第4話 月下の騎士



 キャンピングカーのドアを開けると、予想以上の寒さが押し寄せてきた。

 ハルはハンディカメラとスマホを手にして、それぞれの画面を交互に見比べる。

 映像がスマホに連動できている事を確認して、ハルはカメラを自分の顔に向けた。



「もう配信できてるんだよね? えっと……どうも。『なかよしキャンプ』のハルです」

「うぅぅ、うぅぅぅ~~~~……!」

「場所は天坂キャンプ場。時刻は午前四時半。ちょっと信じがたい事が起きたので、急遽生放送で動画を回して……ちょ、ミコト。少し離れて。ライト顔に当てないで。眩しいって」

「うぅぅ、寒いよ~~暗いよ~~、こ~わ~い~よ~~!」



 ハルが視線を降ろすと、左腕にぶら下がるような勢いで縋り付くミコトがいた。全身をブルブルと震わせており、彼女の手にした懐中電灯の明かりも激しくぶれている。



「本当に大丈夫? 無理に来なくてもいいんだよ」

「行くよ! こんな訳も分からない状況で、ハルくんと離ればなれになる方が嫌だもん!」

「分かった、無理そうなら言ってね……えっと、五分くらい前に、キャンピングカーに何かが激突してきました。熊じゃありません。もっと大きい何かです──ミコト、ライトを車に向けて」



 ハンディカメラをキャンピングカーに向ける。やはり夢などではなく、車体の真ん中が大きく陥没していた。全体がVの字を作るように傾き、タイヤが宙に浮いてしまっている。この状態ではマトモに運転もできないだろう。



「はわわわわ……わたし達の九七〇万円のお家が……ローン返済もまだなのに……」

「事故保険には入ってるけど、適用されるのかな、これ」



 天板には血も付着していた。黒みの強く粘ついた血が、車の側面部をべっとりと汚している。嗅いだことのない強烈な野生臭が辺りに充満している。



「衝撃は二回起こりました。このように大量の血が出ていて……争い合っていたような形跡があります」



 カメラを回しながら、ハルは生放送の画面を確認した。真夜中にもかかわらず、視聴者数は四〇〇人を超えようとしていた。画面には、視聴者からのチャットが次々と流れていく。



>うっわ、キャンピングカーがバキバキだ

>何かの企画? ドッキリ?

>なかよしキャンプはドッキリとか変な企画しないでしょ

>てことはガチのやつ? なおさらヤバくない?

>外出たら危ないよ! 二人とも気を付けて!

