第7話 転生令嬢は再会を喜ぶ

ジッと見つめると、黒いローブの男がこちらへ顔を向けた。

仮面から覗いている目が驚いたように見開かれ、次いでフワリと弧を描く。

全身を雷で打たれたような気がした。

明るい緑⋯⋯その翡翠色は私がここ何日も早く顔を見たいと願っていた人の物にソックリだったのだ。

紙の束をロンゾへ向かって投げるお父様。

それを拾って読んだロンゾの顔色は赤くなったり青くなったりと忙しい。


「手癖の悪いやつを置いておくほど、我が商会は甘くない。お前が横領した金はきちんと支払ってもらおう」


えぇ⋯⋯商会のお金を横領していたの?

冷ややかな視線に晒され、ロンゾの顔が歪む。

何だかんだ言いながらも長年この商会に勤めてきた人達はこの商会のことが好きだ。

副商会長として商会の役に立っているからゴマをすっていたのに⋯と先程までロンゾについていた人達ですら嫌悪の顔を隠せていない。

私は商会長の娘としてロンゾのことを考えなきゃいけないのは分かっているんだけど、今はそれどころじゃない。

空気を読んで静かにしてはいるけど、我慢の限界は近い。

お父様とその後ろの人にチラチラと視線を向けていると、気づいたお父様が苦笑した。

振り返って彼に何かを話しているのを遠目に見つめる。

小さく頷いたその人の姿がフッと掻き消えた。

一体、どうやったらそんなことが出来るのだろうか。


「アリーゼは席を外しなさい」


色々と大人達で話し合うこともあるのだろう。

和やかな会食というわけにはいけないこともあり、お父様から許可が出た。

軽く頭を下げて部屋から抜け出す。

扉の外にいるのかと思ったら姿がない。

私と視線が合ったウェイターが頬を赤く染めるのを見て、慌てて視線を外す。


「ラフェル、いないの?」


呼びかけるが返事はなく、せっかく会えたと思ったのにどっかに行ってしまったのかと悲しくなった。

自然と涙が盛り上がる。

こんな所で泣いたら、なんて醜聞を立てられるか分からないし、我慢をしなくては⋯⋯でも、ラフェルと少しでもお話をしたかった。

涙を堪えて唇を噛もうとすると、急に後ろから手を引かれた。

慌てて振り向くと、お父様の傍にいた黒いローブを着た男が立っていた。


「お久しぶりです、アリーゼ」


仮面越しのくぐもった声に私はパッと顔を明るくさせた。

ラフェルが来てくれた!

先程までの涙はどこかへ飛んでいってしまい、ラフェルが目の前にいることが嬉しくて堪らなくなった。


「やっぱりラフェルだった!ねぇ、いつ帰っていたの?どうしてそんな格好をしているの?」


矢継ぎ早に質問をする私にラフェルの目が笑みを浮かべる。

あ⋯⋯はしたなかったかな。

口元に手を当てて、落ち着こうと深呼吸をする私の耳に穏やかな声音が届く。


「帰って来たのは昨夜です。すぐにご挨拶に行けず、すみません」


シュンと肩を落とすラフェルに私は慌てる。


「私は依頼主の娘っていうだけだもの。優先しろなんて言えないわ」


恋人でも婚約者でもないのだ。

本当は私の所へ来て欲しかったけれど、それは私の我儘でしかない。

目を伏せ、苦笑する。

すると、ラフェルは躊躇いながらも私の手を握ってくれた。

え、うぉ、ら、ら、ラフェルから触ってくれた!

感動のあまり目が潤むのをラフェルは私が悲しんでいると思ったのか、ますます肩を落とす。


「本当はお会いしたかったのですが深夜ということもあり、ランベルトさんの許可がおりませんでした」


ちょっと、お父様!

ラフェルが私に会いに来るのを邪魔するなんて、しばらく口を聞いてあげないからね!?


