第2話 Youtuberに悩みはつきもの
ハルとミコトはキャンプ場でテントは張らない。
撮影とキャンプを楽しんだ後は、キャンピングカーで寝泊まりをしている。
キャブコンと呼ばれる、キャンピングカーと聞いて大抵連想する形式の大きな車両だ。キャンプ生活を始めようと決心してから、二人一緒にカタログを広げて頭から湯気が出るまで悩んで購入した、現在の二人の愛しい我が家だ。ガスコンロや洗面台、各種収納に、ベッド。それら生活に必要な機能が、おおよそ六畳ほどの内装に全て収納されている。
最初に暮らし始めた時は、その手狭さを不便に感じたりもしたものだったが。
「二年も経てば、もう立派な我が家だな」
ハルは、ペットにそうするように、キャンピングカーの白い塗装のボディをそっと撫でた。
キャンプ飯を堪能し、綺麗に片付けを終えた夜更け。ハルは外に出てキャンピングカーに背中を預け、ぼんやりと星空を眺めて黄昏れていた。
数分前まで、車内からはシャワーの音とゴキゲンな鼻歌が漏れ聞こえていた。
ハルが星を眺めていると、やがて車の中からコンコンとノックがした。
「ハルくん、お待たせ。もういいよ~」
「ん」
のんびりした声に頷き、扉を開ける。
雄大な自然に似つかわしくない、ふわりとしたソープの香りがハルの鼻孔をくすぐった。
ミコトはキャンピングカー前面のデスクに腰掛け、タオルで髪を拭いている最中だった。頬は艶やかに潤い、桜色に紅潮している。
「いやあ、やっぱりシャワー付きの車にして大正解だったね。撮影終わりのひとっ風呂の気持ちよさったら、まさに至福っ」
キャンピングカーでは暖房を利かせているから、いまのミコトはTシャツにハーフパンツのラフな格好だ。やわらかそうな素足が惜しげもなく晒されている。車内はシャワーの湿気とソープの香りで、どことなく甘くまったりとした空気になっていた。
撮影してショートに上げたら八〇万再生は固そうだな……真っ先にそんな考えが浮かび、Youtuberとしての思考が板についた自分自身に苦笑する。
「ね、ね、冷凍庫に残ってたアイス食べていい? 半分こできる奴だから、一緒に食べよ」
「今日の分の編集を頑張るって約束してくれたらいいよ」
「ん、せいいっぱい頑張りますっ」
ハルの言葉にミコトはぴっと敬礼。キャンピングカー備え付けの小型冷凍庫を漁り、瓶型容器のコーヒーシャーベットを取り出すと、パキンっと二つに割った。
「はい、ハルくんの分。キャップにこびり付いたやつ舐めていいよ」
「ベタすぎ、三〇点」
「ええ~、リアクション薄っ。それでもYoutuberか!」
「あいにく、食にはうるさいキャラで通ってるんだよ、僕は」
ハルがツッコむと、ミコトはくすぐったそうにはにかみ、今度はすんなりアイスを一本渡してくれた。
ミコトは自分のぶんのアイスをはくっと咥えて、キャンピングカーのデスクに腰を下ろした。
ぐいっと腕まくりをして、机の上のノートパソコンに向き合う。
「さて、ハルくんと約束しちゃったし、残りの作業も片付けちゃいますか」
「がんばれミコト。僕も、次の動画用のレシピと台本を用意しておくか」
ハルもコーヒーシャーベットを吸いながら、ノートPCを手に、いつもの定位置に。
ハルがいつも座るのは運転席だ。座席が回転できるようになっていて、車内側に回せばソファとして使用する事ができる。腰掛けて、膝に乗せたノートPCを立ち上げる。
ふと視線を上げれば、足を伸ばせばつっつけるくらいの距離感にミコトがいる。
咥えたアイスを口で弄びながら、動画編集ソフトに向き合っている。その表情は別人のように真剣そのものだ。
ミコトのそれは、好きなものに全力で打ち込めている時の顔だ。
ハルは、ミコトのそんな顔を見る度に、いつも自分の事のようにうれしさがこみ上げてくる。
ハルとミコトが出会ったのは、大学入学の頃。
「思い出に残るような楽しい事がしたい」という漠然とした思いから戸を叩いたアウトドア研究部。そこでハルは、まったく同じ考えで入部したミコトと出会った。
底抜けに明るく、リアクション豊かで、何をしても楽しく笑えるミコトは、すぐに部活に馴染んだ。先輩と壁も作らず、冗談にもよく笑い、それでいて根っこは真面目で気配りも聞く。ミコトは間違いなく部活の中心で、皆から好かれる人気者だった。誇張抜きで、男子は全員ミコトに惚れていたに違いない。
