第三章 パンデミッ狐③
「……」
ソフィーが地下室に隠れてから少しの時間が経った。
順当に行けば、そろそろジルは街に着いている頃に違いない。
「痛っ」
先ほどはアドレナリンでも出ていたのか、今になって腕が凄まじい痛みを訴えてくる。
(あの狐娘……なんだったのでしょう)
人を襲う狐娘。
聞いたことならある。
昼間にジルが言っていた話そのものだ。
(たしか隣町に出たと言っていましたけど……それがこの街まで来た?)
でもおかしい。
狐娘は退治されたと聞いている。
いや、よく思い出せ。
ジルはこんなことを言っていた。
『しかも少しでも噛まれれば、噛まれた奴も狐娘に変化しちゃうらしんだ』
と、ソフィーがそんなことを考えた。
まさにその瞬間。
ズキンッ。
と、お腹から奔る痛み。
赤ちゃんだ、赤ちゃんが産まれようとしているのだ……しかし、それと同時にソフィーは目撃してしまう。
「そん、な……手がっ」
狐娘に噛まれた腕。
その腕が見慣れないものになっているのだ。
怪我が治り始めている。
それだけならいい——その腕が細く小さな腕になっているのだ。
しかもその周りから白い巫女服の袖のような物が生えてきているのだ。
見覚えがある。
これはソフィーの腕を噛んだ狐娘と同じ——。
「痛っ」
と、再び痛むお腹。
折れてない方の手で腹を抑えると、そこでもまた見えてしまう。
(こっちの手も狐娘のものに……っ)
ソフィーは理解する。
ジルが聞いた話は本当なのだ。
狐娘に噛まれたものは狐娘になる。
すなわち。
ソフィーはこのままでは狐娘なる。
ダメだ。
赤ちゃんは絶対に産む。
このまま狐娘になってしまえば、赤ちゃんがどうなってしまうかわからない。
しかしおそらく、このままでは狐娘になる速度の方が早い。
「だった、ら」
ソフィーは『重力操作』魔法を未だかつてないほど慎重に使う——その対象はお腹の中の赤ちゃんだ。
「っ…….ぁああああああああああああっ!!」
襲う猛烈な痛み。
視界の端が何度もスパークする。
けれど、赤ちゃんが出てきているのがわかる。
ソフィーはもがきながらもそれを続け。
「産まれ、た……私の可愛い赤、ちゃんっ」
同時、意識が遠ざかってくる。
さっきの魔法の行使で、体内に致命的なダメージを負っているに違いない。
(当然、か……私の体もいろいろ弄っちゃいました、し)
それよりもだ。
彼女は赤ちゃんを近くにあった毛布で包んだのちソファーへと寝かせ、その後手元にあった本——お気に入りの勇者の本を手に取る。
「ジルも噛まれてましたし、きっと助からない……」
この家に狐娘が現れたということは、狐娘はすでに大勢に増殖している可能性が高い。
闇だ。
この子が生きる世界は闇の世界になる。
なんの希望もない、生きることすら辛い世界に。
でも。
「どうかそんな世界でも、闇を切り開いて生きてくれますように」
この本の主人公。
決して諦めずに魔王を倒した女勇者のように。
だから赤ちゃんの名前は主人公と同じ。
「クロエ、あなたの名前はクロエです」
ソフィーは自らの血で、本の表紙にその名前を書いていく。
そして彼女はそれをクロエの隣へと置く。
「一緒に居られなくてごめんね、クロエ」
このままではソフィーは狐娘になってしまう。
そうなれば、クロエを襲ってしまうかもしれない。
「私はあなたを守るためなら、死ぬのなんて怖くない」
ソフィーは最後の力を振り絞り、クロエから少し距離を取る。
そしてすぐさま『重力操作』魔法を最大出力で発動させる……その対象は。
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