第1話 楽しい二人のキャンプ生活




 一〇月。秋の寒さも本格的になってくる頃。

 日本の某所。自然豊かなとあるキャンプ場。

 日が沈み、眩い月と満点の星々が輝く夜空の下で、二人の男女がキャンプをしていた。



 広げたアウトドアテーブルの上には、ほかほかと湯気が立つアウトドア飯が並んでいた。

 バターと一緒にアルミホイルで包んだ焼き野菜。

 オリーブオイルとレモン汁をベースにした手作りドレッシングで和えたサラダ。

 メインを飾るのは、ビーフストロガノフだ。大きな耐熱容器の真ん中を埋める、「でんっ」と効果音が付くくらいに大きな塊肉はいまにも崩れてしまいそうなほど柔らかく、秋の寒い夜空にほかほかと白い湯気を立てている。

 見るからに美味しそうな、趣向を凝らされた料理の数々。

 それらが広がるテーブルを前に、もこもこのアウトドア衣装の女の子がかわいらしい笑顔を見せていた。



「ここまでご視聴ありがとうございました。それでは、また次のキャンプ場でお会いしましょう~~~~ばいばいっ」


 明るく決めポーズをして、ぶんぶんと手を振る。

 そのポーズをしばらく撮影して、ハルはカメラから目を離し、一度大きく頷いた。



「──よし、全カット撮り終わり」

「ぷはぁ。終わったぁ~~!」

「お疲れ様、ミコト。今日もバッチリかわいく撮れてたよ」

「えへへ、ハルくんもお疲れ様。今日も鮮やかな包丁さばきだったよ。いえ~い」

「いえ~い」


 ミコトと呼ばれた女の子は、弾んだ足取りで近付き、ハルとハイタッチ。日が沈んだばかりのキャンプ上に、ぱちんっと音を響かせる。


「うぅ、やっぱり夜は寒いね~。そろそろ動画の衣装も衣替えだねぇ」

「コート用意してるよ、温かくして、風邪ひかないようにね。ご飯の前に焚火当たる?」

「ありがとうハルくん。でも焚火はやめとく。こんなに美味しそうな料理が目の前にあって、我慢できる訳ないからね!」



 ミコトはふんふん息を荒げながら、隣り合うように並べたキャンピングチェアに座り込んだ。

 ハルも自分のキャンピングチェアに腰掛け、持っていたスティックタイプのカメラをドリンクホルダーに挿した。



「ね、ね、撮影終わったよね? じゃあもう……やっちゃって、いいよね?」



 期待に揺れる目でこちらを見つめてくる様子は、誇張抜きで待てをされたワンコそのものだ。

 ハルの目には、お尻から生えた尻尾がちぎれんばかりにブンブン振られているのが見えている。

 もう待ってられない。そんな様子に、ハルは苦笑しながら頷いた。



「……よし」

「わーーい! 宴の始まりだぁーーーー!」



 喜びの声と共に、ミコトは傍らのクーラーボックスからハイボールの缶を取り出し、勢いよくぷしゅっと開け放った。ノータイムで唇を付け、吹き出てくる泡ごと豪快に喉を鳴らす。