一方のハルはといえば、ミコトとは別方向で部内の人気者だった。
アウトドア研究部でキャンプ飯に出会ったハルは、料理にドハマりした。
部内でのキャンプに、休日のBBQ、毎日の自炊でも味の追求をし、創意工夫を凝らした料理で部内での大好評を獲得した。誇張抜きで、部員は全員ハルの料理の虜だったに違いない。
ミコトもまた、そんなハルの料理のファンだった。
そして、あくまでも趣味の範疇だったハルの料理好きを、将来の夢に変えた人でもある。
「わたし、どんなお店の料理より、ハルくんが目の前で作ってくれた料理が好きかも!」
「ハルくんの料理は、幸せの味がするねぇ。えへへ」
そんなミコトの笑顔が、ハルの心を強烈に揺り動かした。
ミコトのように、美味しい物を食べて綻ぶ顔が見たい──それが、ハルが料理人になる道を志すきっかけだった。
二人はそれからも、仲良しの部活メンバーとして大学生活を謳歌した。
レンタカーを借りて、富士五湖のキャンプ場を順番に巡る馬鹿みたいなツアーをやった。部室で一日中ゲームをして遊んだ。テスト期間に、他の友人の部屋に集まって夜なべして勉強した。
将来の夢を語り合った。夢に向き合う不安を打ち明け合い、君ならできると肩を叩き合ったりもした。
ハルは著名なレストランに弟子入り。ミコトは昔からの憧れだった映像系の会社に就職──互いに望んでいた進路を勝ち取った時は、抱き合って喜んだ。
二人きりでいる事はほとんど無かったが、いちばん長い時間を一緒に過ごした大親友。それが、ハルとミコトの関係性だった。
「またおいしいご飯を食べさせてよね、ミコト」
「うん。いつか自分のレストランを建てて、ミコトを招待するよ」
そう朗らかに笑いあって。二人は大学を卒業して別々の道を進んだ。
ミコトがブラック会社に心を壊されたと知ったのは、それから二年後の事だった。
ミコトから助けを求める電話があった日の事は、鮮明に覚えている。電話を受けたのは、レストランの仕込みに振り回され、へとへとになって帰ってきた午前一時の事だった。
『あ……やっほ。遅くにごめんね』
「ううん、今帰ってきた所だから気にしないで。久しぶりだね、ミコト。どうかした?」
『なんか、ふとハルくんの作る料理の事思い出して。元気してるかなって』
「元気だよ。大変だけど、それ以上にやりがいだらけ。将来はレストランを持って、ミコトを招待するって約束だからね……そっちはどう? おいしいもの食べられてる?」
「はは、おいしいものかぁ。昨日はね……」
「……ミコト?」
「昨日……昨日、何か食べたっけ?」
「……どうかしたの、大丈夫?」
「──────」
「ミコト……何か、あった?」
『──ごめん、やっぱ何でもない。本当にごめんなさい』
「待って、切らないで……ミコトの話、聞きたい」
『────────────』
「聞かせて。心の準備ができるまで、待ってるから」
ミコトはそれから長い間押し黙っていた。ハルは約束通りに辛抱強く待ち続け……一五分がたった頃、ミコトはひぐっとしゃくり上げ、それからわんわんと泣き出した。
新人いじめ。女性社員のやっかみ。乱暴な上司。ろくな指示もなく投げつけられる無理難題。セクハラ……泣きじゃくりながら語られる暴力の数々に、血管が沸騰するような怒りを抱いた事を覚えている。
家族にも友達にも、誰にも頼れなくて、藁にもすがる思いでハルに手を差しのばしたのだろう。その手を取れた事を、ハルは今でも誇らしく思っている。
ハルは事情を説明し、ようやく調理を任されるようになったレストランを辞めた。
ミコトの部屋を訪ね、信じられないほど汚れた部屋を片付け、温かいご飯を食べさせて。ミコトを傷つけた会社と真っ向から喧嘩して退職させて。
ミコトを自由の身へと解き放ったハルは、大学生時代にミコトと語らい合っていた夢を実行に移すことにした。
そうして二人は、一〇年ローンを組んでキャンピングカーを購入。美食と自由に包まれたキャンプ生活を始める事にしたのだった。
元々は、ブラック企業に潰されたミコトの心が元気になるようにと願ってはじめたキャンプ生活だった。
動画を撮り始めたのも、この楽しかった日々をいつでも思い出して、彼女の心の支えになればという、思い出作りでしかなかった。
それがまさか、月に数十万を稼ぐ仕事になるとは。
