第13話


 ひとりで何も出来ないのは俺だった。水樹がいなくなって困るのは、俺だけだった。捜し出して、まして守ってやろうなど、おこがましいことだった。


 水樹が、水樹が、水樹が。思えば俺は、昔からそればかりだった。あいつの為に何が出来るのか、それを考えてやったことが、今まで一度でもあっただろうか。


 二人でいれば何とかなる、そういう俺の気楽さが、水樹を去らせてしまったのかもしれない。

 




 ――水樹がひょっこり帰ってきたのは、阿久津とのドライブから一年近く経ったころだ。


 コンビニから帰ってきたような調子で片手を挙げ、玄関から笑顔をのぞかせた。


「龍彦、ただいま」


 そのとき俺は夕飯の途中で、テイクアウトした牛丼をかきこんでいた。


「あれっ、おかえりは?」


 ついに幻覚が見えるようになったのかと思った。


「ただいま。おうい。お、か、え、り、だろ。言ってくれよ」

「おっ」

「うん?」

「お、お、くっ……うっ……」

「わあ! 泣くなよ! 口から米出てるよ!」

「お、おまえ……今までどこに……」

「あれ? 僕のこと、阿久津さんから聞いてるんじゃないの? 話はしてあるって言われてたんだけど」


 泣いた。涙も鼻水も止まらなかった。水樹は自分の意思で俺の元を去ったのだと割り切ろうとしていた。もう二度と会えないと思っていた。

 水樹はぐちゃぐちゃの俺の肩を抱き、ティッシュを顔に押しつけた。懐かしい体温。声を上げて泣いた。

 しばらくして落ち着くと頭痛が残った。夢に見るほど会いたかった顔は、ずっと笑っていた。


 水樹は全てを話してくれた。水樹からすると、俺がすでに知っていると思っていた話だったが。


 水樹は自ら頼み込み、阿久津の世話になっていた。スリがばれた日に言われたことを真に受け、稼げる仕事を紹介してもらうつもりだったという。

 そもそものきっかけは俺だった。将来がどうとか抜かして病み上がりの水樹に心配をかけた、あの朝のことが引っかかっていたらしい。


「いつかはスリじゃ食べれなくなる。僕は龍彦を安心させてあげたかったんだ」


 店の前に張り込んで何日目か、ようやくつかまえた阿久津には当然、突っぱねられたという。しつこくしたら、成人したら出直せと引っ叩かれたらしい。

 水樹は粘った。阿久津の後をつけ、奴の車をタクシーで追い、自宅を特定すると玄関に座り込んでハンストを決行した。

 三日目、ぐったりする水樹の頭に、ペットボトルの水が降り注いだ。顔を上げると残りを手渡された。あの阿久津が、折れたのだ。


 守秘義務に関する独自で物騒な書類にサインさせられ、住み込みも強制された。阿久津には嫌なら帰れと再三言われたらしいが、水樹は条件を飲んだ。冷たいことに俺としばらく会えなくなることは気にしなかったという。俺との将来を考えた水樹なりのベストであり、悪気はない。こういう奴なのだ。


「阿久津さんて見かけによらず堅い人なんだよ。何か手伝おうにも二言目には『このガキが』ってそればっかり。結局ありつけたのは掃除だけ。とはいってもヤクザの事務所だからね。ときどき部屋の中が、台風が通ったあとみたいな有様になる。それを完璧に原状復帰すること。それが与えられた仕事だった」

「ひと言連絡してくれたら」

「信用されてたわけじゃないからね。携帯なんか取り上げられちゃったよ。あ、そんな顔しないで。組員のお兄さんたちは、みんな優しかったから。それに阿久津さん、龍彦に伝えたって言ってたから、それならまあいいかって。でも、なんで嘘ついたんだろう」


 奴から教えられたのは大人を舐めるなということだけだ。軽率に弟などかたらず、誠意を持って助けを求めたら、こんなことにはならなかったのかもしれない。


 水樹が帰ってきた理由はいたってシンプルだ。事務所の移転が決まったから。将来的には阿久津自身も引っ越すらしい。


「それに仕事も完璧にこなせるようになったんだよ。あの手の掃除はモデルハウスみたいにピカピカにすればいいってわけじゃない。元々の気配を壊さず、新しい汚れや小さな違和感だけを落とすって、なかなか難しいんだ。ついでにと思ってデスクの上を整とんしたら、後で死ぬほど怒られたもん」


 水樹のお掃除スキルなど興味がない。いつかは阿久津がこの街から消える。それを聞いて安心していた。


 たった一度の過ちで手痛い仕返しをくらったのだ。阿久津からすれば取るに足りないことだろうが、あいつにはもう二度と会いたくない。


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