第5話

 キイの仕事は早かった。ああは言ったが好奇心も手伝ったのだろう。その日の夜、食後の紅茶を飲んでいると電話がかかってきた。


「エスから何か預かってる?」

「なんですって」


 色白で冷え性の恋人はエスと呼ばれていた。若い頃の名残であり、このくだらない由来はキイも知らない。


「開口一番、あいつの魂を守りたいかって聞かれた。不快な冗談だ。気持ち悪い野郎だと思ってそう言ってやったよ。まあ置いといて、エスの魂に相当する何かを君が持っているらしい」

「思い当たらないわ。何のことかしら」

「守りたいなら、電話しろってさ。ほら、だから自分でかけろって言ったのに。人任せにするから結局遠回りになるんだ」

「あのスリ師、キイを巻き込んだのは正解だったわね。それを言われなければ永遠に無視してたもの」


 舌打ちのあとに続くキイの言葉は私の耳に届かなかった。思考を置き去りに指がスリ師の番号を入力し、ダイヤルしかけたが、理性がスマホを放らせた。もう二十二時だったからだ。こんな時間に喧嘩を売られたら壁の穴をぶち抜いてしまう。それに恋人を出されるとは思いもしなかった。彼が絡むのなら尚更冷静になる必要がある。

 

 魂、か。目に見えず、非科学的な響きをはらんでいる。信じる神を持たない私には縁遠い概念だ。墓に手を合わせようが仏壇を蹴り飛ばそうが、死んだ人間は帰ってこない。それに死者といつかまた会えると望むには、私は罪を犯しすぎている。つまり命が消えればそれで終わりなのだ。そして私は恋人の死体をこの目で見た。

 何を求めてのことか知らないが、死人を引っ張り出すとはなかなか趣味が良い。


 一口しか飲んでいない紅茶は手の中で冷めてしまった。淹れ直す気力もなく、この世の全てが夢であれと祈りながらテーブルに突っ伏した。二度と目覚めなくても構わないと思った。

 このまま眠ってしまおうと時計の針の音を数え続けていると、空気の動きを感じた。顔を上げると一輪挿しの花の頭がコロリと落ちていた。今朝、子供に捨てられたあの花だ。迷信のたぐいは信じないが、タイミングが悪く眉間にしわを寄せてしまう。みずみずしさの残る花を捨て、グラスとカップをシンクに入れた。


 もやもやとした居心地の悪さを感じ、さっさと電話をかけてしまうべきだったと後悔がもう二十三時。殺し屋以外は寝る時間だ。肌にも悪い。


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