「ねえ、ハルくん。血の跡、こっちに続いてる」



 ミコトが指さす方にカメラを向けると、粘つく血が、地面にレッドカーペットを敷いていた。

 ハルがカメラを翳し、ミコトが恐る恐る、血の痕が伸びる先へライトを向ける。

 らんらんと大きな目が、ギョロッと二人を睨み付けた。



「ぴッ──!?」



 ミコトが甲高い悲鳴を上げてハルに縋り付く。ハルも心臓が飛び出しそうになったが、カメラを落とせないという理性でギリギリに持ちこたえた。

 明かりに照らし出された目は、見開いた状態でぴくりとも動かなかった。



「だ、大丈夫だよミコト……もう死んでるみたい」



 ミコトを落ち着かせながら、ハルは目の前の死体を観察する。

 ──見たことのない生き物だった。

 大まかな形はライオンのようにも見える。しかしその図体はハルの四倍ほどはありそうな巨大さだ。体毛はなく、ずっしりと重そうな表皮はサイを思わせる。

 特徴的だったのが、全身から突き出る角だった。バッファローのような太く固い角が、顔の周りや、胴体や、前足の裏側など、あちこちから飛び出している。

 全身を角で武装した、ライオンとサイの混ぜ合わせのような生き物──それが、腹のあたりを斬られて死んでいた。厚い外皮は破られ、そこから大量の血が流れ出ている。



「生き物が死んでます。とんでもない大きさで、絶対に今まで見つかっていない新種です──ミコト、もっと近付いてライト当てて」

「ええ!? こ、このぐらいで良くない? いきなり目覚めたらどうするの?」

「証拠はしっかり残しておかないと。コレ、世紀の大発見かもしれないよ」



 ハルは嫌がるミコトをなだめながら、獣の姿をカメラに収め、それから、闇に覆われた森へとカメラを向けた。



「あと二つ、大きい足音と小さい足音が、森の中に消えていきました。これから追いかけようと思います。行くよ、ミコト」



 ハルは油断なくカメラを翳し、縋り付くミコトを引っ張るようにして、森の中に踏み入る。



>二人とも気を付けて! いのちだいじに!

>これ警察呼ぶのが先じゃね?

>さすがにガセだろ。あんな生物、日本に居るわけないじゃん

>だからなかよしキャンプは手の込んだイタズラいないって

>いやいや、あんな生物居るわけないだろって言ってんの。

>専門家ー! 誰か専門家呼んでー!?

>いつからこの世界はゲームになったんですか?



 チャット欄の勢いが凄い。皆、目の前の信じがたい光景に興味を抑えられていないようだ。視聴者数もぐんぐん伸びている。ハルはごくりと息を飲む。



「これから僕らは、誰も知らない世界の秘密を目撃するかもしれません。視聴者の皆さんも、この歴史的瞬間を見逃さないようお願いします」

「は、ハルくん凄いね? この状況でよく落ち着いてられるね?」

「火事場の馬鹿力って奴かな、異常事態すぎて逆に怖くなくなっちゃった。ミコトは、大丈夫? 本当に付いて来れそう?」

「絶対付いていく。怖いけど、ハルくんがわたしを置いていなくなっちゃうのはもっと怖いもん。わたし、今度こそずっとハルくんと一緒にいるんだから!」

「ありがとう。ミコトは僕が守って──あ、カンザス饅頭さん『なかよしの確認作業ごちそうさまです』、スーパーチャットありがとうございます」

「余裕だねハルくん!? いくらなんでも余裕すぎだね!? わたし達、今からあの怪物にガブガブされちゃうかもしれないのに!」



 ミコトは戦々恐々としているが、ハルにはガブガブされる未来が来ないという予感があった。

 これまでの出来事を振り返る。キャンピングカーを乗り越えて森に去って行った何か。その少し後に天井を貫いた血まみれの剣。傍らに放り捨てるようにされた怪物……そこから思い浮かぶのはこんな流れだ。



「何者かが、二頭の怪物を追っていた。その人は一頭をキャンピングカーの上で剣を突き立てて倒し、いまも残りの一頭を追っている……」

「ハルくん、あっちの方で音がするよ。なんか、めっちゃ暴れ回ってるっぽい!」



 だとすれば、ハル達がこれから目撃する光景は。

 怪物に襲われるような、恐ろしいものでは断じてなくて。

 それよりも、もっとずっと不可解で、奇妙で、ひどく現実味のない──



「剣を手に怪物と戦う──まるで、ゲームみたいな……」



 カメラに向けて語ってきた言葉は、視界に飛び込んできた情報に押し流されて掻き消えた。

 鬱蒼と生い茂る木々が切り倒され、木の葉の天井がぽっかりと開いていた。そこから月明かりが差し込み、円形の空間を銀色に照らし出している。

 その戦場で、一人の騎士が、怪物を相手取っていた。



 全身を包み込む鋼鉄の鎧。ハルの身長ほどはありそうな大柄な剣。

 騎士はその重厚な鉄の塊を軽々と振りあげて、相対する怪物に叩き付けた。

 怪物は、先ほど死んでいたのと同じ、無数の角を持つライオンとサイの中間みたいな生き物だ。怪物は頭を狙った剣に対し、首周りから鬣のように生えた角の群れで受けた。固い金属同士を打ち鳴らすような快音が森に響き渡る。



