、足がとにかく長ぇええ! 日本人なら間違いなく浮いてしまいそうな細身のジャケットやパンツも、ウェリナが着るとばっちりハマって見えるから羨ましい。

 しかも、ウェリナの場合はただ細いだけじゃない。そもそも奴の足やら腰がやたらと細く見えるのは、逆三角に発達した上半身のおかげだ。衣服越しにもそれとわかる筋肉の発達は、同性としても、ちゃんと鍛えてんだなぁと感心せずにはいられない。はぁ、つくづく隙のねぇハイスペイケメンだぜ。……って、いやいや何を見惚れてんだ俺は。まだ悪役令嬢すら登場しない序盤も序盤だぜ? 試合開始前から圧倒されてどうする。

「これはこれは、ウェリントン侯爵。本日はどのような御用で」

 この一か月で急ぎ身に着けたプリンスしぐさをフル動員し、挨拶。

 するとウェリナは、虚を突かれたように切れ長の目を見開き、それから、なぜか怪訝そうに眉根を寄せる。おっ、少しはこのバカ王子を見直したか? 何にせよ、不意打ちとはいえコイツから一本取れたのは気分がいい。

 一方のウェリナは、相変わらず怪訝そうに俺を見つめている。にしても……あーくそっ、マジで作画が良いなコイツ!

 やがてウェリナは、思い直したようにやんわりと笑みを浮かべる。

「ははっ、水臭いですよ殿下。私と貴方の仲ではありませんか。引き続き、ウェリナで結構ですよ」

「……へ?」

 今度は俺が虚を突かれる番だった。

 どうも口ぶりから察するに(そして意外なことに)アルカディア君とウェリナはそれなりに親しい間柄だったようだ。だとすると……正直、まずい。これまではアルカディア君がアレだったもんで多少の奇行も大目に見てもらえたが、友人相手ではそうした偽装が通用しない恐れがある。つまり、中身が偽物だとバレる恐れが……

 とりあえず、ここは一旦引くか。

「ああ……すまない。爵位を得た君をどう呼べばいいか、僕としても迷っていたところなんだ。うん、そういうことなら、引き続きウェリナと呼ばせてもらおう。……ところで、すまないが今日は少し立て込んでいてね。話があれば、また日を改めてくれると嬉しい」

 するとウェリナは、またしても物音に驚いた猫みたいな顔をする。

 いや、確かにアルカディア君はどうしようもないクズ王子だったけど、腐っても王子だぜ? この程度の礼儀礼節にいちいち驚かれるのはさすがに心外ぞ?

 ややあってウェリナは、例のやんわりとした営業スマイルを取り戻す。

「わかりました。ところで――似合わないことは、およしになった方がよろしいのでは?」

「……は?」

 似合わないこと? ……まさか、真面目に王子らしく振舞うことが?

 いやいやいや何だそれ。確かに、これまでのアルカディア君のキャラに照らすなら今の俺はらしくない。けど、王子としてはむしろ真っ当に振る舞っているだろう。その証拠に、転生直後に比べると、宮廷の人達の俺を見る目も明らかにマシになっている。

 なのに何だ、今の物言いは。まるで、王子らしく振舞う俺を馬鹿にするみたいな……

 まさか。

 もう始まっているのか!? 悪役令嬢をめぐる戦いが!? つまりこれは、恋のライバルに対する鞘当て! だとすれば……へぇ、てっきり淡泊系クールイケメンかと思いきや、なかなかどうして熱い奴じゃねぇか。

「いやいや。僕としても、愛するイザベラ嬢に心移りをされては困るからね。いい加減、王子らしい振る舞いを身に着けておかないと」

 俺なりの渾身の返し。へっ、イケメンのくせにみっともない嫌味で当て擦りやがって。これはそのお礼じゃ。

「……イザベラ嬢? 彼女が、あなたにそのような指示を?」

「いや、あくまで自主的なものだよ。愛の為せるわざ、というやつだね。婚約者である彼女のためにも、これ以上、みっともない姿を晒すわけにはいかないだろ?」

 言葉の端々に、イザベラへの愛情を抜け目なくぶち込んでゆく。わかるかウェリナ。こいつは牽制だよ。お前にイザベラは渡さない。彼女と結婚して、全力で破滅ルートを回避してやる、というね。

 見ると、ウェリナは何やら深刻そうに考え込んでいる。ううむ、真顔で黙り込むイケメンの圧倒的〝〝〝美〟〟〟よ。……って、いかんいかん、敵に見惚れてどうする。

 その顔が不意に俺の方を向いて、不覚にも胸がキュンとなる。ああもう、だから見惚れてんじゃねぇよ俺ッ!

「な、何か……」

 するとウェリナは、なぜか俺の背後にちらりと視線を投げる。今度は何だと思う間に、ウェリナはずいっと俺に詰め寄ると、長身を軽く屈め、俺の耳元に顔を寄せる。うわっいい匂い! 柑橘系の、でも少しビターな――って違う! 何なんだコイツいきなり無礼なっ!

「……えっ?」

 一瞬、囁かれた言葉を理解できず途方に暮れる。その隙を突くようにウェリナはさっと俺から距離を取ると、「失礼」と短く断り、颯爽と踵を返す。宮殿の廊下を遠ざかる背中。その、次第に小さくなる逆三角の背中を呆然と見送りながら、相変わらず俺は、囁かれた言葉をうまく咀嚼できずにいた。

 ――忘れたのか、俺との約束。

「……何だったんだ、あれ」

 少なくとも、王族に対する言葉遣いではなかった。いや、そんなことより……

 約束?

 何なんだ約束って。アルカディアは――俺は、あいつとどんな約束を交わしたんだ。

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