「んく、んく……っぷっはあ~~~。やっぱコレですよコレコレぇ! お酒がなきゃ宴は始まらないってもんですよ!」

「今日は特に豪快だね。そんなに我慢してたの?」

「もちろん。なんなら一品目の焼き野菜から我慢してたから! 最初の味見から、口の中がハイボールを求めて猛抗議してたよ~」



 欲望を開放させたハイテンションで、ミコトは更にもう一口。喜びに痺れるみたいに全身をぶるるっと震わせる。



「それもこれも、ハルくんの料理が美味しすぎるのが悪い! ハルくんの料理は最高。びんびん敏腕の世界一! もはや罪。美味しすぎ罪で連行されるレベル!」

「量刑どんぐらいなの、それ」

「えへへ~。ミコトちゃん刑務所に、一生軟禁で~~す」

「あーあ、もう酔い回ってるよこの人」



 ミコトのほわほわ緩み切った雰囲気に、ハルも思わず笑顔がこぼれる。

 ミコトはキャンピングチェアに深く腰掛けたまま、腕だけを動かしてクーラーボックスからハイボール缶を探り当てると、はいっとハルに手渡した。



「ハルくんもどーぞ。冷めないうちに食べよ」

「ん。乾杯、ミコト」

「いえーい、わたし達の楽しいキャンピング生活に、乾杯~!」



 カコンっとアルミ缶を打ち鳴らし、ハルも一口。

 陽も沈みかけた夜更け。秋頃の屋外の肌寒さと開放感。ぱちぱち弾ける焚き火の音。

 カメラを回している時は動画の材料だったそれらが、ベールを剥がしたみたいに鮮やかにハルの五感を刺激する。

 やっぱり、キャンプはいい。やろうと思えば自宅のベッドでだろうと飲めてしまう、一本一五〇円程度のハイボール缶が、世界の何よりも特別な飲み物に変わるようだ。

 まさか、こんな生活をすることになるとは……アルコールの味を楽しみながら、ハルはしみじみとそう思う。









 『ハルとミコトのなかよしキャンプ』は、動画投稿を生業にする二人組のYoutuberだ。

 動画の企画と料理担当の男子、ハル。

 編集と賑やかし担当の女子、ミコト。

 一台のキャンピングカーで各地のキャンプ場を巡り、おいしい料理と一緒に焚き火を囲むアウトドア系のチャンネルだ。



 派手な盛り上がりや企画はしない、綺麗な自然の中で和やかにキャンプを楽しみ、料理を味わう。

 二人が投稿するのは、ただそれだけの素朴な動画だ。

 そんな二人がYoutuberとして人気になれたのは、やはり二人のキャラクターだろう。

 いつも明るく柔らかな笑顔で、画面に映るだけで見栄えする天真爛漫なかわいさを持つミコト。

 見た目こそ華のない普通の男子だが、レストランで修業を詰んだ一流の料理の腕を持つハル。

 大学生からの友達関係である二人が、大自然を背景に和気藹々としながら、味も見栄えも完璧な絶品料理を作って食べる動画は、動画視聴者から『現代で叶えられる最高の幸せ』と表現され、日々仕事や勉学に心をすり減らす視聴者の需要に見事に合致した。

 活動を開始して、現在三年目。チャンネル登録者数は四〇万人。

 動画の平均視聴数は安定して一〇万を超え、一部は一〇〇万再生も突破している。

 日々星の数ほどのYoutuberが産まれては消えていくこの世界で、胸を張って成功していると言える配信者だった。







 動画撮影の疲れをハイボールで洗い流しながら、ハルはふと隣に座ったミコトを見た。

 ふわりとカールしたセミボブの黒髪。ハムスターを思わせるぱっちり大きな目。自然なメイクも、オーバーサイズのジャケットもかわいく決まっている。

 カメラを切った後だというのに、まるでドラマの撮影現場に迷い込んでしまったような気分がする。

 そのぐらいに、ミコトは眩しい存在感を放っていた。

 そりゃ、動画の人気も出る訳だ──ミコトの整ったあどけない横顔を見つめるたびに、ハルはそう思わずにはいられない。

 そんな彼女は、視聴者を虜にしている小動物っぽい笑顔を浮かべて、ほくほくと湯気立つ小皿をハルに差し出した。



「はい、ハルくんの分のビーフストロガノフ。今日のお肉はね、もうヤバいよ。ハルくん史上最高傑作かも!」

「それを判断するのは、ふつう作った僕本人じゃない?」

「えへへ、二年もハルくんのご飯を食べてる私が言うんだよ? 間違いないって。はむっ」



 笑って、ミコトは大ぶりのビーフストロガノフを一口。その途端、ぺかーっと光を放つかのような満面の笑みに表情を蕩けさせる。



「んふ、ふふぅ~~~……しやわしぇのせのあしがすゆぅ~~」

「呂律回らなくなってるじゃん」

「ふぁっへ、ふぉのおにふひゃまるふぁへれふらってほうもふろろ」

「はいはい、もう意思疎通が不可能っぽいから、味わうことに集中しちゃって」



 思わず笑ってしまうが、内心では嬉しくってしょうがない。自分が作った料理でこんなに喜んでもらって、嬉しくない筈がない。

 ミコトは立て続けに二口三口とお肉を頬張り、ハイボールで流し込む。

 ぷはぁっと満足げに吐いた息が、秋の空に白い霧を浮かせた。夜が差し掛かった藍色の空には、既に満点の星々が灯っていた。街では味わえない、キャンプの特権とも言える。自然のもたらす絶景。



「はぁ~~、さいっこう……のんびりキャンプに、楽しく撮影。ハルくんの美味しい料理を毎日食べられて……人生で欲しいもの全部ここにあるって感じ」

「……」

「わたし達、いま世界でいっちばん幸せな生活してる。ね、ハルくんもそう思うよね」

「そうだね。僕も同じ気持ちだよ」



 ミコトの言葉に、そう微笑みを返して。

 ハルはドリンクホルダーに挿していたハンディカメラのスイッチを、今度こそオフにした。



「さて、と。プレミア会員用のオフショットの撮影も完了したし、僕も遠慮なく頂こうかな」

「え? ……ええ!? カメラ回してたの!? いつの間に!」

「そりゃ回すよ。ほろ酔いミコトは人気コンテンツだからね。っていうか、撮られるの何十回目だよ、さすがに学習しな?」

「ちょっと待って、ヤダ超恥ずかしいことばっかしてたじゃん、わたし!? もー、ハルくんの意地悪! いけず! おたんこなす! 編集の時テロップでめちゃめちゃ悪評乗っけてやるからなー!」

「あっはっは、ごめんって。ほら、たっぷり食べて機嫌直してよ」

「うぅぅ……いいもん。ハルくんの分まで食べて幸せ太りしてやるんだから~~!」



 そんな屈託のないやりとりを、焚き火のパチパチ弾ける音と一緒に開放的な夜空に溶かして。

 二人は今日も、何の危険もない大自然の中、なかよくキャンプをして過ごしていた。



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