私と一緒に

増田朋美

私と一緒に

美里さんは道路を歩いていた。

どこへ行くのかわからずに歩いていた。あたしがあれだけ結婚したいっていったのに、真尋はどうしてあたしを裏切るような真似をしたのか。その理由がどうしても理解できなかった。

でもこれだけはわかっている。何もかもおしまいだって。真尋は、もうあたしのところには戻ってこないんだ。もうダメなのかな。

そんな事を思いながら、美里さんは自宅へ戻ることにした。もうあたしには、加藤クリーニングの社長の娘として、生きていくしか道はないのかな。そんな事を思いながら、美里さんは自宅へ帰った。

「どこへ行ってたんですか?」

自宅の玄関ドアをくぐって、中へ入ると、まっさきにやってきたのは理恵さんの声だと思ったが、今回はそうではなかった。

「お嬢様、藤原秋子さんと言う方が、お見えになっておられますが。」

家に入ると、家政婦のおばさんが美里さんに言った。

「藤原秋子?それは誰ですか?」

美里さんが言うと、

「はい、何でも、望月学園の教師の方だそうで、お嬢様にお話があるそうです。」

家政婦のおばさんは、彼女を居間へ案内した。

「美里さん、いくら逃げても最終的には家に帰って来るだろうと思ったから、車で先回りして、こさせてもらいました。」

秋子先生はにこやかに言った。

「真尋くんは大丈夫。今、薬飲んで眠っているから。それに、作文はちゃんと、理事長に渡して来たわ。理事長も、真尋くんの作文読んでくれて、素晴らしい作文だって褒めてたわよ。」

「そうなんですか。真尋は、やっぱり、あたしから離れてしまうのですね。」

美里さんは秋子先生に言った。

「そんなことはないわ。仲良くするときと、個人でなんとかするときとは違うから、ずっと付かず離れずの関係を続けていれば良い。それに、真尋くんにはこの先も手伝ってくれる人は必要よ。だから、美里さんが立候補すれば良い。大丈夫、あなた達は、似合いの夫婦になると思うわ。」

秋子先生はにこやかに言った。

「それに、あたしはね、これまで、色々障害を持っている生徒さんを見てきたけど、真尋くんは勉強への思いがすごくある人だし、あなたも真尋くんへの思いがちゃんとあるから大丈夫。きっと、うまくいくわよ。」

「良かったですね。お嬢様。社長に直接話しても全然聞いてくれないって、私も言ったんですよ。何も通じなかったですもんね。そうしたら、秋子先生、社長への説得を手伝ってくれるそうです。いいですね、こうして間に入ってくれる人ができたんですから。」

家政婦のおばさんはとてもうれしそうであった。

「社員一同、お嬢様の結婚を心より応援しています。納得しないのは社長だけです。」

「それで、お母さんは?」

美里さんがそう言うと、

「社長は、秋子先生の説得に負けて、どこかに行ってしまいましたよ。まあ、社長のことですから、直ぐに帰ってくると思いますけどね。」

家政婦のおばさんはにこやかに言った。

「あとは社長が、秋子先生の説得に折れてくれるといいのですけどね。」

「それで、真尋はどうしてるの?」

美里さんは思わず言った。

「だから言ったでしょ。今頃は寝てますよ。今日はもう遅いから、明日以降、真尋くんのアパートに行って見ると良いわよ。」

秋子先生はそう言ってくれた。

「そうですか。ありがとうございます。あたしもう、真尋から捨てられてしまうのではないかと、少しパニックになってしまったようです。」

「そうなんですね。美里さん。あなたも不安や感情をうまく口に出すのが苦手なようだから、そのあたり、誰かメンタルコーチをつけるといいわね。ヒプノセラピーとか、カウンセリングとか、マインドフルネスとか、そう言うものよ。まあ確かに、中には、悪質な業者もいるけれど、ちゃんと指導してくれる先生はいるはずだから。通うのが無理なら、オンライン講師をお願いしてもいいかもね。」

秋子先生は学校の先生らしく言った。

「そうか。私も学び直しをしなければ行けないわ。」

取り乱すことなく、美里さんは言った。これが、社長が提案すれば、叩きあいで大喧嘩になるはずなのにと、家政婦のおばさんがつぶやいた。そんなことができたのは、家族以外の人間がそう言ったからだろう。家族が同じことを提案しても、なんだか素直に従えないというのが、人間の特性であるらしいのだ。それは、どこの家でも同じである。