つくづく、人生というものは分からないものである。
Youtuberになるという選択は、元々テレビに憧れていたミコトにとっては、夢の再挑戦に等しかった。
沢山の試行錯誤と、それ以上の互いを理解し合う時間を経て……そうしてできあがったのが、いまの『ハルとミコトのなかよしキャンプ』だった。
ハルとミコトは、目指していた夢を一度諦めて、まるで大学生の延長のような楽しいひと時を過ごしている。
だが、二人はもう大学生ではないように。
いつまでも変わらない生活というものは、存在しないのが現実なのだった。
「このままじゃまずいのかなぁ」
PCをいじりながら、ハルはつい重たい声を漏らしていた。ミコトが編集の手を止めて振り返る。
「まずいって、なんの話?」
「動画の再生回数だよ。最近、目に見えて減ってる」
Youtuberとして生きている以上は、Youtuberとしての苦悩が付きまとう。
動画を投稿しても、再生数が以前のように伸びない。コメントの盛り上がりもどこか活気がない。
一時期は一〇〇万再生も珍しくはなかったのに、今では平均視聴数は一○万がせいぜいだ。
活動三年目を目前にして、『なかよしキャンプ』は視聴者に飽きられつつあった。
「このままじゃ視聴率は右肩下がりだ。何かバズる企画を出して注目を集めないと……!」
「んー、あんまり焦らなくてもいいんじゃないかなぁ」
唸るハルとは対照的に、ミコトはあっけらかんとしていた。咥えたコーヒーシャーベットの容器を口で弄ぶ。
「ファンの人は毎回動画を楽しんでくれてるし、収益は黒字で安定してるし。変に気を衒ってファンに幻滅されちゃう方が危なくない?」
「そうは言っても、視聴者は残酷なんだぞ。飽きられる時は一瞬。ぼーっとしてたらいつの間に収益赤字、なんて事もあり得るんだから」
「そのために、色々と動画外の案件も貰ってるじゃん。今のままでもしっかりやってるよ、わたし達は」
Youtuberが収入を得る手段は再生数だけではない。
たとえば、Youtuberは、今の時代ではとても優秀な広告塔だ。最新ゲームのPRとして、有名なゲーム実況者に先行で遊んで貰うという広告も最近では珍しくなくなっている。
『なかよしキャンプ』の動画でも、広告案件を取り扱っている。キャンプ用品ブランドからPR用に新品用具を譲って貰ったり、泊まったキャンプ場の近くの精肉店からお肉を貰ったり。動画スタイルに無理なく組み込める案件は幾つも取り扱っている。
その他にも『なかよしキャンプ』は、とある戦略的な広告を取っていた。
「はふ、会話したら集中途切れちゃった。甘い物補充したいかもー」
「……」
動画編集の手を止めてくつろぐミコト。
件の「戦略的な広告」は、彼女の上半身でこれ以上ないほどの存在感を醸し出していた。
「ミコト」
「なあに、ハルくん?」
「その案件Tシャツ、さすがに普段使いするのはやめない?」
そう言ってハルは、ミコトの上半身を指さした。
ミコトの着る白地のTシャツの真ん中には、アニメ調にデフォルメされた豚の顔と『ポークソテーのんびり』という文字が書かれている。
シャツにプリントされているのは、広告の案件を貰った企業のロゴだ。以前に泊まったキャンプ地の周辺でチェーン展開しているレストランからのPRの依頼を受けて作ったPRシャツだった。
しかし、ミコトが着ているシャツはやたらサイズが小さかった。健康的な肉付きをしたミコトの身体にぴっちり張り付き、微妙にお腹が隠し切れていない。中央にプリントされた豚さんの顔は、ミコトの持つ膨らみによって横に引き延ばされてパツパツになっていた。
「なんで着ちゃダメなの? 『のんびり』のプーテンちゃん、かわいくない?」
「や、キャラの名前とかかわいさは関係なくて。さすがにその格好は色々とマズいというか、目に毒というか……」
一度意識してしまうと、ミコトを直視する事も躊躇われ、ハルの視線はミコトのぴちぴちのシャツと虚空をうろうろと彷徨ってしまう。
これが『なかよしキャンプ』のもう一つの広告戦略、Tシャツ作戦だ。他動画から拝借したアイデアで、企業のロゴやマスコットキャラクターをプリントしたTシャツを着て動画を撮影する。
Tシャツを着るのは、大抵が女性。その際、Tシャツのサイズは一回りか二回り小さいサイズを着用して、身体のラインが出るようにするのが鉄則だ。
