第6話 はじめての魔獣料理:解体編


 三人は人目に付くからと、夜更けにリューズが戦っていた、森の中の開けた場所へと移動した。

 ハルの目の前には、スネイルホーンという名称らしい魔獣の死体がでんっと置かれている。

 荒々しい黒の体毛に、全身から突き出た歪んだ角。ハル五人分くらいはある巨大な身体。

 首を切られているから確実に死んでいるが、目の前の異形の図体は、ハルに凄まじいプレッシャーを感じさせた。



「は、ハルくん……本当にコレを料理するの?」

「無理ならすぐに言ってくれ。私としては、気持ちだけでも十分嬉しいからな」



 ミコトはスネイルホーンの巨体にすっかり腰が引けている。リューズもハルを気遣って諭すような声色だ。



「それに、正直に言って料理のしようがないんじゃないか? これまでに数回食べた事があるが、肉は固くて、猛烈に臭い。今まで食べた中では最悪の肉だぞ」

「そんなにですか……ちなみに、リューズさんはどうやってスネイルホーンを食べたんですか?」

「脚を一本斬って、塩を振って焼いただけだ。あまりにも臭すぎて、最終的には川の水で洗いながら食べたがな」

「確かに、もう既にちょっと臭うもんね……洗ってない体操服みたいな匂い」



 ミコトが鼻を摘まむ。確かに、そばに居るだけで鼻がツンとしてくる。とうてい、これから食べるものから漂っていい匂いではない。

 ハルも強がってこそいるが、ひと噛みで殺されてしまいそうな巨体を前にして、正直めちゃめちゃビビってはいた。

 しかしハルには、一端の料理人としてのプライドがある。

 食べられると知った以上、これはもう食材なのだ。未知の食材に出会えば、それをどうすれば美味しく食べられるかを考えるのが料理人だ。作ると言った以上、後には引けない。



「僕の思う通りなら、臭いの問題は適切に処理をすれば解決できる筈です。魔獣の事は分かりませんが、動物であることに変わりは無いはずなので」



 覚悟を決めよう。ハルはぴしゃんと頬を叩いた。



「とにかく食ってみろ! これが料理の鉄則です。まずは、魔獣の解体を行います!」



 キャンプ生活を始める前、ハルは料理人を志して、ある著名なレストランで二年間の修行をしていた。そこは料理の腕もさることながら、近くの猟師組合から、野山で狩猟された野生動物を買って調理する、いわゆるジビエ料理でも有名な店だった。

 料理を扱うなら、食材についても知るべし──師事を仰いでいた料理長の指導で、ハルは半ば無理矢理に猟師組合の狩りに連れられ、鹿や猪の動物の解体を覚えさせられていた。

 二年間の修行期間でいちばん理不尽だと感じた日々だったが、お陰で肉の扱いには、そこいらの料理人よりは心得がある。魔獣だって、同じようにいけるはずだ。



「リューズさん。さっき、魔獣のほとんどは焼却するって言ってましたよね?」

「ああ、そうだ。血の一滴、骨の一欠片も残さず灰にする」

「骨も灰にするって相当な火力が必要だと思うんですが、それも異世界の力を使うんですか?」



 訪ねると、リューズは頷きながら、懐から筒状の物を取り出した。手のひらで握り込めるサイズのシリンダーだ。真鍮の装飾が施されたガラス筒で、中にはふわふわと光るオレンジ色の光球が三つほど漂っている。

 リューズがシリンダーのスイッチを押すと、蓋が開いて光球の一つが飛び出してきた。それは空気に触れた途端にぽっと火を灯し、リューズの周りをひらひらと舞う。



「火精だ。精霊の中ではもっとも人懐っこく、我々の世界でも一般的に使われている。騎士団の持つ火精は特に強力な固体で、その気になれば鋼鉄だろうと蒸発させられる火力を持つ」

「鉄を……蒸発……? そ、そんなに凄いものがあるなら、普通に剣で戦うより焼いちゃった方が早いんじゃないの?」

「いいや、火精は流れる水を極度に嫌うんだ。血の通った生き物に対して火精を使う事は、相当な対話が必要となる。才能と訓練を積んだ魔術師にしかできない芸当だ」



 どうやらリューズの世界では、万物に宿る精霊の力を借りて魔獣との戦いや日々の生活を営んでいるらしい。詳しく聞いてみたい好奇心が疼くが、あくまで今は料理の時間なので、後回し。



