第11話

 平日の深夜、繁華街に人はまばらだ。仕事場をまわり、いないことを確認した。あの水樹がこの状況で仕事など、しているわけなかった。

 最後にひとつ、思い当たる場所がある。俺達のスリを見抜いた、あのヤクザの店だ。街中に水樹の姿が見当たらず、奴のところにいるのは確信に変わりつつあった。


 人通りのない夜道は、影のような客引きばかりが目立つ。店の前には、あの日と同じ黒服が立っていた。


「あっお兄さん! クラブアンクっす! すぐご案内しますよ!」


 スリ師は役者だ。何度目だろうと初対面を演じられる。仕事用の服装は派手なものでそろえ、普段着は地味なものしか着ない。声を変え、顔つきを変え、内からにじむ雰囲気を変えるのは、俺の特技だ。だが、素で喋ることには苦手意識がある。


「あの、店長さんいますか」

「オレっす。雇われの代理店長っすけど」

「えっと、もっと偉い人は……」


 言った直後、失礼だったと気付いた。引っ込みもつかない。どっと汗をかいたが、気さくな黒服は少しも気にせず俺に向き合った。


「代表のこと? うちのグループまとめてる人。忙しい人だから、毎日は現場に来ないっすよ」

「先週の金曜に見かけた気がして。背が高くて、顔が厳ついヤクザみたいな男」

「そうそう。あの人怒るとめちゃ怖いんだよ」

「俺、弟なんです。兄に会いたくて」

「え! 阿久津さん、弟がいたの!?」


 黒服は大声でそう叫ぶと、大袈裟にのけぞり手に持っていた携帯電話を落とした。爆発するようなリアクションには驚かされたが、分かる気がした。阿久津と呼ばれるあの男は、いかにも天涯孤独のような顔をしていた。俺には少しも似ていなかった。


「会いたいんです。連絡先教えてもらえませんか」

「ちょちょちょ、ちょっと待って。俺が話通してやるから」


 わたわたと携帯電話を拾い、すぐにダイヤルするかと思えば煙草に火を付けた。たった三口だけ吸って、携帯灰皿に入れた。それは儀式めいていて、阿久津への電話が緊張を伴うのだと想像した。

 黒服は「ちょっと待ってな」と言い、電話を耳に当てた。夜職は懐が深い。見た目や偏見で判断せず、誰でも人間扱いをしてくれる。


「――もしもし、トラっす。阿久津さん、アンクに弟さん来てるっすよ。――いや、入れてません。店前で声かけられて。電話かわりますか? ――はい、はい、了解っす」


 電話を終えた黒服は、新しい煙草に火を付け、今度は味わうように深々と吸い込んだ。

 俺に一本差し出し、咥えると慣れた手つきで火を付けてくれた。煙草は嫌いじゃない。水樹が嫌がるから吸わないだけだ。


「阿久津さん、迎えにくるってよ。いやあ弟か。マジびっくりだぜ。写メ撮っていい?」

「やめてください」

「なあ、あの人ってさ、昔からああいう感じなの?」

「ああいう感じって?」

「気に入らねえ奴は全員ぶっ殺すみたいな顔してんのに、結構情に厚いじゃん。もしかしてジジババに育てられたクチ?」

「あ、さあ。生き別れなんで」

「ふうん」


 煙草をぷかぷかやりながら、黒服の愚痴や雑談を聞いた。俺は上司の弟なわけで、気を使われていたのかもしれない。でも、だらだらと黒服と話しているうちに、張り詰めていた気のゆるみを感じた。俺には友達がいない。友達ってこういう感じかもしれないと思った。


「あ、この音は」


 遠くから重みのあるエンジン音が響いてきた。黒服が見やった方向を見る。戦場を彷彿とさせるどっしりとした車が、大きな動物のようにゆったりと現れた。

 パッシングされ、はっとする。セダンでもフルスモークではないことに、安心している自分がいた。


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