つまり、大きな胸で目を引かせる色仕掛け作戦だ。
最初にやろうと言いだしたのはミコトだ。ハルは最後まで渋っていたのだが、いざ初めてみると、これがどうしてお金になってしまうのだ。キャンピングカーのタンスには、広告のために作ったTシャツが二〇枚近く仕舞われている。
「Tシャツ作戦をはじめてから、再生数は伸びたし、広告の案件も途切れない。良いことずくめだね! いやあ我ながら天才的な思いつきしちゃったなー」
「良いことばかりじゃないよ……Tシャツを着始めてから、動画コメントの治安がほんのり悪くなってるんだから……タイムスタンプを付けて『助かる』とか『今日これ使うわ』みたいな下世話なコメントを何度削除したことか」
「わたしは別に、自分の強みを活かしてるって感じで気にしてないけどなー。というより、わたしはむしろ、ハルくんの感謝が足りない事が気になるけれど」
「感謝って……ミコトには相棒としていつも感謝してるだろ?」
「だーめー、全然足りない! ほれほれ、チャンネルを支える貴重な広告収入源様だぞ~、ミコトちゃんのFカップにもっと感謝を捧げたまえ~」
「ちょ、やめなさい! 寄せて上げない、にじり寄らない!」
ミコトが自分の豊かな膨らみをゆんっと持ち上げて迫って来るので、ハルは顔を真っ赤にさせて必死に押し留めさせた。
「そういう所、本当に良くないぞ。僕らは友達で、一緒に動画を撮影するパートナー関係なんだから」
「む……」
「お互いのプライベートを尊重する。この暮らしを始める前に約束したろ? ちゃんと守って貰わなきゃ困るよ」
そもそもハル達は、二年もキャンプ暮らしをする事は予想だにしていなかった。ミコトの癒やしと、楽しい思い出作りになればと、半年くらいの余暇と思って始めたのだ。
気まぐれに始めた動画がバズり、トントン拍子に今の状況まで進んでしまったが……六畳にも満たない空間で、同い年の女の子と共同生活だ。気にしない訳にもいかない。
シャワーを使う時は、もう一人は外に出ておく。ミコトが使っている後部側のベッドにハルは近付かない。食器や歯ブラシなどの日用品は色分けして混ざらないように──その他、健全な生活を送るために設定されたルールは様々ある。
「ヘンに意識して気まずくなれば、お互いの生活のためにならないだろ? ミコトも十分気を付けて欲しい」
「ちぇー、分かりましたよ。ハルくんはお固いなぁ」
「どちらかというと、ミコトがオープンすぎるんだよ……」
大学生時代も、ミコトは人との距離がやたら近かった。ボディタッチは当たり前、取り分けた料理をあーんして食べさせるような事を男女問わずやっていたような女の子だ。お陰で何人の男が彼女に心を奪われていたかしれない。
つまりは、胸を強調してすり寄ってくる程度は、ミコトにとってはじゃれ合いに過ぎないのだ。勘違いしてはいけない。ハルは深呼吸して自分に言い聞かせる。
「ふぅん……意識はするんだ」
「……いま、何か良くない事考えなかった?」
「ううん、別になにもー? ……ヨクナイコトジャナイモンネー」
最後の方、ハルには聞こえないくらいの音量でミコトが何かを言った。
その小声が、大きな欠伸に上書きされる。
「ふわぁぁ……あふ。ゴメン。さすがに眠気が限界。残りの編集は明日でいい?」
「もちろん、移動中の運転は僕に任せて」
ミコトは編集中のデータを保存し、ぐぃーと伸び。ミニサイズのTシャツがさらに引き延ばされ、ハルがさっと顔を逸らさせたのには気付かず、後部座席のベッドにもぞもぞと潜り込む。
キャンピングカーの後部は二段に分かれており、一段目は収納スペース、二段目はベッドになっている。カプセルホテルくらいの広さがあり、そこがミコトのプライベートスペースだ。ハルはキャンピングカー前部のソファを倒した簡易ベッドを寝床にしている。
「電気消しちゃうよー」
「了解」
息をするように何気ない会話を交わして、キャンピングカーの明かりが落ちる。
人里離れたキャンプ場。自然の只中で過ごす夜は、驚くほど暗く、静まりかえっている。
なんとなく目が冴えて、ハルは横になってからもしばらく、塗り潰されたみたいに黒い天井をぼうっと見上げていた。
「……サンルーフ付きの車にしておくべきだったな」
「あー、それすっごく素敵かも。DIYしちゃう? ドゥ・イット・ヨアセルフ」