「もしよければ、私が、メンタルコーチを紹介してもいいわよ。学校にも、そういうセラピストを兼務している美術の先生もいるし。その人に、見てもらってもいいかもね。どうかしら、少し心のうちを他人に打ち明けて、それを、少し客観的に見つめてみるのはどうかしら?」

秋子先生がにこやかに言うと、美里さんはわかりましたといった。

「ありがとうございます。あたしも、そういう専門の先生に、自分の事を話すのはあまり得意ではありませんが、でも、頑張らなくちゃいけないんですよね。結婚生活になれるためにも。あたしも、頑張ります。」

美里さんは、にこやかに笑った。

それから数日が経って。真尋さんのいるアパートに、望月学園の望月正人理事長が尋ねてきた。今度は、とてもにこやかな表情で、とてもうれしそうだった。睦子さんが、真尋さんを起こすと、真尋さんはまた布団に座ろうとしたが、望月理事長は、そのままで良いと言った。

「こんにちは。君の作文を読ませてもらいました。確かに誤字や当て字も多かったので、少々読みにくいところもありましたが、」

真尋さんは、やっぱりダメだったかという顔をしたが、

「でも、素晴らしい作文だったよ。今までのことがよくわかりました。君が、大変な手術を9回もして、自分の命がいかに大切なのかを知ったという行が大変感動しました。そういうわけで、君に、望月学園への入学を許可します。本校では、クラス担任制度はありませんが、教科それぞれの先生と、一人の生徒さんの生活面を見る専任講師と、あと学校心理士が、生徒さんの面倒を見ることになっています。とりあえず、専任講師として、藤原秋子先生が、立候補してくださいましたが、君の意見はどうだろう?誰か他の先生にしてもらいたいのであれば、変えることもできますが?」

理事長さんはとてもうれしそうに言った。睦子さんの方は、まだ疑い深く考えているようで、

「それはもしかしたら、真尋に、レベルの高い大学でも受験させて、学校の名声を上げようとしているからではありませんか?そういうことだったら、お断りですよ。この子は、付き添いなしでは、どこにも行けない体なのですから。」

と、言ったのであるが、

「いいえ、そんなことはありません。本校では、受験をさせるのが全てでは無いと考えています。それより、学校へ行って、学ぶことの大切さを覚えてほしいなと思っています。確かに上級学校に進学する生徒もいますが、それは、ただの一例に過ぎず、就職したり、家業を継いだり、または、結婚して主婦になったり、生徒の進路は様々です。なので、本校では、進学実績は公表していません。」

理事長さんはそう言ってくれた。

「ありがとうございます。勉強ができるのなら、僕はとても嬉しいです。担任は、この前来てくださった、藤原先生で構いません。これからよろしくお願いします。」

真尋さんがそう言うと、

「そうだね真尋くん。それでは、4月から、担当教師と、それぞれの科目の先生がお宅へ来て授業をしてくれますので、ぜひ頑張って勉強してください。周りの人に、こんな問題もできないのかとか、小学生レベルのこともわからないのかとバカにされることはありませんから、先生にどんどん質問してくださいね。後で、本校の学習アプリのダウンロードサイトを教えますから、そこからダウンロードをお願いしますね。」

理事長さんはそう言って、入学のためのパンフレットを、差し出した。それを睦子さんが、静かに受け取った。

「それからですね。真尋くん。私からのお願いなんですが?」

と、理事長さんは、こう切り出した。睦子さんが、まだなにかというが、

「もちろん、強制ではありませんが、入学式に出てもらえませんか?体調がよかったらでいいです。本来入学式はリモートでもいいと言うことにしていますが、真尋くんにはぜひ、入学式に出てもらいたい。」

「そんなの無理です!この子は立つこともできないし、新入生総代とか、そんな責任重大な役目は、もっと成績がいい生徒さんがいっぱいいるでしょう?」

睦子さんはびっくりして理事長さんに言うのであるが、

「もちろんお世辞とかそういうことではありません。新入生代表の言葉は、他の生徒にやって貰う予定です。ですが、また別の意味で、真尋くんには入学式に出てもらいたいんです。」

理事長さんは、にこやかに言った。

「でも、外へ出るってことが、この子にはいかに難しいものであるか、理事長さんはおわかりになっていないのではありませんか?」

睦子さんがそう言うと、

「ええ確かに、真尋くんの苦労は私どもはちゃんと知らないのかもしれませんが、本校には養護教諭もいますので、いざとなったら、その教師にそばに付いてもらうようにいたしますよ。どうかお願いです。入学式に出ていただきたい。そのほうが、他の生徒も、教員たちも、励みになるでしょう。」