「それに少々気になる話を聞いてしまい、そちらを片付けるのが先だと判断しまして⋯⋯」


「気になる話?」


キョトンと首を傾げると、仮面の向こうでラフェルが笑ったのを感じた。

どこか仄暗い色が翡翠色を彩る。

影のある様子ですら素敵に思え、今の私は一体どんな顔をしているのだろうか。

たぶん、変な顔ではないと思う。

目を細めたラフェルの視線は忘れまいというかのように私を見ていて、少し恥ずかしい。

何だか、久しぶりに会うラフェルは⋯⋯すごく親しげにしてくれて幸せだ。

しかし、どうして仮面なんかしているのだ。

せっかくのご尊顔が見えなくて嬉しくない。


「飛んでいる羽虫はアリーゼもお嫌いでしょう?だから、徹夜で駆除をしました」


羽虫は確かに嫌いだけど、一番邪魔なのはその顔を隠している仮面だってば。

て言うか、徹夜をしたの!?

火竜討伐をして疲れただろうにそんなことになっていたなんて!

ゆっくりと休ませてあげなくてはっ!

私の膝枕で眠るラフェル。

良い!尊過ぎるっ!

鼻息が荒くなりそうなのを我慢する私。


「ラフェル、私の屋敷に来てくれる?ダメかしら?」


上目遣いでお願いをすると、私の手を握るラフェルの手に力がこもった。

私に痛みを与えないように加減をしてくれているのが分かり、頬が熱を持つ。

こうやって、さりげなく私に配慮してくれる優しさが好きだなぁと思う。


「アリーゼに渡したい物もあったので、ちょうど良かったです」


「私にお土産をくれるの?何?」


ラフェルからもらえるなら、何でも嬉しいのだけど。


「内緒です」


仮面の口元に立てた人差し指を当て、ラフェルが楽しげに告げる。

ぐふぅ!

仮面越しでもこの可愛らしさ!

ヤバい、ヤバ過ぎる!

素顔でやられたら、エロくて鼻血が出るかもしれない。

内心でのたうち回る私をラフェルが心配げに見ているのが分かった。

そして、いかにも怪しげな格好のラフェルが私と一緒にいるのを見たウェイターが眉をひそめ、こちらへ来ようとしているのが見えた。

私とラフェルの二人っきりの時間を邪魔させないんだから!


「ね、ラフェル!馬車に行きましょ」


スルリとラフェルの腕に抱き着く。

満面の笑みで仮面におおわれた顔を見上げると、見えている澄んだ翡翠色の目が大きく見開かれていて、何かいけないことをしただろうかと首を傾げる。


「ラフェル、どうしたの?」


動かないラフェルに不安が募る。

もしかして、腕に抱きつかれるのが嫌だったのだろうか。

それとも私の笑顔が気持ち悪かった、とか?

ネガティブな思考に陥りそうになっていると、ラフェルがハッと我に返った。


「アリーゼ、その⋯⋯男性の腕に抱き着くのは、相手の男に自分のことが好きだと誤解をされてしまいますよ?」


言いにくそうにしつつ忠告をしてくれるラフェルは本当に優しいと思う。

けれど、意中の相手に対してスキンシップをするのは当然であり、そもそも私はラフェル以外の男に抱きつくことは有り得ないのだが。

どうやら誤解をされているようだから、きちんと伝えておかないといけない。


「それなら抱き着くのは家族とラフェルの腕だけにするね」


「え⋯⋯」


何故か再びピシッと固まってしまったラフェルの腕に身を寄せて、ニコリと笑う。


「さぁ、行きましょう?」


ギクシャクと歩くラフェルと一緒に馬車へと向かう。

ラフェルの可愛さにニマニマする私を馴染みのある馭者が顔を引きつらせていたが気にしない。

私はラフェルさえいればいいもん。



■■■■■



屋敷に帰り着くや否やレティにティーセットをお願いして、普段着へと着替えてからラフェルが待っている応接間へと急ぐ。


「ラフェル、待たせてごめんなさい」


ラフェルは窓の外の花を見ていたようで顔をこちらへと向けると、立ち上がった。

スラッとしたラフェルの立ち姿は見惚れるほど綺麗だ。


「もう少しゆっくりとされても良かったのですよ?俺はアリーゼならいくらでも待てますから」


ん、んんっ!

