第90話 バルフォント家の未来

 学園襲撃事件の影響で学園は一時休校になった。

 いくら被害がほとんどなかったとはいえ、生徒達は混乱している。

 生徒達のケア、そして警備体制見直しということでオレは屋敷で過ごしていた。


 風呂上がり、髪を拭きながら屋敷内を歩いているとリビングを通りかかった。

 ソファーでくつろいでいるのはレオルグと母親のリーザニアだ。

 レオルグはグラスを片手で揺らしながら、静かに目を閉じている。


「リーザニア、私はこのままでいいのだろうか?」


 オレの足がピタリと止まる。

 夫婦のやすらぎを邪魔するつもりはなく、オレは素通りするつもりでいた。

 レオルグが深刻そうな物言いをするのは初めてだからつい気になってしまう。


 常に自分が正しいと信じて悩みとは無縁だったあのレオルグだ。

 母さんに関しても、レオルグの傍らにいてその発言や行動を肯定するだけの存在だった。

 だからオレはあまり母親に対するありがたみとか愛情を感じたことはない。


 例えばレオルグがオレに何か言えば絶対に口を挟むことはない。

 亭主関白の極致とも言えるこの屋敷で、レオルグが母さんに何を相談するんだ?


「このままで、とは?」

「先日の襲撃事件は我ながらうまく収めたと思っている。誰に任せてもここまで完璧に処理できなかっただろう」

「そう、あなたは常に正しくて完璧よ」

「そうなのだ、まったくもってそうなのだが……」


 レオルグはグラスを持ったまま黙ってしまった。

 柄にもなく何を悩んでいるんだ?

 立ち聞きはよくないが、オレは耳を澄ませた。


「そもそもの話、あの襲撃事件だ。オールガン国は隣国戦争の時は中立を主張して一切介入してこなかった。あの時は何の疑問も持たなかったが、よくよく考えればおかしいことが多い」

「まぁ、なんてこと……」

「我が国と戦争をしていたギアース国は当時、想定以上に粘ってきた。とっくに物資が尽きてもいい段階にも関わらず、こちらが持久戦を強いられたこともあったほどだ」

「確かにそうね。腹立たしいわ」


 あの通り、母さんはレオルグが何を言っても肯定する。

 つまり相談役としてまったく機能しない。

 隣国戦争はオレが生まれる前に起こった戦争だ。


 一年以上も続いたせいで当時は規制されていなかったベランナなど、ありとあらゆるものが投入された。

 傭兵家業がもっとも盛んな時代で、強ければ盗賊みたいなのだろうとあれもこれも国が雇うほど必死だった時だ。

 オレが幼い頃に倒した黒死蝶のじいさんなんかがその一人だな。


 オレから見てもバルフォント家がいながらずいぶんと後手に回ったという印象がある。

 レオルグは今回の襲撃事件と照らし合わせて昔のことに違和感を持ったのか。


「私の勘違いならばいいのだが、オールガン国は隣国戦争の際にギアース国に物資を送っていたのではないか?」

「まぁ……」

「隣国の公爵であるヘズラーが今になってでかい顔をしてノコノコとやってきた。その直後の学園襲撃事件だ。なぜこのタイミングで? 疑問は尽きん」

「本当ねぇ」


 ここまでくると逆にバカにしてるとしか思えない母さんの態度だけど、レオルグはあれで満足している。

 こっそり見ると母さんの肩を抱きながらグラスに入ったワインをチビチビ飲んでいた。


「まぁあのヘズラーは今頃、陸の監獄ヘルズヘイムでとっくにくたばっているがな」

「拷問はしなかったの?」

「末端のカスらしい戯言しか吐かないそうだ。どうせ大した情報を得られるとも思ってないから殺しても構わんと伝えてある」

「何も聞かされていなかったのね」


 あのヘズラーは拘束済みだったか。

 あんなに堂々と歩いていて無事に帰れるはずもないな。


「オールガン国、中立を気取っておきながら裏では二国間でコソコソしていたわけだ。アバンガルド連合の末端の分際で……」


 レオルグが青筋を立てた時、母さんが背中を撫でる。

 恐怖の波動が屋敷中に放たれちゃ敵わんからな。

 母さんの愛の波動はあらゆる生物を優しく受け入れる。

 その上ですべてを許して母さんに依存してしまう。


 戦闘経験がない母さんだけど、今まで誰にも危害を加えられたことがないというから怖い。

 悪人だろうが魔物だろうが愛の波動の前じゃ平伏してしまう。

 ある意味でオレが一番恐れている相手でもある。


「リーザニア、私はこれまで自分の庭さえ無事ならそれでいいと思っていた。しかし実際にはセイルランドの外には多数の国がある」

「そうね……でも私はこの庭が一番好き」

「そうだな。私も丹念に手入れしたこの庭が好きだ。が、今はこの庭を踏み荒らそうとしているカスどもがいる」

「なんてかわいそうな人達……。こんなに美しい庭を荒らすだなんて……本当に無価値で無教養、美の観点が欠落した蛮族なのね」


 暴言を吐く母さんをレオルグが抱きしめた。

 子どもとしてはあまり見たくない光景だな。


「もちろん庭を荒らしたカスどもはいずれ始末する。アバンガルド連合など関係ない。その気になれば親玉の帝国を単身で滅ぼしてやってもいい」

「そんなあなたも愛してるわ」

「だが、それでは何の解決にもならん。大陸を統一したとしても、海の向こうにもまた国がある」

「なんてこと……」


 なんてこと、じゃねえよ。

 もはや適当に答えてるだろと突っ込みたくなる。


「リーザニア、広い庭が欲しくないか?」

「広い庭?」

「そうだ。この国だけを庭としているのがよくない。ならばいっそ世界まるごとを庭としてしまえばいい」

「まぁ……!」


 オレは息をのんだ。

 おい、まさかあれのフラグが立ちつつあるか?

 正直に言ってオールガン国のやらかしがあった時点で予感はしていた。


「誰も荒らすことのない広く神聖な庭だ。そう、すべては私の思い通りとなる庭だ」

「それは素敵ね。楽しみだわ」

「あぁ、やはりお前もそう思うか。ふふ……なぁんだ、実に簡単なことだったようだ。私は何を悩んでいたのか」

「さすがあなたね」


 全肯定母さんの一言でレオルグがあるべきルートに入ったか。

 だけどこれは仕方ない。

 仮にオレがどうあがいてもこれは止められなかっただろう。

 もっとも、止めるつもりもなかったけどな。


「そう、私がこの世界を支配して王となればいい。世界の王……か。ふふっ、ははっ! 悪くない」


 レオルグがソファーから立ち上がり、母さんも従う。

 オレは慌ててその場を離れてから寝室へ向かう二人の後ろ姿を見送った。

 世界王レオルグのフラグが立ってしまったな。

 レオルグが最高のポテンシャルで戦えるなら願ってもない。

 それでこそ高みを目指す甲斐があるってもんだ。

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