第4話
翌朝も花壇の前に立つ子供に花を差し出した。待てど暮らせど目が合わず、足もとを見つめて微動だにしない。らちがあかず、花を握らせようと手を取った。小さな拳を開かせると、レシートのゴミにしか見えない丸まった紙を持っていて、花の代わりに受け取った。すると子供は顔を上げ、花を放り出して走り去った。まさに一目散、といった様子を不可解に思い、投げ捨てられた花を拾って家に入った。
花を飾る趣味はないが新鮮なそれは捨てにくく、フルートグラスに水を入れて一輪挿しにした。キッチンに来たついでにトラッシュボックスのペダルを踏み、子供から受け取ったゴミを捨てかけた。小さな興味が湧き、丸まった紙を開くと、内容を見たことを後悔した。既視感のある数字が並んでいたのだ。
スマホのダイヤルを開き、暗記していたキイの番号を入力した。ツーコール、リダイヤル。電話嫌いの友人に仲間だと知らせる、懐かしい合図。
「もしもし」
「キイ、キャッシュカードは?」
「昨日、あの後少し調べたんだ。変なスリ師の情報はなし。でも最近、掟知らずの外国人グループが出てきたらしいよ。ま、すられたのは偽造カードだし、もう気にしてない」
「今朝、登校班のひとりがあの番号の紙を持ってきたの」
「投稿犯?」
「近所の小学生よ。あのスリ師、用事があるのは私の方みたい。ねえ、キイ」
「ええっ。君、昨日は乗り気じゃなかったじゃないか。僕もう面倒くさいよ。電話くらい、自分でかけなよ」
「放っておいたらどうせまたあなたのところにも現れる。遅かれ早かれなら先に済ませましょう。鬱陶しいわ」
「だから昨日かけようかって言ったのに。タイミングは任せてくれよな。気楽な隠居生活者と違って忙しいんだから」
昨日まで開店休業だった気まぐれな鍵師は文句を言いながらも了承し電話を切った。
キイをまとう緊張感がなくなり、言葉づかいが砕けてきた。火葬場で別れ、一年ぶりに会ったのが昨日、そして今の電話。個人主義者同士が溝を埋めるには十分だ。そもそも恋人が死ぬ前は酒を飲む仲だった。疑り深いのはお互い様だし、今でも友人と呼んでいいのかもしれない。
コーヒーの湯を沸かそうとコンロに火を付けた。番号の紙を近付けると、あっという間に燃え移り、シンクに放った。一瞬だけ高く上った火はすぐに小さくなり、黒いカスが残った。インクの焼けた臭いを不快に思い、蛇口を全開にした。
――水がもったいないよ
正確な記憶が私に話しかける。どこかで馬鹿な私を見ているのだろうか。
恋人のいない家は、いつも少し寒い。
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