このままなら東京大学も夢じゃない、と先生に言われたのに高校を5回も変わった話

詩歩子

第1話 東大だって夢じゃないと言われたのに……。

 15歳の頃、高校1年生のときに受けた河合塾主催の全国統一模試で高い偏差値を叩き出した。が、その頃の私はメンタル面が悪く、いつ倒れてもおかしくない状況だった。進学校でも成績は悪くなく、優等生だった私だった。当時の三者面談で担任の先生から『今でも九州大学は射程圏内、このまま成績が上がれば東大や京大も夢ではない』と高揚しながら言われたのにその後、私は転科を含めて5回高校を転々とする羽目になる。しかも、先生から『うちの学校を11月までに転校してね。じゃないと強制退学させるよ』と言われるのだから。

 

まさに黒歴史。いや、黒歴史というより悲惨歴史のほうがしっくりくるかもしれない。黒歴史というほど冗談に満ちた笑い話ではなく、他の高校生の子だったら絶対に自殺してもおかしくないような目に遭ってきたからだ。

 


その頃の私は解離性障害を発症していた。解離性障害とは自分の意識や記憶が曖昧になる精神疾患で大きなトラウマがあると発症すると言われている。学校には何とか行けていてもあの頃の記憶は曖昧であまり覚えていない。ただひたすらにつらかったのは覚えているが細かい記憶はあまり覚えていない。

 

  精神科を受診し、私は高校1年生のときに閉鎖病棟に入院している。それでも、成績は良かったから模試を受けても高い偏差値を打ち出していた。記憶が曖昧になる病気なのになぜ、成績は悪くなかったのか、それは私自身も分からないが、解離性障害は思考力や文章作成能力には支障がないとされている。ただ日常生活を送る際の細かな記憶に支障をきたす。勉強をする際の能力は阻害されない。

 

成績は悪くなかったのに解離性障害を発症した私を学校はあまり快く受け入られなかった。しかも、閉鎖病棟に入院していたし、学校側は特別進学科から同じ学校内の別の学科へ転科するよう勧めた。高校1年生の途中で私は1回目の居場所を変更した。半ば強制的に。


 転科した先の学科は芸術学科だった。私が通っていた学校は中高一貫校なのだが中学時代の美術の成績は悪くなく、学校側が提出したコンクールなどで何度か入選したこともあった。転科を受け入れた母がそんな私の状況を鑑みての芸術学科での転科だったのだが残念ながら私には合わなかった。芸術学科の絵のレベルが中学時代とは比べ物にならないほどハイレベルだったからだ。

 

デッサンも過酷でただ単に絵を描くのが好きなだけでは到底太刀打ちできないほど難しい。当時、卒業生には二科展の大賞を最年少で入選した先輩もいたくらいだから学校側のレベルの要求も半端なかった。

 

そんな芸術エリートのいる学校に馴染めるはずもなく、学科長の先生から『女子高校生としての死体の価値がない』と暴言を言われ、暗に学校を転校するよう叱責された。『11月までに転校の手続きを踏まないと強制退学の処分をするよ』と脅され、それを鵜呑みにした私は不登校にもなっていないにもかかわらず、親に『転校できないか』と懇願した。母やびっくりはしていたものの、私が事情を言わずに懇願するものだから事態を深刻に見た母は慌てて転校先の高校を探し、私は入学したばかりのその高校を転校した。その期間はわずか一週間足らずだった。

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