「やめとくよ。改造したら保険適用できなくなるし」
「あはは、言い訳がリアルすぎ。そこはもうちょっと、ロマンある回答が欲しいな~」
カーテンで仕切られた後部座席からのミコトの声に応じる。
すぐ傍に親友の女の子がいるという安心感と、微かなドキドキ。
「キャンピングカー暮らしの最初の頃は、静かすぎて逆に眠れなかったよね。電気を消してからも、しばらくこうして話してたっけ」
「そうだね。途中から話のネタもなくなって、ずっとしりとりしてた」
「あったあった。しょーもなさが本当に大学生って感じで……そっか、もう二年も過ぎちゃったのかぁ」
ミコトの声が、夜の暗闇に響いて溶ける。
静まりかえった夜の暗闇に、ミコトの衣擦れの音がする。
「楽しく撮影して、ハルくんの美味しいご飯が食べられて……わたし、やっぱりこの生活が好きだなぁ」
「……」
「ずっとこのまま、のんびり暮らせたら最高だよね。ね、ハルくんもそう思うでしょ?」
「……思うよ」
ハルはそう返しながらも、胸の内に引っかかる物を無視できなかった。
ハルはスマホを取り出し、動画投稿サイトを開いた。
画面に広がるのは、ハルとミコトが笑顔で映った『なかよしキャンプ』のサムネイル群。
再生数は、ゆっくりと、けれど確実に、減り続けている。
「……やっぱり、何とか再生数を稼がないと」
ミコトに聞こえないくらいの小声で、ハルは自らの胸に言い聞かせる。
ハルだって、この生活が好きだ。ミコトが再び笑えるようになった事を誇りに感じているし、その笑顔を守ってあげたいとも願っている。
しかし、だからこそ。自分たちには再生数と、安定した収益が必要なのだ。
「バズりが必要だ……ワッと注目を集めるような、何か新しい事をしないと……」
つぶやきながら、ハルはゆっくりと目を閉じる。
それはまるで、長い年月をかけてこびり付いた油汚れのように。眠気に意識を溶かす最中でも、ハルはずっと、自分たちの将来の事を考えずにはいられなかった。
◇
二人のアウトドア系Youtuberが、自分達の将来に悩みながらものんびりと日々を過ごしていた時。
一方その頃、世界には未曾有の危機が押し寄せていた。
その災禍に直面したのは、霞ヶ関に居を構える行政機関の一つ、環境省。
管轄は自然の保全、地球環境の改善、生物の保護に、危険な生物の駆除。
省内の会議室では、平時ではありえない数の公人が詰めかけ、バケツをひっくり返したような大騒ぎとなっていた。
「問題の個体はまだ特定できないのか」
「ダメです。あまりにも神出鬼没な上に、発生場所は日本全国に及んでいます。特定のための情報が少なすぎます!」
「目撃情報のあった近隣の狩人組合との連携は」
「情報の拡散は控えるよう通達済みです。しかし、隠しておけるのは時間の問題かと……!」
矢継ぎ早に流れてくる厳しい状況報告を聞きながら、その場を統括する環境省局長は、眉間に深い皺を刻んで唸る。
「我が国以外でも同様の事例が報告されている。この異常は世界規模で発生しているらしい」
「局長、やはりここはいち早く国民に報せるべきでは……」
「ダメだ、悪戯に公表すれば、大きなパニックを招いてしまう! 我々にはこの国を守るためにも、まずは情報を集めて理解をする必要がある!」
局長はそう声を荒げると、会議室の正面に立ち、正面のホワイトボードを叩いた。
ホワイトボードには、拡大された画像が大きく張り出されていた。野生動物の観察用に山林中に配備された監視カメラの映像の一コマだ。
夜間の赤外線カメラで撮られた、粗いモノクロの映像だったが、そこに映っているものが異常な存在であることは、誰の目から見ても明らかだった。
木々を薙ぎ倒しながら突貫する、人よりも遙かに巨大な獣。
そして、その獣の背に乗る──甲冑を纏い、剣を振りかざす、人のような影。
「いいか、これを未曾有の生物災害の前兆と心得ろ! 民間人が出会ってしまう前に、何としても我々で、このモンスターどもの正体を突き止めるのだ!」
局長の発破を受けて、環境庁は更にペースを上げて情報の特定に駆け回る。
国の安全のためにも、一刻も早く、誰にも見つかる前に、画像に写った生物の正体を突き止めるために。
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