「ガルルルルォオ!」



 怪物は頭を振って騎士を振り払うと、先ほど喰らった一撃のお返しとばかりに、前足を大きく振り上げた。

 ダガーのように生えた角を使い、全体重をかけて地面を抉る。騎士は落ち着いた様子で後ろ飛びで交わし、立て続けに振るわれる角を剣でいなす。



「な、何あれ? わたし、リアルな夢を見てたりする?」



 ミコトがハルの腕を掴んで言う。

 正直、ハルも同じ気持ちだった。もしこれが、誰かの撮った動画をスマホで見ただけなら、よくできたCGだと笑い飛ばしただろう。

 だが、騎士の剣と獣の角が打ち鳴らす、一撃ごとに全身を震わせるような衝撃も。月明かりに輝く甲冑の騎士の、背筋をゾクリとさせる覇気も。

 何もかもが鮮明で、衝撃的で……魅力的で。

 いつしかハルは、配信中であることも忘れて、目の前の死闘に魅入ってしまっていた。一瞬も見逃したくないと、瞳をカメラのようにして、騎士と怪物の死闘を目に焼き付ける。



 剣を携えた騎士はもちろん、怪物の方も相当な強さだった。手、足、腰、鬣、それら全身に生えた角を、攻撃にも防御にも用いている。全身の筋肉を使って果敢に攻め入ったかと思えば、騎士の剣を的確に角を当てて受け流す。

 一方の騎士の動きは、獣以上に苛烈で容赦がないように見えた。怪物の行動の隙を突いて、角にヒビを入れ、砕き割り、的確に戦力を削いでいく。顔はフルフェイスの鎧に覆われて見えないが、息一つ荒げていないのではと思われた。

