第34話無情な現実 sideウィリアム

sideウィリアム




「来たか、ウィリアム」


室長に呼ばれ、重い足取りで室長室の扉を開けた。そこには、すっかりやつれた室長の姿があった。以前の威厳は消え失せ、疲れ切った表情が彼の置かれている状況を物語っている。


部屋に目をやると、普段あったはずの書類や薬品の瓶が見当たらない。妙に殺風景だ。


まさか…辞めるのか?上級ポーション作りがうまくいっていないという噂は耳にしていたが…。



「今日、呼んだのは、お前の人事についてだ」


「人事ですか?」


胸の奥がざわつく。やはり、あの部門は解散されるのか。ソフィアも休職後、たった1日来ただけで、また来なくなってしまったからな。どこかで覚悟はしていたが、現実となると気が重い。




「その前に、話しておかなければならないことがある。私は、明日をもってこの職を辞することになった。理由は、室長として正しい判断ができなかったこと、部下の指導が不十分だったこと、そして上級ポーションが完成しなかったこと。まあ、そんなところだ」


やはりか。責任を取らされるのだな。苦しい気持ちを押し隠しながら言葉を探した。



「室長…何て言えばいいのか…」


「気を遣うな。むしろ、私は、お前に謝らなければならないんだ」



謝る?思いもよらない言葉に、眉をひそめた。



「何を、ですか?」


「実はな、私とお前は共に北の男子修道院へ、宮廷薬師派遣という名目の異動命令が出ていた。しかし、私は家族がいる。あんな過酷な地に連れて行くことはできないし、一人で行く勇気もない。それで辞めて、妻の実家のある土地へ引っ越すことにしたのだ。王都では、私の顔が知られているから、噂が憶測を呼んで、薬師としてはもうやっていけないだろう。だから、お前には悪いが、北の修道院へは一人で行くことになる」


「ちょ、ちょっと待ってください!俺が何の責任を取るんですか?」



言葉が追いつかない。急にそんな話をされても、心の整理がつかない。



「ソフィアもここを辞めて、異国へ嫁ぐことになった。ソフィアは主任だが、お前も副主任だ。責任を取らなくていいわけがない。せめて、頼まれていた品を完成させていれば、こんなことにはならなかったかもしれないが…」



ソフィアが結婚?なんでそんな急に…逃げたのか?何も聞いていない。




「…それなら、私も辞めます。北の修道院なんて行きたくありません。この王都で、店に雇ってもらって薬師として働けばいいんです。私は顔をあまり知られていませんし、責任の大きさが違いますから」



元宮廷薬師という肩書きがあれば、就職先などすぐに見つかる。平民だったため、巻き込まれて辞めた。そう言えば、何も問題ないはずだ。


しかし、室長は首をゆっくりと横に振った。



「無理だ。私やソフィアは貴族だが、お前は平民だろう?宮廷薬師になる際、私たちと違って誓いの書にサインをしたはずだ」


「誓いの書?ああ、あの『国に忠誠を誓う』という書類ですか?それが何だっていうんですか?」



なんとなく記憶に残るあの書類のことを思い出した。国に忠誠を誓い、身命を賭して職務にあたるという内容だった。だが、その意図までは深く考えていなかった。



「説明をよく聞いていなかったのか?あれは、国の命令は絶対であり、辞めることなどできないという意味だ。技術が外部に流出するのを防ぐ意図も含まれている。誓いの書に書かれている決められた退職年齢まで、死ぬか、何か大きな罪を犯して罪人にならなければ、辞めることは不可能だ。諦めろ」



耳を疑う言葉に、愕然とした。あの時、誓いの書にサインをしたのは、一生宮廷薬師として保証されるためのものだと信じていたからだ。それがまさか、逃げ場のない檻となるとは…。


待てよ、じゃあそもそも俺は首になんてならなかったということか?もしや、一人辞めるという噂も貴族の宮廷薬師がってことか?そうだ、なんで気付かなかった。夜勤まである皆と俺とでは給料が全然違う…




「私たちは、フローリアの宮廷薬師としての夢を踏みにじったんだ。例え、あの時は最善だと疑わなかったとしても…。因果応報だな」



因果応報…



その言葉が心に深く突き刺さった。自分たちの過去の選択が、今まさに報いとして降りかかっているのだと、痛感した。思い描いた未来の予定が崩れ去り、冷酷な現実が突きつけられる。その中で、ただただ呆然とするしかなかった。



目の前に広がる無情な現実。あの誓いの書が、ただの言葉でなく、人生を束縛する鎖となってしまった。



もはや、もがくこともできない自分を嘆くしかなかった。



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