待つことすら苦ではないと言われ、私の顔は真っ赤だろう。

ラフェルが近づいて来て、手を取ってエスコートをしてくれる。

柔らかく腰に回された腕に微かに当たって自分の贅肉がポヨンッと揺れた気がして嫌になる。

けれど、ラフェルは気づいていないのか何も言わずにソファーへと私を座らせた。


「ねぇ、ラフェル。その無粋な仮面は外して欲しいのだけど」


ずっと言いたかったことを伝えると、ラフェルが戸惑うのを感じた。


「無粋、ですか?」


「そうよ。ラフェルの顔が見れないじゃない」


唇を尖らせて不満を訴えると苦笑された。

む、私は本気で言っているのにラフェルったら何でそんなに困った雰囲気を出すのだろう。


「俺の顔を見たいだなんて、本当にアリーゼは変わっていますね」


ため息をつきつつ、私が望むままに仮面を外してくれる。

高い鼻梁に形のいい薄い唇。

日に焼けた肌は血色が良く、長いまつ毛に縁取られた切れ長の目が真っ直ぐに私を捉えて離さない。


「これでいいですか?」


ローブについているフードを肩へと落としたラフェルが微笑みながら首を傾げた。

なんて尊いっ!

私の理想を詰めこんだ容姿は神々しいほどに輝いて見えた。

ソファーに座っているが脚が長いから、少し座り心地が悪そうにしている。

足を組んでゆったりと座ってくれていいのにな。

私の前ではくつろいで欲しいと思う。

その姿を見た私はその得がたい幸せに歓喜するに違いない。

しかし、性急に求め過ぎれば関係が壊れてしまうかもしれないから、ゆっくりと遠慮はいらないのだと伝えていきたい。


「ラフェル、ありがとう」


それにしてもラフェルは自分の容姿が好きではないようなのに、こうやって私の我儘を許してくれるから、もっともっとと欲張りになってしまいそうだ。


「これくらい大したことではありませんよ。むしろ、お礼を言うのは俺の方です。貴女は神が俺に与えてくださった宝物です」


私はお礼を言われるようなことはしていない気がするのだが⋯それに後半は声が小さくて聞き取れなかった。

目を瞬かせる私にラフェルは何でもないと首を横に振る。


「そう言えばお父様の傍にいた時、サッと現れて消えてカッコ良かったわ」


「俺がカッコいい、ですか?」


心底不思議そうに私を見るラフェル。

副音声で「目は見えているのか?」って聞こえて来そう。


「噂に聞く王家や貴族の影っぽくて、ミステリアスな感じで素敵だったの!ああいったことをアッサリと出来るなんて、ラフェルはすごいと思うわ」


勇者とか正義のヒーローに憧れる人は多いだろうが、私はどちらかと言うと悪役側の魔王とかの方が好きなのである。

情報収集や様々な工作、暗殺などを請け負う影はなれる者が少ない。

かなりの技量がなければすぐに死んで終わりなのだから⋯⋯。


「フフフ!アリーゼが喜んでくださるなら、ランベルトさんに頼んで商会専属で雇ってもらってもいいですね」


興奮する私を見て、細められた翡翠色の瞳は優しい。


「S級冒険者のラフェルを独り占めしたら、お父様や商会が悪く言われないかしら?」


「どちらかと言うと冒険者ギルドも俺の扱いに困っているようなので、そちらには招集がかかったら顔を出す程度で構わないと思いますよ」


何とっ!

それならお父様が帰って来たら、雇えないか聞いてみてもいいかも。

商会専属だったら、もっと会える機会が増えるからそうなるといいなぁ。


「アリーゼは俺が商会専属になると嬉しいですか?」


「勿論よ!うちの商会は週休二日だし、ラフェルさえ良かったらぜひ専属になって欲しいわ」


そのお休みに私とデートしてくれたら嬉しいのだけど望み過ぎかな。

チラリとラフェルを見ると「分かった」と言いたげに頷いていて、いい返事ももらえそうだ。


「あ⋯⋯これを渡すのを忘れていました」


どこからもとなく小さな箱を取り出したラフェルが私の前にそれを置いた。


「南の美味しい果物は商会の方から届けてくれると言っていたので、これは俺からのお土産です」


ラフェルからのお土産!

