第32話真紅の薔薇
異様な雰囲気になったのを感じているのか、ソフィアは何か言いたそうにしているが、何も言えないでいる。
エドモンド様やサラ、レオさんたちが味方してくれたことに、心が温かくなり、さっきまで一人で戦っていた気持ちが薄れていく。
涙がこぼれ始めた。今度は嬉しさのあまりだった。
「フローリア、こんなに泣いちゃって…。眼鏡が曇っているじゃない。ほらこれを使って?」
サラが優しくハンカチを差し出してくれた。
「あ、ありがとう」
眼鏡をはずし、涙をぬぐった。
「うわぁぁぁ!」
エドモンド様が、急に慌てたように叫んだ。え?どうしたの?びっくりして思わず、涙が止まる。
隣にいたエドモンド様が、私を隠すように前に立つ。不思議に思い、エドモンド様の背から前を覗き込むと、呆然としている人、顔が赤い人、口を大きく開け私の顔をじっと見ている人たちがいた…サラもソフィアも口元に手を当て、目を見開いている。
え?何が起こっているの?状況がまるで理解できない。
「お、俺と、フローリアは今から、だ、団長と話をしてくる。いいか、さっき言ったことへ苦情がある者は俺か団長に言うように!あ、ソフィア嬢、今日中に荷物の整理をして戻ってくれ。じゃあ、フローリア行くぞ!」
エドモンド様に手を引かれ、部屋から出る。もしかして、泣いていたから場所を変えようとしてくれているのかしら。あら?こっちは団長室の方角ではないわね。
「エドモンド様、団長室はあちらでは?」
無言で進むエドモンド様に声をかけた。
「あっ!ああ、すまない、ただあそこから連れ出したかっただけだから、団長には用事がない。それに、フローリア。さっきの件は団長の許可はもう通してある。どのような結果でも、フローリアの考えを尊重すると」
エドモンド様は、歩みを止めずにそうおっしゃった。団長が?ソフィアのお試しを許可したと聞いた時から少し嫌な気持ちで、何なら少し恨んでいたのだが、私のことを考えてくれていたなんて…心の中で詫びる。
気が付けば、2人で王宮の庭に足を踏み入れていた。薔薇が風に揺れ、美しい香りを漂わせている。ここに来たのは久しぶりだったが、侍女長様が「薔薇が見頃よ」と教えてくれていたのを思い出す。
「フローリア覚えているか?ここで初めて会った時のことを」
「ええ、もちろんです。私はここで救われました」
私は笑顔で答えた。
「はは、俺も救われたがな」
「最初に、情けない姿を見せてしまったことを悔やんでいるが、あれがなかったらフローリアから声をかけられることもなかっただろう」
彼の視線が柔らかく、優しい光を帯びている。2人で、ベンチに並んで座った。ふと、エドモンド様が静かに口を開いた。
「…この場所で、目的を失って気力が湧かない、そう言ってフローリアは泣いた…。だから、宮廷薬師として目的が、高い目標があったのかとずっとそう思っていた。俺らに遠慮して、戻らないって言っているのかと…悪かったフローリア」
「い、いいえ。これは私の問題だったのです。いつも、結局、仕方ないと諦めてしまっていた私の…」
助けてもらったけど、今回は、今までで一番頑張れた。
「なあ、フローリア。願いは、あれでよかったのか?」
「あっ!…あんな言い方、ずうずうしかったですよね。まさか、聞いてもらえるなんて思っていませんでした」
笑みを浮かべながらも、ほんの少し不安を感じていた。自分の願いがあまりにも身勝手だったのではないかと、心の奥に小さな罪悪感が残っている。
しかし、エドモンド様は軽く首を振りながら、すぐに否定した。
「いや、俺の中では、お願いなどされずとも答えは一緒だった。だから、願いは別のものでいいぞ?ほら、何でも言ってみろ」
エドモンド様の言葉は真摯で、心の重荷を軽くしてくれるかのようだった。願い…。胸の奥から湧き上がる切なる願いを、どうしても言葉にしたくなった。
「エドモンド様、もし願いが叶うなら、エドモンド様に私のことを、その、好きになってもらいたい…いえ、そういう対象として意識してもらいたいというか…えっと、やっぱり聞かなかったことに…」
言葉が自然と口をついて出たが、次第に恥ずかしくなり、声はどんどん小さくなった。さっきの願いが叶った喜びに浮かれて、心の中でずっと温めていた想いを口にしてしまったのだ。
静寂が続く。…なんて身勝手な願いをしてしまったのだろう。顔が熱くなり、恥ずかしさでまっすぐにエドモンド様を見られなかった。彼がどう思ったのか知るのが怖く、俯いたまま、深く後悔する。胸が締め付けられるようだった。
だが、その時、突然影が差した。驚いて顔を上げると、エドモンド様が目の前にしゃがんで、じっと見つめていた。その優しい瞳に、胸の鼓動が一層強くなり、思考が止まった。
「フローリア、その願いは却下だ」
エドモンド様のはっきりとした声に、心が一瞬凍りついた。っ!口に出さなければよかった…。胸の奥でひっそりと育てていた想いを否定されたことで、もう何も言えない。視線を下に戻そうとした瞬間、エドモンド様が震える私の手をしっかりと握りしめた。
「願いとして成立しない。なぜなら、もうすでにどうしようもないくらいに俺はフローリアのことが好きだからだ」
耳に届いた瞬間、理解できずに何度も繰り返し心の中で反芻する。
「…え?エドモンド様が?私を?」
声は驚きに震えた。信じられない。
「ああ、むしろ俺を好きになってほしい、そうフローリアに願わなければならないと思っていたくらいだ」
エドモンド様は、ふっと微笑んで私を見つめ続けた。その目には、偽りのない真実が映っていた。
その瞬間、胸に押し寄せていた悲しさは消え去り、代わりに全身に喜びが広がった。エドモンド様が自分を想ってくれていたなんて…。思わず溢れる感情に、心は震えていた。
「このエメラルドの髪飾りもよく似合う。しかし、これからは私の色も身に纏ってほしい」
エドモンド様は、指先で私の髪にそっと触れ、その髪飾りをじっと見つめた。エドモンド様の色――相手の色を身に纏うということは、彼の心を纏うということでもある。親しい間柄を象徴するもの。喜びが心に広がり、胸がいっぱいになる。こんなに幸せなことがあるなんて、まるで夢を見ているようだった。
「エドモンド様…はい、もちろんです。じゃあ、青い髪飾りを贈っていただきたいという願いはどうでしょう?」
満面の笑みを浮かべて、エドモンド様は頷いた。
風が再びバラの庭を通り抜け、美しい真紅の薔薇の花びらが軽やかに揺れる。まるで二人の新たな未来を祝福するかのように、優雅に舞っていた。
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