と理事長さんは言った。

「やっぱり、学校の先生は生徒に考慮するのではなくて、学校の名誉のためにしか動かないんだわ。」

と睦子さんは言うが、

「ぜひ、入学式に出させてください。僕もそういう式典があったほうが、学校に来れたっていう、自信が持てますし。」

と真尋さんは、細い声でもきっぱり言うのだった。睦子さんはまだ心配そうであったけれど、

「ありがとうございます。じゃあ、入学式の前日までに、入学手続きの書類を、こちらへ送ってください。郵送でもEメールでも構いません。よろしくお願いします。それでは、待ってるよ真尋くん。」

理事長さんはそう言ってくれた。真尋さんは、ありがとうございますといった。そのときは、何も苦しそうな顔をしなかったので、睦子さんは真尋は調子が良いのかなと考え直した。理事長さんは、次の新入生のお宅を訪問すると言って、寝たままの真尋さんと握手をして、部屋を出ていった。

それからしばらくして、またインターフォンがなった。

「こんにちは。加藤美里です。」

来たのは美里さんであった。睦子さんがどうぞ上がってくださいというと、美里さんは、すみませんと言って、玄関ドアを開けて、部屋に入ってきた。

「こないだは、すみませんでした。あんなふうに怒鳴ってしまって。あたし、てっきり、真尋があたしの事を、もういらないのかと思ってしまいましたが、そういうことでは無いんだって、秋子先生から聞かせていただきました。本当にごめんなさい。」

美里さんは、被っていた帽子を取って真尋さんに謝罪した。

「いえ、大丈夫ですよ。加藤クリーニングの社長さんのお嬢様にそんなことを言われたら、私達もどう返事をしたらいいか。そういうことは、来にしないでください。」

睦子さんがそう言うが、

「あたし、改めていいますけど、母がどんなに反対しようとしても、あたしは、真尋のことが好きです。ずっと、一緒に居たいという気持ちにかわりはありません。だから、これからもずっといっしょにいようって、そう思ってます。今の会社から追い出されるんだったら、どこかで新しい仕事見つけて、もうお母様には、売春などしないでもらえるようなそんな生活を実現させます。だから、真尋といっしょにいさせてください!」

美里さんは床の上に手をついて、そう言ったのであった。

「わかりました。そういうことなら、あたしたちは何も言うことはありません。真尋もこれから、望月学園に入学して、色々勉強をするんです。そのことで、色々手伝ってもらうこともあると思うけど、それでも良ければ、あたしは、何もいいません。真尋と、あなたが幸せになるように。」

睦子さんは、ちょっと涙を見せてそういった。

「つきましては、お願いなんですけど、先ほど、望月学園の理事長さんが見えましてね、入学式に出てもらえないかというのです。ご存知の通り、この子は、一人で何もできない子ですから、入学式に出るのを手伝ってあげてくれませんか?」

「わかりました!あたしがなんとかして、学校に行けるようにさせます。あたしに任せてください。」

美里さんはそういった。

それから、入学式まで、日々は風のように過ぎてしまった。美里さんは、また真尋さん親子といっしょに暮らす事になり、三人で入学手続きの書類を書いて提出したり、指定カバンなどを買いに行ったり。まあ学校に入るということなら、そういうふうになるのは当たり前なのだが、そんな作業を繰り返して、あっという間に一日終わってしまう。睦子さんは、入学式に洋服で出席するといったが、美里さんは睦子さんに、ぜひ着物で出てほしいといい、杉ちゃんたちにも相談して、睦子さんに、入学式のための、訪問着と作り帯を買ってあげた。それも、大きな松がついた、豪華な訪問着。これであれば売春婦だったとは思われないよと、杉ちゃんたちは言った。

