トリあえず(KAC20246用)

Tempp @ぷかぷか

第1話 トリあえず

 ピルリンという音で珍明ちんみんはカウンターの奥に手を伸ばし、スマホを開いた。

 時刻表示は16:31。午後もだいぶん過ぎた頃合いである。

 ショートメールを開けばただ、「トリあえず」とだけ書かれていた。

「トリあえず?」

「どうした珍さん」

 珍が顔を上げれば、常連の客に見下ろされていた。

「変なメールが来たネ」

 珍は奇妙な日本語を使うが、実際は日本語はペラペラである。ただ、中華街のはずれの雑貨商という店の性質上、この奇妙なカタコトの方が客受けがいいだけだ。

「どんなやつ? 見せてみな……とりあえず? これだけか? 続きは?」

「それだけネ」

 差出人は珍の奥方だった。いつもこの時間にショートメールを飛ばして、晩ごはんの催促をする。いつもは炒飯だの八宝菜だの、もう少し具体的な料理名が描いているものだ。珍はそれを見て食材を書いに行き、夕飯を作るのだ。

「よくわからんな」

「それよりりゃんさんは何を買いに来たネ」

「ああ。なんだっけな。この前買った煙草ってまだあるかい?」

「あるヨ。1本50円ヨ」

 梁は口をへの字にまげた。

「この間は1本30円だったじゃないか」

「うちは時価ヨ。買う人からは高くもらうネ。嫌なら買わないよろし」

 梁は舌打ちをした。

「仕方ねぇな。じゃあ5本」

「しけてるネ。また買うなら仕入れとくヨ」

「考えとくわ」

 珍は丁寧に5本の葉巻を包み、梁に手渡す。梁は暇なのか、プラプラと店内を見回し始め、珍はちょろまかしないか目を光らせながらスマホを手にした。珍は別に梁の盗みを警戒しているわけではない。誰に対しても同じように対応しているだけだ。なにせ珍の店には古今東西のあらゆるわけのわからぬものが詰め込まれていて、中には下手に触ると危険なものもある。

 けれども今の珍の興味の半分は電話の先に向けられていて、あまりにもコールが続くものだから、ポロリと言葉を漏らしてしまった。

「出ないネ」

「出ない?」

「トリあえずの意味を確認しようと思っただけアル」

「それは重要な話なのかい?」

 梁はさも興味深そうに目を輝かせるのを珍は鬱陶しそうに眺めた。梁は所謂チンピラというやつだ。この辺を根城にした黒社会ヤクザの下っ端で、よくそのへんをうろついて治安維持に貢献している。

「別に大したことないヨ」

「つれないなぁ。煙草買ったじゃぁないか」

「250円で恩に着せられちゃ、商売上がったりヨ」

「まぁまぁ、まかせろよ。なんでトリだけカタカナなんだよ」

「知らないネ」

 珍の塩対応にも梁はどこ吹く風だ。それにちょうど暇をしていただけだ。そうしてきっと、梁は何かのヤバい商品の暗号かなにかだと勝手に勘違いしたのだろう。

「ちょっと心当たりを探してくるから待ってな!」

 そう言って梁は店を飛び出した。余計なお世話である。そうこうしている間に中華街の隣の高台の時計塔から17時をしらせる鐘がなり、それを契機に珍は店じまいを初め、そして買い物かごを手に下げる。珍には目的地はすでに定まっていた。珍の奥方があの時間に送ってくるものは晩飯に食べたいものなのだ。そして珍の奥方は日本語の読み書きが覚束ない。そして変なメールであることと、意味内容がわかることは無順しない。

 単純な話で、トリは鶏で、あえずは和え酢だ。つまり珍が時たま作る、蒸し鶏と豆苗のごま酢あえ。そんなわけで珍が向かったのは肉屋と八百屋である。


Fin

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