第2話 底辺高校での日々

 転校先の高校は大分県のとある山間部にある不登校児を受け入れが売りの私立高校だった。前に在籍していた高校の制服を着たまま、その高校へ体験入学したとき、その高校は地元の国立大学に行けるだけの受験勉強を約束した。追い詰められた私はその高校の転校へ縋るしかなく、日大高校をその年の11月、転校した。

 

 転校してみてその高校の勉強内容に不信感を覚えた。全くと言っていいほど勉強しなかったからだ。数学も国語も小学校で習った範囲を授業中で習ったときはさすがに驚いた。生徒の大半が小中時代、不登校だったから当たり前と言えば当たり前かもしれない。あまりもののレベルの低さに私は裏切られた、と思った。

 

 先生に高校の勉強の範囲が描かれてある課題のプリントを申し出ても学校側は単位を認めるためには小学生レベルの問題を解かないと認めない、と言い出した。私は国立大学の受験のために転校したのに、こんな場違いな勉強をするためにわざわざ高いお金を払って転校を選択したわけじゃない。簡単すぎる問題を渡されて自尊心は傷ついた。

 

 高校は高校の勉強を教えてくれない。追い詰められた私は閉鎖病棟で数学Aと数学Ⅱの勉強を独学で勉強した。先生からほとんど教えてもらわず、教科書をわざわざ買い、参考書を頼りに数学を独りで勉強し、数学の先生に添削してもらった。不思議なことに数学は苦手だったのに三角関数などの問題の答えはほとんど正解だった。火事場のバカ力ではないが苦手な分野も窮地に陥ると実力以上の結果を発揮するのかもしれない。それなのに先生はそんな私に筆算のプリントを渡し、これを解かないと単位を認められない、と言った。この間に私は全日制から単位制、通信制へと転科させられている。居場所だけでも1年の間に何度も変わっている。

 

 最悪だったのは授業を抜け出して、全校生徒でゲームセンターに行かないと単位を認めてくれなかったことだった。勉強したくて学校に行っているのに何で、ゲームセンターにわざわざ行かなければいけないのだろう。しかも、学校の先生たちが生徒を出来ない、とバカにし、生徒の中からついに自死者が出た。学校から何度も裏切られ、私はこの間にも閉鎖病棟に入院している。不思議なことに勉強しているときだけは解離性障害の症状も出ず、落ち着いていられた。そんなささやかな希望さえも当時の大人たちから私は奪われた。

 

 裏切られ、私は母と『こんな学校の体制が杜撰な学校は辞めたほうがいい』と決断し、泣く泣く高校を中退した。高校3年生の5月のことだった。それから1年間、私は閉鎖病棟に入院している。この頃の記憶は解離性障害のため、ほとんど覚えていない。ひたすら閉鎖病棟に入院してたくさん泣いたのは覚えているがもし、他の少年少女が私のような目に遭ったら死を選んでいる、と当時の主治医は悲痛な眼で答えた。

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