「その火精で、魔獣の体表だけを炙る事はできますか?」

「できると思う。少し待ってくれ。火精と話を付けてみよう」



 そう言うとリューズは、彼女の周囲を舞っていた火の玉に目を向け、何事かを話し始めた。



「……と、言うことなんだ。頼めないだろうか」

『────────』

「そこを何とか……なあ、無理なお願いじゃないだろう? ちょっとくらい優しくしてくれてもいいじゃないか……や、違っ。君の重労働は私のせいじゃなくて……!」

『────────────────』

「はい、はい……私は役立たずの出来損ないです……私の無能で迷惑をかけてしまい大変申し訳ありません……深く反省しております……」

(精霊に怒られてる……!?)



 どんどん顔色を悪くし、とうとう空中の火の玉にぺこぺこ謝るまでして。それでもどうにか許しを貰えたらしい。リューズが手の平に乗せた火球をハルの下まで運び、しおしおになった顔で言う。



「……手伝って頂けるそうです」

「な、なんだかすみません」

「いいんだ。ぽんこつ騎士の私にできる事なんて、頭を下げて謝ること位だからな。はは、ははは……」



 目尻にじんわり涙を浮かべながら乾いた笑いを浮かべるリューズ。これは何としても美味しい料理を作って元気になって貰わなければと、ハルは改めて気持ちを引き締める。

 リューズの言葉通り、火精の力は凄まじい物があった。

 火の玉が魔獣に触れると、たちまちのうちに全体が炎に包まれる。

 ものの十数秒で、全身の毛が焼け落ち、ほんのり表面が焦げた魔獣の身体が残された。



「こんな感じでいいのか?」

「バッチリです。野生動物の体表には汚れや、ノミなどの虫が付着していますから。これで心置きなく作業に移れます」

「私も手伝うぞ。この世界の人間に、このサイズの獣を捌くのは難しいだろうからな」

「わ、わたしはカメラを回しておくね。たぶんグロすぎて使えないだろうけど、何かの参考になるかもだし」



 リューズがハルの隣に立ち、ミコトが遠巻きにハンディカメラを回す。

 ハルはキャンピングカーの備品にあったゴム手袋を付けて、更にラップで肩までを包んだ。汚れを防ぐ防護を徹底した上で、ナイフを手に持つ。



「首を一刀両断されているから、血抜きは十分できてそうだな。他の傷もないし、肉は汚れてなさそう。本当は吊しておきたいけど、この大きさだし文句は言えないや」



 いよいよ本格的な解体作業の始まりだ。

 ハルはまず、魔獣の尻尾の下あたりに小さな切れ込みを入れた。切れ込みから手を差し入れて、目的のものを探し当てる。



「リューズさん。キツく縛れる紐か、挟んで綴じられるクリップみたいなものって作れますか?」

「こんな感じか?」



 ハルが訪ねると、リューズが鎧の欠片を操り、一センチ幅のクリップに変形させた。まさに求めていた通りのそれを受け取り、尻尾の切れ込みの中に入れる。

 カメラを回していたミコトが、ハルに聞いた。



「それは何をしてるの?」

「肛門を結紮して、肉が汚れる事を防いでるんだ」



 言いながら、ハルは首の断面にも手をやり、食道も同じようにクリップで閉じる。



「肉の臭いには色々な原因があって、ほとんどは後から肉に付着しているものなんだ。現に、さっきまでの嫌な臭いはあまり感じないでしょ? 臭いの元の体表面の汚れを焼いて消毒したからね」

「あ、確かに。あのツンとする臭いはなくなってるかも」

「肉本来の臭いって、実はそんなにキツくないんだよ。解体の際にきちんと処理ができれば、リューズさんの言う臭いの問題は解決できるはず」

「なるほどねぇ、レストランで食べるジビエ料理も、嫌な匂いはあんまりしないもんね」

「そういう事。あ、ここからかなりグロくなるから、ミコトは気持ち悪くなったら目を逸らしてね」



 断りを入れて、ハルは解体用の大ぶりなナイフを手にした。

 さすがに、動物解体のための包丁を常備はしていない。「こういう形状の刃物が欲しい」とリューズにお願いしたら、その場で作ってくれたのだ。刀身は透き通るように薄く、手で触ると木のように固い魔獣の皮膚も、滑り込むように切れてしまう。

