第11話

 早朝、キイが出て行く気配で目が覚めた。帰宅を面倒がり泊まっていったのだ。一応、彼の自宅だから私が泊めてもらったという方が正しいのだが、入居時のままで放置された生活感のない部屋は、誰かのものという掴みどころがない。


 外は薄らと明るくなっている。時間を知ろうとスマホを手に取った。公衆電話からの留守電が一件あり、再生すると案の定、ヨンの固い声が吹き込まれていた。


『花壇』


 たった一秒のメッセージ。この一言に全てが詰まっている。これからキイが黙らせるか、なんなら始末してくれればもっといいのだが、ただの鍵師にお掃除まで期待するのは無理がある。


 ここにいれば安全だろうが、いつまでも留まるわけにはいかない。敵に急所をむき出しにしたまま逃げているのだ。

 ガーゼを変えるために確認した首の傷は、無理に動かさなければおそらく問題ない。体制を立て直し、連絡を待った。

 キイが用意した菓子パンを食べ、水道水を手ですくって飲んだ。やることがなくなるとそわそわとし、窓から外の様子を見たりした。花の様子が気になって携帯電話が手放せず、やはり自分で行くべきだったと後悔し始めたころ、ヨンから着信が入った。今度は警察ではなく、スリ師のときの声だった。


「おい勘弁しろよ」

「伝言は聞いたからしら」

「良い友達を持ったんだな。そんでもって食えねえ。いつの間にかホルスターの銃を抜かれた上、花壇の前に座り込んで動かない。こっちは違法捜査だからなすすべ無し。手癖の悪さはお前以上だよ。こいつをどけてくれ」


 ヨンの声は楽しそうだった。

 鍵師の行動力を意外に思った後、昔のことを思い出した。キイは時々、仕事で困ると無茶をして恋人を困らせることがあった。


「なぜ私に近付いたの」

「教えてやるからお前が来い」  

「私を逮捕したら、花はどうするの」

「大人しく捕まれば、その間は俺が面倒見てやる」

「私を捕らえる理由は何。容疑は。どうして今なの」

「お前、ずいぶんと娑婆に未練があるんだな」

「自分でもびっくりよ」

「なら謝罪しなきゃならねえな。昨日、部下が投げたフルーツナイフが当たったろ。あいつ、お前に恨みがあるんだ。どれのことだか分からねえだろうが、お前が過去に振るった暴力が自分に返ってきたってことだよ。ま、正義の味方がしていいことじゃねえし、詫びに今日は勘弁してやる。明日、お前一人で来い。もしまたこいつを寄こしたら、二人ともぶちこむからな。そのときはいよいよ、花壇をひっくり返す。言いたかねえが俺は結構短気なんだよ。脅しだと思うならやってみればいい。じゃあな」


 頭にくる物言いだったが、花の命の保証がされた。つかの間ほっとして、また思い悩んだ。結局は問題を先延ばしにしただけだ。出来ることを探さなければ……いや、私に出来ることなど、最初から一つしかない。

 新着メールを知らせる音。キイからだ。


『覚悟を決めなよ』


 その通りだった。


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