第6話

 翌朝、少しだけ震える指でかけた電話はワンコールで繋がった。スマホから聞こえる男の声からは感情が読み取れない。乱暴な言葉遣いの自然さが、取って付けたようで逆に不自然だった。自己紹介も前置きもなかった。


「仕事をしよう。俺がおびき出す、お前が脅す。断ったらどうなるかは鍵師から聞いてるよな」

「誰なの。私は何も預かってない。取られて困るものなんてないわ」

「そんなこと言うなよ。エスが泣くぜ」

「なぜ彼を知ってるの」

「とにかく一度会おう。花に水はやったか?」


 返事を待たず電話が切られ、次の瞬間、インターホンが鳴った。目眩をこらえて部屋を見渡し、部屋干しの下着をクローゼットに投げ込んだ。ピッキングはキイの専売特許だ。洗っていないカップには目をつぶり、内側から鍵を開けた。


「おはよう」


 ドアの隙間から煙のように入ってきた男は、大衆雑誌を真似たような服装に身を包み、体型は横も縦も平均的に見えた。年齢不詳で顔のバランスは妙に整いすぎている。パーツを左右対称に調節したのだろう。変装が得意で面に面を重ねるスリ師達の素顔は印象に残りにくく、それが彼らの特徴ともいえる。


「コーヒーくらい飲ませてくれよ」


 外見はソリッドだが、言葉遣いには洗練のかけらもない。マイペースでひょうひょうとした振る舞いには、こちらがイライラしてもむだだと思わされた。


 キッチンに立ち、湯を沸かすため袖をまくると、いつの間にかあの夜すられた腕時計が手首に巻き付いていて、こめかみの血管がぴくついた。


「一体何なのよ」

「うまい話なんだ。監禁して脅迫しよう。誘拐は任せてくれ」

「初対面のセリフじゃないわね」

「エスとは仲良かったんだぜ」

「軽々しく彼の名を呼ばないで」

「じゃあ水樹と呼ぼうか」


 みずき。恋人の最初の本名だ。戸籍上は変更しているし、仕事ではエスを貫いた。長年相棒だったキイすら知らない過去の名前だ。


「おっかねえ顔すんなよ。美人ににらまれると立っちまう。おい、ポケットから手え出せ。警戒すんな。エスとは昔、一緒に仕事したことがあるんだ。ペアの素性は調べ上げる主義でね。今はただの、しがないスリ師だよ」

「今すぐ帰るか、エスの魂とやらを教えるか。後者の場合、悪ふざけなら許さない」


 スリ師は映画の外国人のように肩をすくめ、もったいぶってみせた。


「庭に花壇があるよな」

「お好きならどうぞ」

「強がるなよ。花壇を掘り返されると、都合が悪いはずだ」

「別に。世話はただの習慣よ」

「あ、そう。じゃあ踏み荒らして帰ろうっと。俺は綺麗なモノが嫌いなんでね。特によく手入れされた花壇なんかを見ると、うずうずしてたまらない」

「殺す」

「決まりだな」


 私はまた人を殴るのだろうか。エスの魂、なるほど、花か。私はそれを腕時計のように見捨てられない。恋人の聖域は、私の弱点になったのだ。わずらわしい。これだからいきものは嫌いなのだ。


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