聞いてはいたけど、本当に貰えるなんて嬉しくて飛び跳ねたい気分だ。


「何かしら?」


きっと今の私は目がキラキラしていると思う⋯⋯と言っても糸目だから分かりにくいだろうけど。

開けてもいいか視線で尋ねると、ラフェルが小さく頷く。

緊張している様子が可愛い。


「うわぁっ!可愛い!」


箱の中から出て来たのは細身のブレスレット。

淡いピンク色の貝殻を花の形に細工がしてあって、私の好みドンピシャだ。


「アリーゼに似合うと思って選びました」


早速、付けてみることにする。

ラフェルから貰った物だから毎日でもつけていたい。

いや、壊したらいけないから、大事に取っておく?


「ん、あれ?こう⋯⋯んんぅ⋯⋯」


私の真ん丸な手では小さな金具が上手く留れなくて、苦戦してしまう。


「貸してみてください」


サッとブレスレットが取られ、ラフェルの手が器用に動く。


「どうですか?」


いとも簡単にブレスレットは私の手首を彩る。

銀色の鎖がシャラリと音を奏でた。


「嬉しい!ラフェル、ありがとうっ!」


今日からこれは私の宝物だ。

光にかざしたり、手首のブレスレットを指先で撫でたりする私は自然と笑みを浮かべる。

そんな私を眩しそうに見るラフェル。


「喜んで頂けて俺も嬉しいです」


薄らと頬を赤く染めるラフェルに私まで赤面してしまう。

何だかこのやり取りって恋人みたいだ。

そして、ふと疑問に思う。

ラフェルの好みの女性ってどんな人なのだろうか。

チラチラとラフェルを見ていると、どうしたのかと視線で問われた。


「ら、ラフェルって、恋人は⋯⋯いるの?」


「俺に、ですか?この容姿なので女性にはモテませんから⋯⋯」


逸らされた視線が遠くを見る。

この世界の女性達は本当に勿体ないことをする。

これだけ優しくて素敵なのにモテないなんて⋯⋯私としてはライバルが少なくて有難いけど、ラフェルの心情を思うと複雑だ。


「まともに顔すら見て貰えず、時によっては悲鳴すらあげられるので女性は苦手です」


「え!?じゃあ、私も苦手⋯⋯なのかな?」


苦手だと言われたら立ち直れないかもしれない。

目を潤ませる私にラフェルが慌てて立ち上がった。


「アリーゼは他の女性達とは違います!」


力いっぱい否定されて、安堵の吐息をつく。

何だかラフェルの言い方だと私が特別みたいで胸が高鳴る。


「その⋯⋯アリーゼこそ、ロンゾとは恋人同士だったのでは?」


「はぁ!?」


有り得ない話がラフェルの口から語られ、声が裏返った。

私とロンゾが恋人同士!?

想像しただけで腕に鳥肌が立っている。


「ドレスを贈られたと聞きましたし、お似合いだと評判でしたし⋯⋯」


確かにドレスは贈られてきたけど、恋人同士だと言われるなんて!

そもそも、もしロンゾが恋人だったなら断罪をされるのを黙って見過ごし、恋人がピンチの時にラフェルにウキウキしながら話している私って⋯⋯。

え、もしかして、私ってそんなことをする人だと思われていたのだろうか。

あまりのことに半泣きになる。


「趣味じゃないドレスを一方的に贈られ、嫌だって言っているのに会う度に手を撫で回されるのよ?どうやったら好きになれると言うの⋯⋯?」


ラフェルの目が大きく見開かれた。


「あいつ、そんなことをしていたのですか!?」


心なしか、こめかみに青筋が浮かんでいる。


「私がロンゾを好きだと思ったことは一度もないわ」


商会の人達は私とロンゾが恋人同士だと思っていたのだろうか。

この世界のイケメンだと言っても生理的に受けつけない人っていると思う。


「男の俺の目から見ても彼は魅力的だったので、アリーゼもそうなのかと思っていました」


「私はロンゾよりも遥かにラフェルの方が好きだもの。そんな勘違いをしないで欲しかったわ」


う⋯⋯泣いてもいいだろうか。

まさかの勘違いに心が抉られた気分だ。

項垂れた私は「俺の方が好き⋯⋯?」と呆然としているラフェルが首筋まで赤くなっているのを見逃した。

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