そして、入学式当日。睦子さんは、お母さんらしい優しいピンク色に、松の柄を金糸刺繍で入れた訪問着を着た。不思議なもので、売春婦時代はいやいややっていた着物の着付けが、こんなふうに嬉しいものに変わるというのは、夢にも思わなかった。美里さんが用意してくれた、ストレッチャー付きの介護タクシーで望月学園へ向かう。望月学園は学校と言っても、小さな学校で、一般的な高校のような立派な建物ではないが、でも、入学式ができそうな部屋はあった。新入生は、14人いると聞いていたが、真尋さんは、養護教諭の先生に連れられて、新入生の中に入らせてもらった。新入生と言っても、現役の高校生の年齢の生徒は一人か二人である。他の人達は、仕事を定年退職したあとに入学したとか、子育てが終了したあとに入学したという年配の人たちばかりである。中には、指を詰めたりしている人もいたり、睦子さんの様な売春に近い仕事をしていたのではないかと思われる生徒さんも存在した。みんな、遠回りをして、また新たに学び直そうと思っている生徒さんばかりなのだろう。そういう人たちと一緒なら真尋も、楽しくやってくれるかもしれないなと、睦子さんは思った。

入学式は、比較的短時間で終わった。負担にならないように、式典は短時間にしてくれてあるようだ。真尋さんは上機嫌で、どこか、喫茶店でも入ろうかといった。美里さんが、タクシー呼び出しますと言ったのと同時に、一人の女性が、会場に入ってきた。理事長さんが思わず、

「これはこれは、加藤クリーニングの加藤理恵社長ではないですか!」

と言ってしまう。そこにいたのはまさしく加藤理恵さんであった。

「お母さん!」

美里さんは思わず、スマートフォンを落としそうになったが、

「古郡さん。」

理恵さんは言った。睦子さんが思わずハイと言うと、

「この度は誠におめでとうございます。ささやかですが、お祝いさせてください。」

と、理恵さんは、一枚のたとう紙を、真尋さんに言った。

「これを真尋さん。あなたに着てほしいと思って。亡くなった主人が大事にしていた着物なの。息子が居れば息子に着させようと思ったんだけど、娘しか居ないから、私には。」

「これ、お母さんが大事にしていた、紬じゃないですか!」

美里さんは思わず言うが、

「もう、家へおいておいても、意味はないでしょうしね。それに、せっかく息子ができたんだから、その子に差し上げない手は無いでしょう。すごい良いものですから、大事に使ってくださいね。」

と、理恵さんは真尋さんに言った。

「お母さん、、、。」

美里さんは思わずそういったのであるが、理恵さんの顔はとても優しくなっていた。あのとき、怒鳴り合っていたときの理恵さんではない。それを見ていた秋子先生が、

「おめでとう!家族成立だ!」

と真尋さんの肩を叩いた。美里さんは思わず涙が止まらなくなってしまった。秋子先生が、泣いちゃダメでしょというのであるが、美里さんは涙が止まらなかった。

それと同時に、睦子さんのスマートフォンがなった。誰だろうと思ったら、真尋さんが通っていた総合病院からだった。睦子さんは、電話を受けると、美里さんたちの邪魔にならないように、静かに病院へ向かった。

病院へ到着すると、他の職員たちは、訪問着で来訪した睦子さんに、変な顔をしていたが、睦子さんは、気にしなかった。直ぐに、真尋さんの担当医のところへ通してもらうと、担当医は着物で事情を知ってしまったらしく、おめでとうございますといった。

「しかし、入学して楽しんで来たのに、申し訳ないのですが。」

と、担当医は睦子さんにいった。その顔は厳しいものであった。

「真尋くんのことなんですがね。」

「ええ。遠慮なくおっしゃってください。」

睦子さんは何を言われるのかわかってしまったらしく、しっかり言った。

「これまで、9回手術をしましたが、いずれも失敗しており、高校に入学できたとしても、危険な状態は避けられません。もし、無理をして、学校に通ったとしても、夏休みを迎えられるかどうか、はっきり言ってしまえば、わかりませんよ。」

「わかりました!」

睦子さんがそう言ったので、担当医は予想外の反応にびっくりしてしまったようであった。

「驚かないんですか?」

思わずそう言ってしまう担当医であったが、

「良いことがあると、必ず悪いことが起こるんですね!」

睦子さんはきっぱりと言った。そして、夏休みを迎えられないということが事実であっても、真尋さんには伝えないとも宣言した。担当医は、隠し通せるか、と睦子さんに聞いたが、彼女は、ハイと言った。

一方その頃、美里さんと、真尋さん、そして、加藤クリーニング社長の加藤理恵さんは、真尋さんの、高校入学へのお祝いだとして、ささやかに、コーヒーショップでコーヒーを飲んでいた。真尋さんの作文には、高校へ行ったら一番やりたいことは、何もなく学校へ通える日々が一日でも長く、続いてほしいと書かれていた。その原稿用紙は、今理事長の机の上にある。急に風が吹いて、その原稿用紙を、飛ばして行った。


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