 戦力は騎士の方が圧倒的に上。怪物の角は次々に折られ、騎士は傷一つ付いていない。しかし怪物も、生存本能がそうさせるのか、決定的な一撃には至らせない。



 ──まるで騎士相手に、一対一の果たし合いを挑んでいるかのようだ。



 そんなハルの考えは、相手が獣であることを忘れた危機感のない夢想だったのかもしれない。

 あるいは怪物は本当に騎士道精神を持っていて、水を刺された事が気に食わなかったのだろうか。

 騎士と怪物の戦いに見とれていたハルは、獣の瞳が、こちらを見据えている事に気がついた。



「ッ──何故ここに民間人が!?」



 獣の意識のブレに気付いた騎士も、ハル達に気付いて声を上げる。

 その声は、ハルにはもう聞こえていなかった。



「あ──」



 生命力と殺意を宿した瞳に、魂を射貫かれたような心地。

 バレた、ヤバい、そんな思考よりも早く脳に届く、死んだという実感。



「ミコト!」



 ハルは咄嗟に、ミコトの身体を引いて下がらせた。

 怪物が身を屈め、全身をぶるるっと震わせる。

 次の瞬間、頭部から鬣のように生えていた角が伸びた。

 先端が鋭く尖った、一本一本がハルの腕ほどもある角。それが放射線を描くような挙動で、ハルに向けて幾本も伸びてくる。



「ハルくん!」



 ミコトが叫ぶ。ハルはすぐ後に迫る死の絶望感に、ぎゅっと目を閉じる。

 その未来を、否定するかのように。



「応えろ鋼精──守壁、展開!」



 凜々しい声が、殺意の前に立ちはだかった。

 次々と奏でられる、硬質な衝突音。その中に、肉を貫く異音は一つとして混ざらない。

 恐る恐る目を開いたハルは、見る。

 一体どんな力を使ったのか。騎士がハルの前に立ちはだかっていた。

 その、騎士の姿がさっきまでと違う。

 フルフェイスの冑がなくなっている。冑の他にも、肩当てや上腕部の鎧が剥がれ、その下の素肌が露わになっていた。

 なくなった鎧は空中にあった。大小様々な金属片が空中に浮いて、四方八方から迫っていた角の全てを受け止めていた。

 尻餅をついたハルと、ハルに縋り付いたミコトは、呆然とその現実味のない光景を眺める。

 空に浮かぶ月を背に、冑の隙間に隠されていた金髪が、さらりとほどけて夜風に靡いた。



「怪我はないか、民間人」



 磨かれた剣のように澄んだ、女性の高い声。

 振り返ったその顔は、今まさに死にかけた事すら忘れさせるような強さと美しさに満ちていた。



「話は後だ。まずは、速攻であの魔獣との決着を付ける!」



 騎士の気迫に応じるように、周囲を待っていた鋼片が回転し、受け止めていた角を弾き飛ばした。怪物は苛立たしげに唸り声を上げ、騎士に目がけ飛びかかる。



「我が声に応えよ鋼精──斉唱! 攻陣の三、刃雨!」



 力強い声で騎士が叫ぶ。

 それに応じて、宙を漂っていた鋼片が形を変え、クナイのような形の鋭利な刃物へと変わった。それは一人でに宙を舞い、怪物に向けて殺到する。

 突然の猛攻は、怪物に対処する隙を与えなかった。弾丸のように飛来した鋼片が、怪物の角を次々と砕き割る。

 唸りを上げる怪物。その懐に、騎士が飛び込む。



「凜叫!」



 宙を舞っていた鋼片が飛来し、女騎士の剣に取り憑いた。鋼片は剣に溶け込み、その形を変える。

 できあがったのは、身の丈を遙かに超える長さの、鋭利な太刀。

 女騎士はその太刀を振りかぶり、今まさに前足を振り上げた獣を真っ向から睨み付ける。



「鋼刃の四! 大・斬破ッッ!」



 ──ズバンッ! と。

 これまで響いた音とまるで違う、肉と骨を一瞬で断ちきる、決着の音がした。

 首を失った怪物が、力を失いぐらりと揺れて、地面に倒れ伏す。



 森に静寂が訪れ、同時に、夜が明けた。

 山嶺から顔を出した太陽が暗闇を切り裂き、佇む甲冑騎士の姿を照らし出す。

 あたりの木々から鳥が飛び立って夜明けの青みがかった空を飛び、吹き抜けた風が輝くような金髪を靡かせる。

 ハルとミコトは、驚きで目を皿のようにして、その一部始終を目撃した。



「……見てしまったものはしょうがない。危険な目に遭わせてしまった責任もある」



 倒れたまま動けない二人に向けて、騎士が歩み寄ってくる。

 宙を舞っていたクナイ状の鋼片を操り、元の鎧の形状に戻し。けれど顔を覆っていた鎧は戻さないまま。



「身勝手なお願いとは承知だが、頼む。今夜見た事はくれぐれも内密にしてくれないだろうか。私達が守りたいと望む、君たちの世界の平穏のために」



 美しい金髪の女騎士は、膝を着いて目線を合わせ、ハルとミコトにそう言った。



「「………………………………」」



 二人は、真摯な目で自分を見つめる女騎士の美貌に息を飲み。

 自分たちの顔を、しばらく見つめ合って。

 それから、まるで世界滅亡のスイッチをうっかり押してしまったような、ひくつく笑顔を浮かべてみせた。



「あのう、それはぁ……」

「もう、手遅れかもしれません」

「む?」



 ミコトが指さし、ハルが翳すのは、驚きのあまり手放す事もできず、胸の前で翳し続けたハンディカメラ。

 カメラは今も律儀に、自分の役目を果たし続けている。



「なんだ、その機械は?」



 ポケットから零れたスマホ。そこに映された配信画面に、女騎士の怪訝な顔が映り込む。

 表示されていた視聴者数は、四万人を超えてなお、怒濤のように数を増やし続けていた。


 

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