第2話 たべものがなくなってくる
母の介護、病院通い、父の看病で瞬く間に一週間がすぎた。
すると、今度は買い置きしていたおかずがなくなってきた。
買い物に行けばいい。
と思うが、私も持病をもっていて、車は運転できないし、スーパーはとおく、その時点で買い物をして母の通院までやる体力がなかった。
私の持病もやっかいで、無理をすると動けなくなるばかりか、入院が必要になり、二、三か月出てこられなくなる難病だ。
もう助けをよぶしかない。
弟に電話し、たすけてください! と大きな声で助けを求めた。
少し弟と話しあい、文句と嫌味と愚痴を聞き流し、母の病院へ車をだしてもらい、スーパーへも車をだしてもらい、買い物をしてきた。
たしかに弟は家庭をもっているが、親の危機に文句と嫌味と愚痴を散々にいいながら車を運転しているというのは、どういう神経をしているのだろうか。うちの親は弟にたいして邪険にしたことはなかったし、弟の家庭の面倒もよくみていたのに、薄情である。弟がたすけてくれたのは、この一日だけだった。
でも、一週間分くらいの食料の買いだめができたので、とりあえず一安心だった。
朝、四時半ごろ起きて、朝食をつくり自分だけ食事をし、母が起きてくると着替え、入歯の面倒をみて、食事をさせ、その間に父の様子をうかがい、朝食をはこぶ。
父の様子は安定しているようだったので、わりと安心していた。
が、五日間の薬がきれたとき、が怖かった。コロナ六日目にすぐに今度は内科で父の代診を予約し、薬をもらってくる。咳止めがないというので、ちょっと距離のある薬局まで行って咳止めをもらいにいった。ついでに私と母のくすりも貰って来ようと思った。しかし、その日は冷たい雨がふっていた。車を運転できない私は、自転車にカッパで病院と薬局に行った。
高校生くらいなら、まだ体力もあるだろうけどさ。
あらフィフにはキツイよ。
そんなこんなで手にいれた薬は、コロナにはまったく効かないようだった。
その後三日、苦しそうな咳が夜中に聞こえてきて、水筒にお湯をもっていってあげたが、飲んでいる余裕なんて無かったとあとからきいた。
このころから父の熱はすこしずつあがってきていた。
母の感染症は私が必死に薬をつけていたので、おちついてきて、ころんでから二週間で口の裂傷は完治した。これは本当に大変だった。三食口をゆすがせ、クスリをつける。地味だが大変手間がかかった。
ちなみに、私的にやっておきたい仕事があったのだけど、一時ストップするしかなかった。
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