 これだけの刃物を数秒で生み出せてポンコツ呼ばわりされるのか……異世界の価値観にハルは戸惑わずには居られない。

 とはいえ、今は解体作業に集中だ。切れすぎる刃物を慎重に使って、お腹に薄く切れ込みを入れる。



「生き物の肉体は大きく三層に別れているんだ。外側から皮膚、肉と骨、そして内臓。さっき言った後から肉に付着する臭いは、ほとんどが内臓の中にある体液や消化物が肉に付く事が原因だ。だから動物の解体は、まずは身体から内臓を取り出す所から始める」



 生き物の身体の中で、もっとも薄く内臓に近いのが腹部だ。腹に開けた切れ込みを手で押し広げると、卵の殻に似た色味の白っぽい膜が見えた。手で押すと、膨らませた風船を叩いたような弾力がある。



「内臓は、ほぼ全ての臓器がこういった袋で覆われている。だから袋を破らないよう、ひとまとまりになったまま取り出す事が重要だ。食道と肛門を結紮して中身が漏れないようにしつつ、肉との継ぎ目を慎重に剥いでいく」



 ミコトはぎゅっと目を閉じて見ないようにしているが、手にしたカメラはしっかりとハルを映している。なのでハルも、いつもの料理撮影の要領で、工程を口に出しながら作業していく。

 初めてではないとは言ったものの、生物をさばくのは大変な作業だ。一人語りでも、喋りながら作業に集中できるのはありがたかった。ラップで覆った二の腕までを突っ込んで、内臓を包む袋を肉から切り離していく。



「ハル、と言ったか。大丈夫か? 私が代わりにやってもいいんだぞ」

「平気です。肉を捌くのは慣れていますし、リューズさんが作ってくれたナイフのお陰で物凄くスムーズに作業できてます。これ、本当に凄い切れ味ですね」

「そ、そうか……む、むずむずするな。私のナイフをそんな風に褒めてくれるなんて……」



 魔獣は大柄だが、身体の基本構造は地球の動物とそう変わりはないようだった。リューズのナイフの切れ味もあって、十五分程度で切り離しの作業が終わった。

最後に、いちばん身体の深くにある内臓袋の端を掴んで、思い切り引っ張る。

すると、白い膜に覆われた内蔵が、トコロテンのような勢いでずるんっと落ちてきた。



「よし、内蔵摘出完了! どこも破れずにできて良かった」

「うぅ、怖くて目を開けられないけど、おめでとうハルくん……!」

「斬り方次第でこのような事もできるのか。ハルは凄いな」



 ミコトが目を瞑ったまま褒めてくれ、リューズがほうと感心する。

 無理矢理経験させられた解体経験がこんな所で役に立つとは。喜びに身体がくすぐったくなる。

 後は、肉を部位ごとに切り分けるだけだ。ハルはナイフを手に、まずは内臓袋に近づく。



「さすがに内蔵を食べるのは危なそうだし、今回はやめておこう。横隔膜とか、肉感のある部位だけ切り分けて──ん?」



 ハルの目の前で、内蔵袋がもぞりと蠢く。

 次の瞬間、乳白色をした長い蛇のような生き物が、袋を突き破って飛び出してきた。



「うわああああああああ!?」

「キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア──ッブ!?」



 蛇のような生き物がハルに飛びかかる寸前、横合いから飛来した鋼片がその首を弾き飛ばした。

 リューズは、鎧を変形させて飛ばした鋼片を元に戻しながら、事もなげに言う。



「それはクレイワームだ。肉食動物の体内に寄生して、宿主が食べた肉を横取りする肉食の魔虫だ。宿主の死を察知して暴れ出したんだろうな、魔獣を相手取った後にはよくある事だ」

「よっ、よくある事なら先に言っておいてくれませんか!?」

「怖がらせるのも悪いと思ったんだ。即座に対応できるよう気を張っていたから心配はいらない。というより、なぜ近付いたんだ? 内蔵は虫の巣になっているから触れないことは常識だろうに」

「ここで異世界のカルチャーギャップ出してくるんですか!? 今更!?」



 足下でびくびくと痙攣する、腕ほどの太さのクレイワームの死骸にぞっとしながら、ハルは絶対に魔獣の内蔵には手を付けないと心に誓うのだった。





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